■立ちふさがる法律の壁 「同性婚」実現の行方
(JIJICO - 05月09日 18:00)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=180&from=diary&id=3408635
この愛が、お二人にとって 何者にも変えがたい 真実の愛であれば、立ちふさがるのは、法律だけではないはず。
恥ずかしながら、婚姻という契約を まだ一度しか経験したことのない未熟な身で考えても、近親者からの誤解。周囲からの誤解。異性からの誤解。 同性からの誤解。
こういった数々の「立ちふさがる壁」を撃破し、現実的な意味においても、心理的障壁の上でも(さながらATフィールドをこじあけるように)、自分自身の ”本当に自分はこの人と添い遂げられるのか、その資格があるのだろうか”にも言い聞かせながら、自分も周囲も説き伏せた後で、ようやく、法律の壁との ”最後の戦い”が待っている。
ネットやマスメディアを通じた、当人同士の事を 詳しく、あずかり知らないオーディエンスからの、批判の多くは、”大きなお世話”でできている。
あとは、ご本人たちが 自分自身の意思と継続力で乗り越えていかねばならない”現実の壁”だと思っている。
「誰にも迷惑をかけていない」婚姻という社会契約を認めるのは、周囲が禁じていればいるほど、絆はかえって深まってしまうものらしい。
神話時代では、神族と人種のハイブリッドが生まれる異種婚姻譚や、聖バレンタインの故事のように 政策的婚姻禁止令を破る例、非婚の戒律がある聖職者と寡婦が再婚する「スカーレットレター(緋文字)」のような婚姻などは、まだ異性婚だから さほど、社会からの反発も批難も少ないのかもしれないが、大抵、愛を貫いたものは、社会的制裁の憂き目にあっている。
そこで、当時者は 仕置きを与えた 無関係な人々も、はたと考える。
”彼らの婚姻は、そこまでの悪だったろうか?”と。
公序良俗を乱し、社会通念に抗い、従来の社会常識を踏襲しなかったことは、そこまで許されざる行為だったろうか。と。
あくまで、”前例がない”ことをしただけで、後の世も これに習う人の数よりは、はるかに異性婚や、生殖可能な家族計画としての婚姻の数のほうが多いので、人口は順調に増えに増えて、80億に届こうとしている。
爆発的な人口増加から、もう一つ 地球を殖やしたほうがいいのではないかと 第二の地球型惑星移住計画や、あちこちで自然資源の過不足を巡って、紛争さへ起きている。
かつて、ばら戦争は ヨーク家とランカスター家の婚姻で紛争状態を解決した、とも言われている。(実際は、また身内争いのような事が起きるのだけど)
おとぎ話のほとんども、婚姻を以って めでたし、めでたし と締めくくられている。
(子供心に、どこがめでたいんじゃ、あれだけ揉めていた国同士の争いが、一つの婚姻程度で治まる筈もなく、その純粋な愛ゆえの婚姻の結果である、夫婦生活の行く末が 不幸多からぬ事をと不憫に思われたが)
日本でも、群雄割拠の時代、表向き血縁の契りを結ぶ、実質的には 年端も行かぬ、まだ自分の意思決定を行えない未成年者同士の 人質交換と変らない、政略結婚というものが あちこちで行われていた。
婚姻後も、パートナーとの価値観の相違、婚家先の家族との人間関係、経済観念の違い、家事分担の意識の違い、生活習慣の違い、家族計画の誤算、育児の負担、楽しさや夢の実現よりも、現実的な生活不安のほうが、一人のときよりも、二人分、重く現実がのしかかってくる。
そう、余計なことを考えただけでも、法律など、まだ条文を変えてもらえば済む話であって、実際には、婚姻という制度そのものが、お二人の愛を貫く上で どれだけ最大の障害になっている事を、どれだけの人がわかっていて、果敢にもチャレンジしてるのだろう、と余計なお世話を考えてしまうのだ。
もう、他人の余計な負担を背負わせない、愛の保障だけが欲しい というのであれば、シンプルに条件を充たしていくためだけの婚姻制度など、極端に簡素化して、事実婚でもいいのにと思ってしまう。
「結婚」というものに求めるものを、愛や恋の成就といった終着点と考えるのと、生活の安定や維持にあると考える人でも、大きく 目的は異なると思う。
人生の終盤に差し掛かって、これだけ離婚調停が増えている時代において、何が”理想の結婚”か、人生の総決算なのか など、それこそ、周囲が当事者以上に気に病むなど、いらぬお世話になってしまう。
法律にもできることといえば、せいぜい婚姻関係の解消と責任の抹消くらいである。
この方達に、もっとも 望ましい結果がもたらされますようにと思いつつ、やはり、結婚というのは、個人の意思でも どうすることもできない、数々の問題をクリアしていかなければならないんだなと、面倒になってきた。
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