http://9001.teacup.com/sfk/bbs/15887 (写真入り記事)
「101」と言えば、「101回目のプロポーズ」を思い出します。「七転び八起き」、「ネバー・ギブアップ」、決してあきらめない男になりたいと、思わせられますね。
今日は、私の住んでいる東京の新宿区に、「大雨雷強風洪水注意報」が出されていました。軽く見ていた部分があったと思います。ギターを積んで車に向かう途中に、とんでもないどしゃ降りの雨と遭遇しました。また、帰宅して車庫から自宅まで、とんでもない大雨に見舞われました。アッという間に、全身がびしょ濡れになりました。
そんな時、さっと傘をさすと、ほとんど濡れないんですよね。傘のありがたみも同時に感じました。傘は、軽く、安く、手軽ですが、こんなに傘のありがたみを感じたことはあまりないほどの一日でした。
昨晩は、国会周辺で安保法制に反対するデモが行われたことを映像を通して知りました。
憲法九条は素晴らしい平和憲法だと思います。
敗戦の当時、「戦争はもうこりごり」「侵略はもう二度としない」と、国民の多くがそう考えたと思いますし、国民の総意であったに違いないと思います。
しかし、「永久に国民の子孫代々に渡って放棄します」という考え方だけでこれからも進んでいっていいのか?という岐路に立たされている状態にある中、基本的な権利が今脅かされている現状にあって、何らかの応急処置や手当をしておかなければもう間に合わないという現政権の判断であったと受け止めています。
戦後は、「左翼にあらずんば人に非ず」という風潮がありましたし、現代でも、「絶対反対」という人たちが多い中で、その声に耳を傾けて、「憲法を改正しましょう」と進んでいったとしても、攻められたら日本はやられてします。
憲法九条は、日米安保あっての九条です。もし、アメリカが守ってくれなかったら、あるいは、日米安保の更新がなされないとしたら、翌日にでも攻め込んでくる可能性のある国があります。
左翼の声が大きい中で、こういう問題を取り上げるのはどうかと思いますが、日本の未来を考えた時に、真剣に考えなければいけない問題だと思っています。
私は、左翼でもなく、右翼でもなく、「神の御心が天で行われるように、この地上でも行われますように」と祈り続けたいと思います。
また、安倍総理大臣のリーダーシップのために祈ります。
「そこで、まず第一に勧める。すべての人のために、王たちと上に立っているすべての人々のために、願いと、祈りと、とりなしと、感謝とをささげなさい。それは私たちが、安らかで静かな一生を、真に信心深くまた謹厳に過ごすためである。これは、私たちの救い主である神の御前に良いことであり、また、みこころにかなうことである。」(テモテ第一の手紙2:1〜3)
今日は、フランクリン・グラハム大会の月一度の会議が行われました。今が多詰めだなと感じます。
明日は、金沢八景の近くの「アッセンブリー・オブ・ゴッド教団の金沢キリスト教会」を訪問します。晴れていたら、きれいな海が見れるはずです。
会議の後、軽く腹ごしらえをして、夜7時から祈祷会が行われました。
今日、「こころにもだえあらば」という聖歌を何度も歌いました。
特に好きな歌詞は、「イエスに話せ イエスに話せ イエスに話せよ 思案せずに何事も イエスに話せよ」という部分です。
「思案」とは、「自問自答」することです。しかし、「イエスに話す」=「祈る」とは、「自問神答」です。
もし自分が神ならば、「自問自答」して、すべてのことを判断し、決断して、解決し、前に進んでいけばいいのですが、私たちは神ではありません。解決する力を持っていません。解決する力のない自分で何とかしなければならないと考えたら、悩むほかありません。
神様に頼り、神様に話し、神様にゆだね、神様と共に歩むことが大切です。
アメリカが神であれば、「日米安保」さえあれば安心です。しかし、アメリカは日本と同じ独立国家の一つに過ぎません。私たちは、神に頼って、神に祈って、神と共に前に進んでいくしかありません。
「こころにもだえあらば」聖歌707番(新聖歌200番)
心にもだえあらば イエスに話せ イエスに話せ
悲しみうれいあらば イエスに話せよ
イエスに話せ イエスに話せ イエスに話せよ
思案せずに何事も イエスに話せよ
涙のせき来るとき イエスに話せ イエスに話せ
隠せる罪を持たば イエスに話せよ
イエスに話せ イエスに話せ イエスに話せよ
思案せずに何事も イエスに話せよ
恐れに囲まれなば イエスに話せ イエスに話せ
明日の日気にかからば イエスに話せよ
イエスに話せ イエスに話せ イエスに話せよ
思案せずに何事も イエスに話せよ
死ぬるに安きなくば イエスに話せ イエスに話せ
まどえるその心を イエスに話せよ
イエスに話せ イエスに話せ イエスに話せよ
思案せずに何事も イエスに話せよ
"Are you weary?"
Lyrics J.E. Rankin 1888
Music E.S. Lorenz 1888
今晩、眠れない人がいたら、神に心を話し、祈って下さい。
私は、毎晩祈ってから休みます。気がついたら朝です。特に、心が苦しくて、祈って祈って祈って、「神さまーーーーー」と叫びながら寝た次の日の朝は格別です。
問題がなく、うまくいっている時は、「良かった、すべて順調だ、うまくいっている」と有頂天になり、祈ることも忘れてしまいがちです。
聖書は、こんなことを語ります。
「ある金持ちが、良い作物のとれる肥えた畑を持っていました。倉はいっぱいで、収穫物を全部納めきれないほどです。 あれこれ考えたあげく、うまいことを思いつきました。『こうすりゃいいんだ。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建てる。そうすりゃあ、作物を全部納められるさ。』ひとり悦に入った金持ちは、ふんぞり返って、われとわが身に言い聞かせたものです。『もう何も心配はいらないぞ。これから先何年分もの食料がたっぷりあるんだ。のんびり、楽しくやろう。さあ、酒だ、女だ、歌だっ!』しかし神は、こう言われました。『愚か者よ! あなたのいのちは、今夜にもなくなるのです。そうしたら、ここにある物は、いったいだれのものになるのですか。』(ルカの福音書12:16〜20)
私は、問題に囲まれていたとしても、祈る課題のある人は幸いだと思います。祈りにつながるできごとは、すべてが祝福です。
祈り、神様と交わりながらやすみましょう。
今日も守られて感謝ですね。おやすみなさい。
また明日ヽ(´―`)ノ
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