昨夜は稲光が輝きどうなる事かと思っていたが、今朝は土砂降り。
傘の要らない鉄道旅行とは云え歓迎したいものでは無い。
5時30分に起床し慌ただしく出発。
陸羽東線の一番列車は古川発6時02分の鳴子温泉行き。
リクライニングシートのキハ110で、これも急行「陸中」に使用されていた車輛だろうか。
昨日、指定席で乗った車輛に普通列車の自由席で乗るのはなかなか小気味が良い。
田園風景に揺られながら弁当を食べていたら次第に気分がよくなって来た。
天気予報だと宮城県一帯は雨だが、東大崎辺りで雨も上がり所々青空も見えて来た。
岩出山で15分停車するから、駅前に出てみた。
ポッポランドとか云う、気になる施設があったが早朝過ぎて開いていなかった。
伊達政宗に縁のある土地らしく「政宗公まつり」なるイベントがあり、案内のポスターが溢れている。
此方の甲冑巡りはやってみたい。
駅前には小京都岩出山の案内があるが、小型のディーゼル機関車にどんな由来があるのかは解らなかった。
列車に戻ろうと再び駅舎に入ったら、先程は気が付かなかったが甲冑を展示していた。
一度、時間を取って遊びに来てみたい所である。
池月を過ぎると登り勾配に掛かる。
雨が降ったお陰で立ちはだかる山々に靄が掛かり、何とも美しい。
鳴子温泉が近づくと、また雨が降って来た。
このまま新庄まで行きたいが、7時02分に終点の鳴子温泉に到着、泣く泣く下車。
鳴子温泉はこけしで有名な山あいの温泉地。
福島県の飯坂温泉、宮城県の秋保温泉とともに奥州三名湯に数えらる名湯で、源義経と静御前の子供の産湯に使われたことから「啼き子(なきこ)」と呼ばれ、それが転じて「鳴子」となったという伝承がある。
鳴子温泉では下駄履きで温泉街を歩いて巡る「下駄も鳴子」というキャッチフレーズを打ち出しており、情緒のある温泉街で一度は泊まってみたい所だ。
7時24分、新庄行きが発車。
車輛は一般型のキハ111だが二人掛けのボックスシートがあった。
高台から街を見下ろして走るのは良い心地である。
それが尽きるとトンネルが連続し、山の中に入って仕舞う。
中山平温泉を過ぎると完全に山岳路線になる。
人家は見えず行けども行けども山と森だけになる。
堺田は日本海と太平洋を分ける分水嶺の駅。
ここからは基本、下り勾配となる。
段々と視界が開ける。
新庄には8時25分到着。
新庄も10年振りで駅の様子が大分と変わっている。
奥の細道と松尾芭蕉が売りなのは昔からだが、ギャグ日のお陰で見方が変わって仕舞う。
夏祭りの山車が展示してあり圧巻。
9時発の山形行きはがに股の719系5000番台。
山形新幹線と併用だから標準軌の台車を履いている。
集団見合い式のクロスシートは狭っ苦しい。
新幹線が何本も走っているから、交換やら追い抜きやら、なかなか先に進まない。
睡魔に襲われ要所要所で目を醒ましながら10時24分、山形に到着した。
次は初乗りの仙山線で、10時36分の発車。
車輛はE721系で、E231系の様なボックスシートは硬くて座り心地が悪い。
ただ、シートピッチは若干広いみたいで足元は楽だ。
山形から北山形の間に山形城が左側を掠める。
羽前千歳で奥羽本線から離れ仙山線へ入る。楯山で最初の交換を行う。
車窓右側は山が迫り曇っている。
左側は町や村で晴れている。
町が尽きて段々と山が迫って来る。
勾配もきつくなって来て、山寺に到着した。
立石寺の最寄り駅で可成りの降客がある。
山寺を過ぎると本格的な山岳路線。
眼下に谷川が流れ木々が列車にまで迫る勢いで生えている。
木々も下草も全てが緑一色の中を走る。
山寺の次の駅が面白山高原。
変わった駅名として度々紹介される。
ホームに「面白山高原駅 標高四四○メートル」の碑があった。
