http://9001.teacup.com/sfk/bbs/15745 (写真入り記事)
日本人は、一緒に何かをするのが得意だと思います。昔は、こういう日本的な文化が煩わしくて、欧米文化の個人主義に憧れていました。
二十代でアメリカに留学をし、憧れていた西洋文化の中で生活をしました。
「日本の常識、世界の非常識。日本の非常識、世界の常識」と言われますが、日本とアメリカのそれぞれにいい面と悪い面があると感じました。
さらに、留学を終えて、帰国して感じたのは、理屈ではなく、私には日本が一番合っていると感じました。それ以来、日本の中に嫌な部分があるにもかかわらず、日本が大好きになりました。
私にとって外国留学は、深い意味があったと思います。
私が日本を好きでいられるのは、もう一つの国籍を持っているからです。天国です。
毎日、祈りを通して天国を味わっています。天国を通して日本を見たら、全てが輝いて見えます。
天国は私を生まれ変わらせ、祝福を与えて下さいました。
少し前にアメリカから来日したB・ウィルソン牧師は、「目の前の必要が召命だ」と語りました。
「目の前に、何かを必要としている人がいて、その必要が自分を通して満たせるなら、100%召しと思いなさい!」ということです。
ある人は、目の前に必要があっても、「神様に祈ってみます」と言って、即答してくれないことがあります。
もちろん、何かを決断する時に祈って決めることは大切です。
私が、講演や音楽の仕事を頼まれた時、即答しないで、必ず祈ってから引き受けることにしています。時には、断ってしまうこともあります。神様がその働きのために私を必要としておられるのかを確認したいからです。
しかし、今目の前で助けを求めている人がいて、助けたらその人の命が助かるのに、まず「祈ってみます!」というのは祈っているのではなく、自分で自問自答をし、損か得かを計算し、自分自身の身を案じているだけなのかも知れません。
天国を通して見たら、目の前に必要を求める人がいて、その必要が自分を通して満たすことができるなら、そこに「はい神様!」と言って仕えることが、神に仕える生き方だと信じます。
「ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、『マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください』と懇願するのであった。パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤへ出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。」(使徒の働き16:9〜10)
人は、神に愛され、人を愛し、神に仕えるために造られ、この世に生まれて来たのです。
今、あなたに神からの召命(使命)が与えられていませんか?
素敵な一日でありますように。
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