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2014年12月12日07:02

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「大きなことでは一致を、小さなことでは自由を、すべてのことに愛を 〜衆院選挙・政治のために祈りましょう〜」

http://9001.teacup.com/sfk/bbs/15380 (写真入り記事)

古代キリスト教の神学者、哲学者、説教者のアウグスティヌス(Aurelius Augustinus、354〜430)は、「大きなことでは一致を、小さなことでは自由を、すべてのことに愛を」という言葉を残しました。

私たちの社会を見ていると、「大きなことではバラバラで、小さなことで争っている」というような感じがします。

政治を見ていても、職場や学校、地域、友人知己、家庭などの人間関係を見てもどこでもそんなに変わりません。

利害・損得の感情が心を支配しているので、愛することができないのです。

大切なことは、「誰がやるか?」より「何がなされるか?」です。

先日、衆議院総選挙の公示がなされ、今度の日曜日に選挙が行われます。政治家を選ぶ上で大切なことは、「この人に政治家になってほしい」という考えも大切ですが、選挙は、単なる人気投票ではなく、その政治家の政策、人格、そして、その政治家を通して何がなされるかが大切です。そのような視点で、誰に投票するかを真剣に祈り、調べ、考えて行きましょう。

次に大切なことは、「個人の損得」より「全体の有益」です。全体の益の中には、個人の益が含まれます。しかし、個人の益の中には、全体の益が含まれていないことがほとんどです。

「個人の益」を求める心の中に、「他の人はどうであっても、私さえ得をし、成功し、幸せになればいい」という考えがあるとしたら問題です。

「私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。キリストでさえ、ご自身を喜ばせることはなさらかったのです。」(ローマ人への手紙15:1〜3)

全体の益を考え、全体が喜ぶことを考えたら、それが、自分にとっても一番の益であり、喜びになるのです。

自分だけが益を受け、一人勝ちをし、自分一人が喜んでいるとしたら、その喜びを共有する人があまりいません。その喜びは、聞いた人には喜びではなく、反感を買うことになったり、ねたみの対象にしかなりません。あるいは、好調で上向いている時だけは、ゴマをすって近付いて来る人はいても、風向きが変わった途端に一人ぼっちになります。だから、多くの成功者と呼ばれる人が孤独なのです。

しかし、全体の益を考えたら、みんなが益を受け、WIN-WINとなり、みんなが喜び、みんなで喜びを共有できます。私の喜びがみんなの喜びとなり、みんなの喜びが私の喜びとなります。反対も言えます。好調な時も、風向きが変わっても、一人ぼっちにはなりません。私の痛みがみんなの痛みとなり、みんなの痛みが私の痛みとなって、共に支え合い、助け合い、共生し、共存できる社会が作られていきます。

そのためにどうしたらいいでしょうか?

アウグスティヌスが言った、「大きなことでは一致を、小さなことでは自由を、すべてのことに愛を」の心で生きることです。

ここで言う大きなことは、「全体の益」を考えることです。

政党や政治家の政策、政権公約が、日本国民の益、しいて言えば、地球全体、全人類の益を考えた結果として出て来たものであるならば、各党・各政治家の多様な政策は小さなことです。

全体の益を考えるために必要なのは、全人類の創造者であり、天のお父さんである神を信じることから来る愛です。

「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物として御子を遣わされました。ここに愛があるのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。」(ヨハネの第一の手紙4:10〜12)

歴史や現状を見て、クリスチャンが愛に生きているか?を見たら、きっと、そうではない現実をあちらこちらで見させられます。

しかし、神の愛は、そんなキリストの名前を汚すクリスチャンを排除せず、兄弟と呼ぶことを恥と思わず、赦し、愛し、成長することを期待して、養育し、導いて下さっています。

もし、「あなた、それでもクリスチャン?」と思える人がいたら、そういう人だからこそ、神が必要なことを理解し、自覚することができたのでクリスチャンになれたのです。もし、「それでもクリスチャン?」と思える人を見たら、こう思って下さい。もしこの人がクリスチャンでなかったとしたら、もっともっとひどい人であった、と。

神を信じるとは、無条件で一方的に与えられた神の愛を信じ、受け入れることです。

「私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」(ローマ人への手紙5:6〜8)

「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたし(神)はあなたを忘れない。 」 (イザヤ書49:15) 

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ書43:4)

神を信じ、全体の益を願い、「大きなことでは一致を、小さなことでは自由を、すべてのことに愛を」願い、住みやすい社会、国家、国々を作って行きたいですね。それは、私たちの小さな決断からはじまります。

今日もすばらしい一日でありますようにお祈りいたします。

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