発車すると直ぐに仙山トンネル、俗に云う面白山トンネルに入る。
仙山トンネルは、かつては清水トンネル、丹那トンネルに次ぐ流さを誇り日本三大トンネルと云われていた。
そして、山形県と宮城県との境になっている。
トンネルを抜けると下り勾配で、迫り来る緑の中を走る。
山から流れ出る川が滝になって落ちている。
作並を過ぎるとようやく、視界も開けて来た。
ニッカウヰスキーの工場があるらしく国道沿いに案内が見える。
秋保温泉の玄関である愛子まで来ると、最早、仙台の郊外と云った雰囲気になり、仙台からの区間列車も多い。
「愛子」と書いて「あやし」と読む難読駅名でもあり、近年では敬宮愛子内親王殿下と絡めて人気の高い駅でもある。
12時05分、仙台に到着。
12時20分発の東北本線松島行きに乗り換える。
時間があったので、構内のパン屋でサンドイッチを買う。
松島行きを8分足らずで乗り捨て、岩切で途中下車。
ここから東北本線の名無し支線である利府支線に乗り換える。
この区間は元々、東北本線だったのだが、最大16.7‰の勾配が存在し、蒸気機関車時代では長大列車に補助機関車を連結する必要があった。
更に列車の遅れや運休がしばしばあり、大東亜戦争が激化すると、貨物輸送力増強の為、勾配緩和のための新線を開業させた。
当初は貨物輸送のみだったのだが、戦後になると沿線人口が多く、松島などの観光地も近い新線側がメインルートとなり、旧線は普通列車による地域輸送が主体となった。
しかし、新線側の複線化が進むと両ルート併存の意味も薄れて旧線側が廃止されることになった。
所が新線ルート上に利府駅の代替となる駅がない為、利府駅周辺の利用者の便を図って岩切から利府の間は廃止を免れ、枝線として残った。
こう云う経緯の為、東北本線のたった二駅のこの区間だけが未乗であった。
昼間は特に本数が少なく、約30分の待ち合わせで乗れるのは接続の良い方であろう。
列車はワンマンの701系2輛編成で利府と岩切の間を行ったり来たりしている。
利府からの電車はそれなりに降りて来たが、折り返しの利府行きは私を入れてもたった8人。
今まで残っているのが不思議な気がする。
12時59分に発車すると、新幹線総合車両センターが横に広がる。
その隅に間借りする様な新利府に到着。
そして、新幹線総合車両センターの線路が尽きた先が利府。
13時05分到着、僅か6分の為にやって来たと云っても過言では無いが、何はともあれ東北本線もようやく全線走破。
折り返しの岩切行きは13時18分。
多少時間があったので駅舎など撮影。
岩切行きはまずまずの乗車率。
再び新幹線を横に見て、13時24分に岩切到着。
13時33分発の仙台行きに乗り換えて、仙石線の仙台とあおば通の一区間を片付ける。
あおば通は2000年3月11日に仙石線の地下化延伸により開業した駅で、この区間のみ未乗車。
東北本線が仙台駅の手前の停止信号に引っ掛かり若干遅れた為に予定していた13時53分の電車にギリギリ間に合わず、次の14時08分まで待つ羽目に。
電車を待つ間に13時58分発の高城町行きが来た。
本来ならこの電車で折り返して来たのだが、間の悪い事に石ノ森章太郎電車だった。
地下駅で15分待つのは辛い。
ようやく来たあおば通行きに乗り、僅か1分であおば通到着。
これで仙石線も全線走破。
あおば通は地下駅でありながら、仙石線の駅の中では標高が20.8mと一番高い。
入り口に至っては、松島海岸から陸前浜田の一番高い地点よりも高くなっている。
折り返しの14時20分発の高城町行きに乗り、14時21分、仙台に到着。
予定よりも20分以上も遅れた為、14時29分発の福島行きは可成り混んでいた。
14時55分に槻木に到着。
阿武隈急行に乗り換える。
次の福島行きは15時丁度の発車。
