http://9001.teacup.com/sfk/bbs/15643 (写真入り記事)
試練とは、人生の中で思い通りにいかない体験のことをいいます。
振り返ってみると、「たくさんの試練を通ってきたなー」と懐かしく思います。
もし、神を知らなかったとしたら耐え切れずに、現実逃避しながら、「何で俺ばっかりこんな苦しい目に会わなければならないのか。」と嘆き、つぶやいていただろうと思います。
神を信じた後の試練は、神を「ズボン」にたとえるなら、試練は、ズボンを私の体に固定する「ベルト」の役割をしてくれています。
ゆるゆるのズボンにベルトをしなければ、簡単に脱げてしまいます。
先日、地元の育成会主催の講演会で、田代まさし氏の拘置所での話を思い出します。
覚せい剤を使用して逮捕され、何の楽しみもない中で、目の前の牢屋に入っている太った男を観察していたそうです。太っているのではいているズボンはダブダブです。拘置所では、そこに入れられた人が自殺をしないように、ベルトやネクタイは没収されます。
太った男が立ち上がると、ダブダブのズボンが下がって、裁判はこれからなので、まだ「判決」が出ていないのに、すでに「半ケツ」が出てしまったそうです。(笑)
ベルトがないと、ズボンがずり落ちてしまうという実話です。
人生が平穏無事な状態の時には、神を忘れ、神を必要としません。しかし、誰の人生であっても、必ず試練がやってきます。
このような試練に直面した時、神というズボンを体に固定するベルトをしめない人は、ズボンがずり落ちて、自分の醜態をさらすことになります。
家庭や職場、学校や地域での人間関係や、経済的な問題など、些細な試練は日常茶飯事だろうと思います。
どんな種類の試練であっても、試練というベルトで神様と私をしっかりと固定するならば、その試練から守られ、その試練が祝福に変わります。
自分の不甲斐なさのゆえの失敗で自責の念に苛まれていても、「神様、赦して下さい!」とベルトをかけるなら、神様と一体になり、その失敗から学び、成長し、宝に変わります。
予期せぬ試練に会って、「神様がいるのになぜ?」と疑問が湧いても、祈るならば、神とあなたはベルトでかたく結ばれます。
試練は決して悪いものではありませんが、普通は、試練を忌み嫌います。
神抜きで試練に会うならば、プラスになることはありますが、多くの場合はマイナスだからです。しかし、神を信じる人が会う試練は、試練というベルトによって神とかたく結ばれますので、感謝に変わり、祝福になります。
作家の三浦綾子さんは、病を背負いながら夫婦+神の三人四脚で人生を歩み、「病は私に取って宝である。」と語りました。
詩人であり、画家の星野富弘さんは、高校の体育教師として働いていた頃、空中回転の模範演技に失敗して首の骨を折りました。以来、首から下が麻痺して自分で動かすことができませんが、口に筆を加えて、詩と絵をかいて、多くの人を励ましています。星野さんは、「神様がもう一度生まれ変わらせて下さって、健康な体を下さるとしてもお断り致します。今のままで十分に幸せだから。」と語りました。
試練はあなたを不幸にし、神とあなたを引き裂くものではありません。試練に会って初めて自分の弱さを知り、神が必要であるとわかるので、神に信頼し、神を求めるようになります。そうしたら、神はあなたをご自分とベルトで固く結んでくださり、助けて下さいます。神はあなたを愛しています。
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