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2015年08月05日18:47

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「一日一シャ〈謝と謝と赦と写〉【121】 2015/8/5(水) 自ら進んで、喜んでする自由」

http://9001.teacup.com/sfk/bbs/15931 (写真入り記事)

「人生山あり谷あり」といわれますが、登山を考えてみると、山に登ることも大変ですが、山から降りてくるのも足に負担がかかるので、実際、どちらも大変です。しかし、その場その場で違った景色が見えますし、違った感動を味わうことができます。

毎日の生活もまた、山あり谷ありで、山のてっぺんにいる時も、谷底にいる時にも、その時その時を楽しんでいきたいものです。

先週は、締切のある仕事があったので、それに加えて、外部での仕事が入ったことで、寝る間を惜しんで仕事と向き合いました。そういう時は、どちらかというと山の頂上付近かも知れません。

今年は夏休みを返上し、時間があったら、家族やフランクリン・グラハム大会などのお手伝いにまわろうと考えています。

それは、「そうすべきである」からそうするのではなく、「そうしたいから」そうするのです。

「アリとキリギリス」というイソップ寓話があります。原作は、「アリとキリギリス」ではなく、「アリとセミ」だったそうです。イギリスには「セミ」がいないので「キリギリス」に置き換えられたようですが、東欧では「コオロギ」に置き換えられることもあるそうです。

�� セミは、夏の間「ミーンミーンミーンミーーーー」歌って遊んでばかりいる。
�� アリは、せっせと働いている。
�� 冬になり、セミは食料がなくなる。
�� セミはアリに「食べるものをください」と頼みにいくというストーリーです。

このことから考えられる通常の教訓は、「働かなければいけない時に遊んでばかりいないで、せっせと働こう」ということになると思います。

日本人には、うってつけの教訓を教える逸話ですが、まじめな人はやる気が出ると思いますが、これを聞いて楽しくなる人はそう多くはないと思います。

「アリとキリギリス」には、実は、様々な結末があります。

その��
「冬になって、穀物が雨に濡れたのでアリが乾かしていますと、おなかの空いたセミが来て、食べ物をもらいたいと言いました。『あなたは、なぜ夏の間食べ物を集めておかなかったんです?』『暇がなかったんです。歌ばかり歌っていましたから』と、セミは言いました。すると、アリは笑って言いました。『夏の間歌ったなら、冬の間踊りなさい』(河野与一訳『イソップのお話』岩波少年文庫)

その��
「さあ、遠慮なく食べてください。元気になって、ことしの夏も楽しい歌を聞かせてもらいたいね・・・・キリギリスは、うれし涙をポロポロこぼしました。」(波多野勤子監修・『イソップ物語』小学館)

その��
すると、アリは笑って言いました。
『夏の間歌ったなら、冬の間踊りなさい』
すると、セミはこう答えました。
『歌うべき歌は、歌いつくした。私の亡骸を食べて、生きのびればいい。』

「アリとキリギリス」にいくつもの結末があるとしたら、そこから出て来る教訓は、「生き方に正解はない」ということではないでしょうか。

通常の「働かなければいけない時に遊んでばかりいないで、せっせと働こう」という教訓だけが一人歩きしたとしたら、これを聞いた人に重荷を与え、心病んだ人には、傷口に塩を塗るようなものです。

一つの思想だけを押し付けるのではなく、

「その�,箸い�生き方もある。その�△箸い�生き方もある。その��という生き方もある。�´↓�の生き方を知った上で、「どのような生き方がしたいか自分で選んでごらん」

とススメるのも悪くありません。

聖書は、「もしあなたがたが、わたし(イエス・キリスト)のことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネの福音書8:31〜32)と書かれています。

国立国会図書館には、「真理がわれらを自由にする」と書かれています。

聖書の「真理はあなたたちを自由にする」【Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ】(ヨハネの福音書8:32)から来ています。

私たち人間を造られた神は目に見えません。しかし、そのひとり子イエス・キリストは、2000年前のクリスマスにこの地上に見える人間の姿を取って来られました。

神の言葉にとどまるなら、神にとどまることになり、本当の意味で自由を得ることができます。

私たちの世界には、「こうじゃなければいけない!」「こうあるべき!」というものに満ちています。

しかし、いみじくも、国会図書館に「真理がわれらを自由にする」と書かれているように、本の中の本である聖書を知り、学び、とどまる時に、「こうじゃなければいけない!」「こうあるべき!」と、一つの思想を押し付け合う世界から解放されて、自ら選び取っていける真の自由を生きられるようになるのです。

使徒パウロの生き方もそうでした。

「わたしが福音を宣べ伝えても、それは誇にはならない。なぜなら、わたしは、そうせずにはおれないからである。」(第一コリント9:16)

パウロは、「伝道しなければならない」から伝道していたのではなく、「伝道せずにはおれない」から伝道し続けました。

私たちの生き方も、「〜しなければならない!」と無理やり、強制されて、嫌々する奴隷のような生き方に別れを告げて、神の言葉によって真の自由を得て、「〜せずにはおれない!」自ら進んで、喜んでやらせて頂く人生を選び取っていきたいものです。

今日は、仕事の合間を縫って、息子のサッカー教室、食料品の買い物などに家族で一緒に行きました。夏休み旅行にいかなくても、ほんのちょっとしたミニミニ旅行のようでした。

何事も、やらされている人生はつらいものです。

仮に、それをやらなければいけないとしても、嫌々やさらされていると考えるのではなく、自ら進んで、喜んでさせていただけたら、何倍も有意義になると思います。

今日も一日お疲れさまでした。神様の祝福をお祈りします。

また明日お会いしましょうヽ(´―`)ノ

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