阿武隈急行8100系の内装は国鉄匂いが漂う。
阿武隈急行は元々は国鉄丸森線で、東北本線の勾配をパスする為に建設されたバイパス路線の一部。
東北本線が複線電化され必要が無くなった為に工事中止のまま、阿武隈急行に引き継がれ福島まで全通した。
今まではいつも本線経由だったので今回が初乗車。
流石は東北本線のバイパス線として建設されただけあって、東海道本線新垂井の様なダイナミックな高架で東北本線を越える。
路線も本線クラスの高規格でカーブも少なく、速度も速い。
その分、路線は単調で田畑だけが広がっているだけの路線でもある。
恐らく第3セクターになってから利便性向上の為に増やしたんだろうが、駅間が多い。
バイパスとしての役目が消えた今となっては、地元民に如何に乗って貰うか、これしか道は無いのだろう。
角田を出ると左手にロケットの様な白い塔が見えた。
あれが何かは解らないがテーマパークか何かなのだろうか。
丸森は国鉄時代の終点。
特に目指した訳では無く、第一期開業区間が槻木から丸森だっただけの話。
しかし、今でも運用上の要所らしく、列車交換を行う。
乗客も可成り降車したようだった。
15時26分に発車。
丸森からは阿武隈急行によって開業した新線区間。
車窓左側には阿武隈川が流れ、長い鉄橋で渡る。
なかなか雄大な景色だ。
トンネルも多く、駅間も長いのか快調に飛ばしている。
所々に複線対応の路盤の跡がある。
鉄橋で渡ってから、車窓の右側に阿武隈川が流れるが、西日が差して目が痛い。
富野を過ぎると山越え区間は終わり、平地を走る。
その為、駅間が短くなる。
伊達氏の故郷、梁川では列車交換があり、車掌が乗務する。
車輛基地もある中核駅だ。
保原まで来ると結構な町で、富士通などの工場もある。
住宅も増え、福島のベッドタウン的な性格になるなだろう。
高子の駅前は小綺麗な住宅地であった。
瀬上で最後の交換を行い16時18分、福島に到着。
ホームは福島交通と共用だった。
一度、改札を出て駅前を大回りしてJR福島駅に到着。
4番ホームに着いたら16時29分発の黒磯行きが出る所であった。
719系の黒磯行きは立ち客も出る盛況。
何とか先頭のロングシートに空き席を見付けて着席。
いよいよ、東北に別れを告げ関東へ向かう列車に乗って仕舞った。
福島を出て暫くすると高台を走り、町を見下ろすので眺めが良い。
上下の路線が離れ山の中を掻き分けて進む姿は蒸気機関車時代の雰囲気を残しているようにも感じた。
松川事件で有名な松川を過ぎたら睡魔に襲われた。
目を開けたら郡山で、水郡線のキハ100がチラリと見えた。
睡魔には勝てず、また爆睡。
次に目が醒めたら白河だった。
白河から新白河を過ぎ、福島県から栃木県に入ると黒雲に覆われた。
18時33分に黒磯に到着。
「ムーンライトながら」が大垣駅に到着した時のダッシュの如く乗客が次の宇都宮行きを目掛けて走る。
忽ち211系の宇都宮行きの座席は埋まり立ち席も出た。
此方はほぼ先頭だったから、悠々と座席を取る事が出来、18時35分に宇都宮行きは発車した。
黒雲も被っており時間も時間だから、もう辺りも薄暗くなって来た。
次の那須塩原では新幹線からの乗客でまた更に混んだ。
日もどっぷりと落ち、やる事も無くぼうっとしていたらいつの間にやら宝積寺も過ぎて宇都宮へ到着した。
乗客は相変わらずの乗り継ぎダッシュだが此方は宇都宮泊り。
ホームの野洲そばでそばを手繰ってホテルへ向かう。
ホテル名を勘違いして東武宇都宮西口の東横に予約を入れてしまったので、30分程歩いた。
今夜は203号室で東北の旅を終える事となった。
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