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2013年05月11日22:46

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【旅行記】2013.4〜5: チュニジア―ケロアン・スベイトラ―

君はモスクに祈る娘
              金曜日のライオン/TM NETWORK




早朝、アザーン*1で目が覚めた。

チュニジアの宿は、どこも簡単な朝食が出る(パンとコーヒー程度)。朝食を取っていると、近くに座った男性が話しかけてきた。ちなみに、チュニジアでは外国人と見るとフランス語で話しかけて来る人が圧倒的だった。フランスの植民地だったので、フランス語の通用度は高い。ただ、あまり教養の無い人は話せないらしい。旅人の皆様には、「香港での英語通用度=チュニジアでのフランス語通用度」と言えばおわかり頂けるだろうか。
ちなみに私は大学の第2外国語でフランス語を選択していたので、全く出来ないというわけではない。今回の旅行の為に復習だってした。そしてチュニジアでは英語の通用度が低かったので、こんな僅かな知識でも正直だいぶ助けにはなった。(当時の成績を考えると、内心もう少し出来ると思っていたのは内緒w)
ただ日常会話が出来る程ではないので、フランス語は少ししか出来ない旨を男性に伝えると、英語に切り換えてくれた。 男性は大学の教授で仕事でケロアンに来たらしい。この機会に、本日行く予定のスベイトラについて聞いてみる事にする。 スベイトラはケロアンからルアージュで1時間半程行ったカスリン県にあるローマ遺跡だ。しかしこのカスリン県、日本の外務省的には「渡航の是非を検討して下さい」地域にギリギリ入る。そんな地域にあるので、ドラクエ式に現地で情報収集してから行くかどうか決めようと思っていた。 ちなみに昨日出会った英語の話せる人に聞いた時の反応は以下。

・宿の従業員→え?全然危険じゃないし。ここからそんな遠くないから、行くと良いよ。
・レストランを教えてくれたインテリ男性→あの地域は経済的にちょっと問題があるんだ。でも観光客には何もしないから、大丈夫だよ。(外務省が渡航禁止にしている理由も貧しさからくる犯罪率の高さ)
・そしてこの大学教授→私は行った事はないが、全く問題無いと思う。観光客には危険は無いよ。

よし、行く事に決定。だかその前にケロアンのグランドモスクに向かう。グランドモスクは14時に閉まってしまうので、スベイトラから帰ってきてからでは間に合わないのだ。

ケロアンの歴史は古く、7世紀後半頃ウマイヤ朝の軍の駐屯地が置かれたのがその起源とされる。その後、数々のイスラム王朝の首都として繁栄したが、11世紀にベドウィンの侵略を受け衰退。首都はチュニスに移った。ケロアンはイスラム教スンニ派にとって、メッカ、メディナ、エルサレムに次ぐ第四の聖地として知られており、イスラム圏から数多くの信徒が巡礼に訪れることでも知られる。旧市街は城壁で囲まれている。私が好きな「城壁の街」だ。

ケロアンのグランドモスクは7世紀半ばに建造された、アフリカで最古のグランドモスクとして知られる。長方形の広場を無数の円柱が美しい回廊が囲み、数年前に訪れたスペインはコルドバの「メスキータ」を彷彿とさせる。モスク内部のシャンデリアも豪華だ。

ん?というか、後でガイドブック見たら、なんか非イスラム教徒はモスクの内部には入れないって書いてあるけど。でも係員に止められなかったよね…。
まさか…
私、モスク見学の時にはインドネシアで100円で買った現地のイスラム女性がよく被ってる「髪隠し」を被ってたんだけど、イスラム教徒に間違われたwwwwww

ラッキー――――!(良い子は真似しちゃダメです)。

さて、グランドモスクの見学も終ったので、ルアージュでスベイトラに向かう。ルアージュは中々人が集まらず、30分以上待って出発。隣に座った若い男が、例のフランス語→英語の流れで話しかけて来た。彼の名はサマール、大学生で実家のカセリンに帰省する途中。サマールと時々会話(話題は日本の事が大半)をしつつ、車窓を楽しみ1時間少しでスベイトラに到着した。が、スベイトラのルアージュ乗り場から遺跡までは少し距離がある。と、私が遺跡を見に行く事を知ってるサマールが、違うルアージュに乗せてくれ、彼も一緒に乗り込む。「?」となっている内に遺跡入口に到着した。どうやら彼は、自分が乗り換えたカセリン(実家)行きのルアージュに頼んで、遺跡入口で止まって貰ったらしい。もちろん無料。

な…なんていい奴なんだ(泣)

