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2015年07月03日21:43

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「一日一シャ〈謝と謝と赦と写〉【87】」

http://9001.teacup.com/sfk/bbs/15855 (写真入り記事)

日光での2日目を迎えました。朝は、日中の蒸し暑さと打って変わって冷え込みます。こういう現象は、都会にいるとあまり体験することができません。自然は時に厳しい表情を見せますが、時に優しく包んでくれます。きれいな空気を吸いながら、不思議に体の調子が良いです。

喘息はもう完全にいやされました。お祈りありがとうございました。

神学生時代、東京の田舎である東村山に住んでいたことがあります。近くには、湖や小高い丘があったりして、とても自然豊かな場所でした。その環境のおかげで心がゆったりして、豊かだったことを思い出します。

土曜日になると、新宿駅東口にあるアルタ前に行って、路傍伝道(路上ライブ+辻説法)をしに出かけました。日曜日、都内にある教会に奉仕に行きましたので、土・日がスパイスのような刺激になって、バランスの取れた毎日を過ごしていました。

今は東京の中心部に住んでいます。環境の影響だけをまともに受けていたら心が枯れ、荒んでしまいそうになることがあります。だから、たまに田舎に来るとホッとします。

しかし、環境を変えなくても、田舎の退屈さに刺激を、また、都会の荒廃とした雰囲気にオアシスをもたらすことができます。それが祈りの力です。

二代目のイスラエルの王のダビデが歌った詩篇23編は、羊飼いと羊の関係が書かれています。

「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。」(詩篇23編1節〜2節)

しかし、この詩篇は、緑豊かな牧場で書かれたのではありません。荒廃としたユダの荒野のど真ん中で書かれたのです。

羊が羊飼いについて行ったとしても、喉が渇き、食べ物がなくて飢える経験をすることがありました。しかし、もうしばらくしたら、緑の牧場といこいの水のほとりに連れて行って下さるのです。

私たちの毎日が、どんなに苦しく、悲しく、寂しく、心が渇き、心が飢えることがあったとしても、羊飼いである神に祈るならば、神は私たちを一番良いところに導いて下さるのです。

今晩の講師の安食先生の講演の一節が忘れられません。

「神様は、一番良いところに私たちを導こうとしているのに、『嫌だ嫌だ!』と言って、自分の行きたい方向に進む時、みごとに祝福の横を通り過ぎてしまいます。」

「試練は、トンネルの中に入ったように真っ暗ですが、トンネルは最短距離で山の向こう側に抜けさせて下さいます。神様の導きも同じです。トンネルのように真っ暗に感じても、目的地に最短距離で到着することができます。」

今、皆さんがおられるところが荒野のような場所でも、あるいは、長いトンネルのような試練を通過しているとしても、大丈夫です。羊飼いである神に祈り、神の導きに従ってついていくならば、荒野は乳と蜜が流れる地に変わり、やがてトンネルの出口を抜けて、問題は解決し、祝福が待っています。

今苦しいとしたら、解決はただ一つ、祈りにあります。ともに祈りましょう。

「あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。」(ヤコブの手紙5章13〜16節)

今日も一日お疲れ様でした。おやすみなさい。また明日。

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