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2015年08月31日07:16

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『「つぐない」と「なだめの供え物」を通しての和解』

http://9001.teacup.com/sfk/bbs/15993 (写真入り記事)

「つぐない」というと、私と同世代の人は、「テレサ・テン(Teresa Teng)1953‐1995」の「つぐない」を思い出すのではないでしょうか。

テレサ・テンは、私と同じ喘息という持病を持ち、42歳の若さで亡くなってしまいました。

当時、何をつぐなうのか、ピンときませんでした。

「つぐない」
作詞:荒木とよひさ 作曲:三木たかし

窓に西陽があたる部屋は
いつもあなたの 匂いがするわ
ひとり暮らせば 想い出すから
壁の傷も 残したまま おいてゆくわ

愛をつぐなえば 別れになるけど
こんな女でも 忘れないでね
優しすぎたの あなた
子供みたいな あなた
あすは他人同志になるけれど

心残りは あなたのこと
少し煙草も ひかえめにして
過去に縛られ 暮らすことより
わたしよりも可愛い人 探すことよ

愛をつぐなえば 重荷になるから
この町を離れ 暮らしてみるわ
お酒のむのも ひとり
夢を見るのも ひとり
あすは他人同志になるけれど

愛をつぐなえば 別れになるけど
こんな女でも 忘れないでね
優しすぎたの あなた
子供みたいな あなた
あすは他人同志になるけれど

「♫ 愛をつぐなえば 別れになるけど こんな女でも 忘れないでね ♫」

歌の主人公の女性は、浮気をし、恋を精算するために「別れる」のか?

「♫ 過去に縛られ 暮らすことより わたしよりも可愛い人 探すことよ ♫」

しかし、主人公の女性は、年下の男性と恋に落ちて同棲し、「窓に西陽があたる部屋」で幸せに暮らしていたが、彼はまだ若く、未来があるので、「過去に縛られ 暮らすことより わたしよりも可愛い人 探すことよ」と、今なら別れてやり直すこともできると、苦悩の末、自分が身を引いて、明日この部屋を出ていくことを決意するも、「心残りは あなたのこと 少し煙草も ひかえめにして」と健康を気遣う、女性の揺れ動く心を描写しているのでしょう。

「つぐない」の言葉の意味は、「相手に対しての弁償」ですので、「年下の男性を愛してしまったこと」を「罪」と考えるなら、その愛にいつまでもしがみつくのではなく、「若い相手の未来を思って、自分から身を引いて」相手に対するせめてもの「つぐない」をしようとしている微妙な女心がなのでしょう。

聖書は、「つぐない」を教えます。

『ついで主はモーセに告げて仰せられた。「人が主に対して罪を犯し、不実なことを行うなら、すなわち預かり物や担保の物、あるいはかすめた物について、隣人を欺いたり、隣人をゆすったり、あるいは落し物を見つけながら欺くなど、人が行って罪を犯すことになるどれか一つについて偽りの誓いをする場合、この人が罪を犯し、後で咎を覚える場合、そのかすめた品や、脅迫してゆすりとった物、自分に託された預かり物、見つけた落とし物、あるいは、それについて偽って誓った物全部を返さなければならない。元の物を償い、またこれに五分の一を加えなければならない。彼は咎を覚えるとき、その元の所有者に、これを返さなければならない。この人は主への罪過のためのいけにえを、その評価により、羊の群れから傷のない雄羊一頭を罪過のためのいけにえとして祭司のところに連れて来なければならない。」』(レビ記6:1〜6)

日本でも、「つぐない」は一般的なことだと思います。相手に対して何か失礼をしたり、損害を与えてしまった時には、ただ「ごめんなさい」と口で謝って終わるのではなく、何かお土産を添えてお詫びをします。

なぜ「つぐない」をするのでしょうか?

そのことで、人間関係を回復させ、関係を続けていこうと思えるようになるからです。

「そこまでしてくれるならばもう赦そう。水に流そう。」と傷ついた心がいやされ、赦す気持ちが自然に湧いてくるものだからです。

「つぐない」には、「傷ついた心」と「赦せない気持ち」を溶かしてしまう力があります。

さらに聖書は、「つぐない」よりももっと強い「なだめの供え物」について語ります。

「もしだれかが罪を犯すことがあれば、私たちには、御父の前で弁護する方がいます。義なるイエス・キリストです。この方こそ、私たちの罪のための ―私たちの罪だけでなく、世全体のための― なだめの供え物です。」(ヨハネ第一の手紙2:1〜2)

「なだめの供え物」とは、とうてい赦されないような罪を犯した相手に対して、その怒りをなだめるための「いけにえ」であり「供え物」です。

神は、人類をご自分に似た最高傑作として創造されました。人間がたった一つだけ罪を犯す可能性を残し、それ以外の全てを自由に食べたり、触れたりすることを許しました。しかし、たった一つの禁じられた罪をアダムとイブは犯してしまいました。

罪を犯したアダムとイブから生まれてくる子孫は全て罪人として生まれました。

すいかの種を畑にまくとすいかが収穫されるように、罪人の種を持った親から生まれる子どもは全て罪人として誕生しました。私たちも例外なく罪人ということになります。

神は、人類を愛しています。しかし、罪は決して赦すことができません。罪に対して怒っておられます。

神の怒りをなだめるために、神の一人子イエス・キリストは十字架にかかって死なれました。神は、キリストの十字架を見て、罪の怒りを鎮められました。

神は、キリストの十字架を信じ、罪を悔い改める人を無条件で赦して下さいます。

キリストの十字架は、罪の「つぐない」であり、罪を絶対に赦すことができない神に対する「いけにえ」であり、「なだめの供え物」です。

みなさん、キリストの十字架によって赦されない罪は一つもありません。今日、キリストの前に出て行って、永遠の赦しを頂きませんか?

また、人間関係で、誰かに失礼をしたり、傷つけたり、損害を与えたとしたら、ただ、「ごめんなさい」と謝っただけで終わらせようとするのではなく、「つぐない」をしたらどうでしょう。これは、相手の感情に対する「なだめの供え物」です。

聖書は、人間関係で傷つけ合った傷をいやすために、「つぐない」という相手の感情に対する謝罪を教えます。これは、傷つけた相手と和解するための現実的な知恵です。

通常、口では「もういいですよ!」と言うものです。しかし、それでも、傷ついた相手に対する謝罪の気持ちを表すためにも「つぐない」は大切です。

「つぐない」には、「時」と「タイミング」がありますが、聖書は、「祭壇の上に供え物をささげようとしているとき、もし兄弟にうらまれていることをそこで思い出したなら、供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから、来て、その供え物をささげなさい。」(マタイの福音書5:23〜24)と語るように、「神に礼拝を捧げようとした時に、うらまれていることを思い出したなら、礼拝を中断してでも、うらんでいる人と和解することを優先するように」と教えます。

傷つけた相手がいるなら、謝罪と「つぐない」を通して和解し、良い人間関係を築いていけますように。

良い一週間でありますように。

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