何度も礼を言い、颯爽と去っていく彼の背中を見送り、チケットを購入して遺跡に入場。 遺跡内には既にヨーロッパ人の団体ツアーが2つ程ウロウロしていた。外務省が渡航について慎重になっている故に日本の大手旅行社のツアーでは寄らないスベイトラだが、他国はそうでもないらしい。
スベイトラはチュニジアでのビザンチン時代終焉の地と呼ばれる。7世紀半ば、ビザンチン帝国(東ローマ帝国の別名)のチュニジアでの最高責任者グレゴアールが帝国からの独立を宣言し、自ら皇帝と名乗りこの地に首都を築いた。しかしアラブ兵2万人の攻撃を受け壊滅し、ビザンチン時代が終焉した。
この遺跡のメインとなるのは、ミネルバ・ジュピター・ジュノの3つの神殿から成るフォーラム。その周囲を劇場や浴場(テルマエ・ロマエみたいな)教会等が囲む。
神殿と劇場以外はほとんど原型を留めていないのだが、その崩れ具合がなんとも良い感じ。所々モザイクも残っていて、見ごたえがある。
2時間程ウロウロした。遺跡に囲まれてし・あ・わ・せw

見学を終了して、少し遠いが歩いてルアージュ乗り場へ。
だがこの道の途中で、私はこの地域の抱える問題を目の当たりにしてしまった。物乞いの子供に囲まれたのだ。ケロアンでは大人の物乞いさえも見なかったというのに。取り合えす、手持ちの飴でごまかした。インド等での経験から、遊びでやっている場合は大抵これで引き下がる。が、彼女達は引き下がらない、あくまで金をくれと言う。全速力でダッシュし、その場を逃れるしかなかった。
ランチはルアージュ乗り場の近くの売店でサンドイッチと梨のジュースを頂く。具材を自分で指さし指定できる仕組み。割と何処にもこのサンドイッチを売る店があったので、旅行中のランチはサンドイッチ率が高かった。
帰りのルアージュの車窓を見ていると、幹線道路沿いに何やら赤い実を日干しにしているのが目に付く。隣の女性に片言のフランス語で「あれは何か?食べられるのか?」と聞くと「ファージュ(?)という名前で。食用との事」。見た目はトマトの様だが、どうやらサボテンの実らしい。

ケロアンに戻ってきたので、残りの観光を済ませる。ルアージュ乗り場から歩いてシディ・サバブ霊廟へ。イスラム教の草創期に活躍した聖者、アブ・ザマ・エル・ベラウィの霊廟だ。ここは美しいタイル画が特徴だが、ウズベキスタンのモスクやスペインのアルハンブラに比べるとやはり見劣りはする。ただ、それらに行った事が無ければそれなりに感動できると思う。私が見学していると、ぐったりした様子の5歳位の男の子を抱えた女性が通り過ぎた。

まさか…これは割礼*2? (((( ;゚Д゚)))

気を取り直して、更に歩いてアグラブ朝の貯水池。9世紀に造られた円形貯水池で、現在も使用されている。観光案内所の屋上から見学した。
旧市街に戻り、三つの扉のモスクとガリアーニ霊廟を外から見学(イスラム教徒以外は中に入れない)。そしてビル・バルータ、イスラム教の聖地メッカに通じるという伝説がある井戸だ。17世紀、オスマン帝国時代の太守モハメッド=ベイにより、井戸を囲む白い建物が建造された。井戸にはラクダが繋がれており、その動力で水を組み上げる仕組みだ。チュニジア人観光客達はこの水を飲んでいたが、私はとてもその気になれず。
一通り見学が済んだので、メディナ(旧市街)を彷徨う。あえて地図を見ないで、白壁の狭い路地を歩く。日が沈み始めるまで、1時間ぐらいは彷徨っていたように思う。
宿に戻って少し休憩し、夕食は近くのレストランでブリックのセットを。ブリックは、卵や野菜を春巻きの様な皮で包んで揚げた料理だ。私はクスクスよりこちらが気にいった。調子に乗って地ビールも頼む。チュニジアでは飲酒は禁止されてはいないが、ここはイスラムの国。酒類を出す店はあまり多くなかった。ネカフェでネットを少しして、就寝。

人の温かさに触れた一日だった。こういう事があるから、日本で困っている外国人を見ると、助けようと思うのだ。

ケロアン観光地共通チケット:9D
スベイトラ入場料:8D
ルアージュ:16D
タクシー:3D
ランチ:4D
ディナー:10D(ビールが高くついた)
ネット:1D
水:1D

合計:52D=3276円

*1…モスクから礼拝を呼びかける声。大音量。
*2…アソコの一部をちょんぎるイスラム教の儀式だお…



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