今朝は、早起きをしたおかげで、きれいな朝日を見る事ができた。
『早起きは三文の徳』 と言うが、当時の三文とは現在のお金に換算すると100円程度らしい。
そんなに大したプラスではないが、それがまたいい。
三文の”得”と書いてある辞書もあるようだが
”得”と”徳”の違いは何だろうか?
気になったので調べてみた。
”得” というのは、利益に大して 損、得というプラス、マイナスの考え方であり
”徳” というのは、単純に財産を示す場合もあるが、精神の修養によってその身に得たすぐれた品性であったり、 天からのめぐみや恩恵、また神仏などの加護を示す言葉だそうで、要は良い事があるという意味なので、こっちの感じの方が正しそう。
儒教などの思想を色濃く受けた言葉だ。
”天からの恵み” という言葉も面白い。
雨が長く降らなくて、久しぶりに降った雨は天からの恵みと言えるだろう。
天を神様に置き換えてみると
”神様からの恵み” ちょっと宗教っぽい。さらに具体的な名前を出してくると
”ヤハウェからの恵み” ”ポセイドンからの恵み” ”アラーからの恵み” ”キリストからの恵み”
(正確に言うとキリストは神ではないが)
などという響きになる。
天と、神とはすこし違う……、いやかなり違う。
天意とは、自然にそうなる方向性を示し、天とは森羅万象の法則を示す。
神には意志がある場合が多いと思われるが、天には意志はなく、むしろ偶然性自体が天のように思う。
天に意志があるのであれば、非常に善人な人や無垢な子供が病気や事故や戦争で死ぬ事もないと思うし、極悪人が世にのさばる事もないと思う。
天に意志はなく、地にあるのは偶然性から生まれる法則や、集団を守る本能から生まれる規則。
自分を守るエゴと集団を守る本能の織り成す不協和音。安心という必然性と自然という偶然性の綱引き。
世の中に絶対という事は少ないが可能性が高い事はたくさんある。
それにより、習性や方向性が決まる。
その方向の大きなグループが大衆をまとめて管理するのだが、一部の改革派、破壊派、反社会主義者は常に存在する。その%までほぼいつの時代も似通っていると思う。
改革派はそのほとんどが淘汰されるのだが、その中で正当性を認められたグループが拡大し、いずれはそれが大衆派になる。
しかし、また新たな改革派が生まれる。
すべては波のように小さく引いては押し、入れ替わっては同じ事を繰り返す。
それは神がそうするように決めたのではなく、自然にそうなったのだ。
ただ最初から、そうなるようようにしか進まないのであれば、それが天意そのものなのだと思う。
森羅万象の法則こそが天意。
だから、その天からの恩恵がもらえる事というのは、自然から得をもらえる生き方という事だろう。
今朝は、これを考えた事で、すでに100円分くらいは儲けた気がする。笑
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