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2015年08月17日21:09

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「一日一シャ〈謝と謝と赦と写〉【133】 2015/8/17(月)戦いの本質は自分との戦い」

http://9001.teacup.com/sfk/bbs/15957 (写真入り記事)

昨晩、ある方の相談に乗りました。その方は重度のうつ病を患っていて、死にたいくらいに苦しんでおられました。

私の中で、「牧会相談」と「人生相談」と「カウンセリング」はある程度分けています。

牧会相談は、この教会の教会員でなくても、洗礼を受けたクリスチャンが対象で、相談の内容を聞いたら、聖書を土台として、祈りながら霊的な解決を目指します。

人生相談は、聖書的な解決よりも、現実的、具体的な解決を目指します。

カウンセリングは、問題の背後にある精神的な問題の解決を目指します。

それぞれがはっきりと分かれて対応するような場合がありますが、今回のように、重いうつ病を患った人は、いろいろな問題が重なっていることがあります。

うつ病の原因が、環境による場合もあります。その場合は、環境を変えたら治ります。

うつ病の原因が、精神的問題による場合があります。その場合は、精神的な傷が原因ですので、受け止め方を変えたり、赦すことなどで快方に向かいます。

うつ病の原因が、霊的問題による場合があります。その場合は、性的罪や偶像崇拝、スピリチャルな交流を通して悪霊に取り付かれているなどが原因なので、悔い改め、悪霊を追い出すなどをすることで解放されます。

つまり、うつ病は原因が一つではないので、簡単に解決しません。また、そのプロセスの中で、相談者である私がうつ病の影響を受けて、うつ病と同じ症状を発病することがあります。

私が元気で、聖霊に満たされているなら、通常はうつ病の影響を受けないで、その人格を愛し、その人を快方に導くことができますが(多くの場合は、精神科医・服薬と二人三脚で治療します)、昨日は日曜日だったので、12時間以上教会の働きをした後だったので、疲れ切っていたことが一つの原因ですが、霊・魂・体にうつ病の影響をもろに受けてしまいました。

私は、うつ病になったことはないと思いますが、うつ病の人と深く関わったことが原因で、うつ的症状に陥って、苦しんだことが何度もあります。

何もやる気が出なくなりますし、絶望的な気持ちになり、「死にたい」という気分にさえなります。

神様は、うつ病の人の苦しみを理解させるために、うつ病の人が、「助けて下さい!」と来られることを通して、うつ病の人と関わるチャンスを与えてくれました。

今日は、雨が降っていましたので、一日、説教の準備をすることにしました。

しかし、準備に取り掛かりましたが、午前中いっぱいは、全く準備が進みませんでした。

そこで、ひたすら祈り、説教を語る予定の聖書箇所を何度も読み返していました。すると、私の霊や魂をがんじがらめに縛り付けているうつ病の鎖が引きちぎられ、徐々にうつから解放されていきました。

午後になると、少しづつ説教がまとまりはじめました。

教会で毎週日曜日語られる説教は、聴衆に取っては、聞くことで恵まれますが、説教者は、準備の段階ですでに恵まれ、さらに、語り、その言葉を自分の耳で聞きながら恵まれます。

説教をする牧師は、聖書の言葉が虚しい言葉ではなく、人のあらゆる問題を解決し、あらゆる病をいやす力があることを誰よりも知っているのです。

「雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。」(イザヤ書22:10〜11)

上記聖句は、「私(神)が語られた言葉は、必ずその通りになる」という神ご自身の宣言です。

長年牧師をした人や、長年クリスチャンとして生きている人の信仰は、伊達(単なる飾り)ではありません。

聖書の言葉が真理であることを繰り返し体験しています。

時々、クリスチャンになったばかりの人の方が熱心で、次々に伝道をするので、信仰が強いとように思いがちです。確かにそうかも知れません。

神が問題を解決され方であり、病をいやされる方であると聞いたら、単純にそのままを信じます。

しかし、その単純さや純粋さ、熱心さは、1〜2年のうちに消えるものです。

神の考えと人の考え、そして、神の方法と人の方法が違うことを知るからです。

「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。──【主】の御告げ── 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」(イザヤ書55:8〜9)

神の考え、神の方法が最善であることは、通常、後になってからわかるものです。

「汝、今知らず。やがて後、悟るべし」(文語訳 ヨハネ13:7)

クリスチャンになって日が浅い人は、「神が自分の願った通りのことをしてくれるはずだ!」と信じていることが多いので、がっかりし、失望し、単純さ、純粋さ、熱心さは消えていきます。

しかし、後から振り返ってみると、自分の思った通りになるより、神がして下さったことが最善だったと知るのです。

信仰の先輩方は、そのことを何度も何度も経験しているので、信仰が岩のように堅く、動じないのです。

最悪と見えるようなことが起こっても、振り返ってみて、「あー、神はあの時私を守って下さった!」「そして、あのピンチを、素晴らしい祝福のチャンスに変えて下さった!」「今ある試練も、あの時、この時のように、神は解決してくださるに違いない!」と思って、神を信頼し、目の前の問題に動じることなく、前進し続けるのです。

私は、クリスチャンになって26年、伝道師になって18年、牧師になって14年が経ちました。

たくさんの奇跡を経験してきましたが、今でも、揺れ動くような試練を度々経験します。しかし、人生を振り返って、今まで守って下さった神様だから、このとんでもない試練の中でも私を支え、守り、乗り越えさせて下さるに違いない!」と、思いを変えて、前進します。

今朝は、昨晩のうつ病の方の相談を受ける中で、朝から何もしたくない、何もできないような精神状況でしたが、まずは、「神は、ピンチをチャンスに変えて下さる!」と信じました。

時には、今すぐにでも説教の準備ができるほど絶好調の時もあります。しかし、今朝は、それと正反対でした。ピンチでした。「今日一日台無しだな!」と諦めることもできたし、怒って、さらにボロボロになることもできました。

まずは感謝をしました。「大丈夫だ。神様が乗り越えさせて下さる!」と、喜びました。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(第一テサロニケ5:16〜18)

そして、夜には説教の準備が完成しました。

これは、うつとの戦いだったのではなく、自分との戦いでした。そして、その戦いに神とを信頼しながら勝利することができました。ハレルヤ!

良い一日でした。

みなさんはどんな一日でしたか?

お疲れ様でした。また明日お会いしましょう。
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