私もずっと感じていた事なのですが、
文章力が無くてうまく書けずにいた事を書いてくれていたものを、つぶやきから見つけたので転載させていただきます。
http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/623b4e9e109962dca1bbcbeb243efe7c
自分の命、大切な人の命以外で、最後まで大切なものは何一つありません。
2012-05-26 14:49:10 | 福島第一原発
喉が痛む中、新幹線で講演の会場に向かう途中に書いています。
僕がこの一年あまりの中で、いろんなことをしてきて、いろんな人々とすれ違い、いろんな人々と話してきました。
おそらく見も知らぬ人たちと、これだけ多く話すことになるとは、僕の人生でも、やはり他には考えられない経験です。
こうした経験を通して、ずっと疑問があります。
多くの人々が、あまり自分の命を守るということに、そんなに重きを置いていないのです。
というか、僕に語らいかける人々の話を聞いていても、みなさん、ご自身の都合や症状のお話はされるのですが、
自分の命をどう守るのかということについて、そんなに重視されていない。
あんまり自分の命のことを考えていない。
これは老若男女問わず、似たような状態です。
僕はなんなんだろうと考えています
「死が怖い」という感情はあると思います。「病は嫌だ」という感情も。しかし、命を守るという積極的な問いかけが少ない感じがしています。
もうちょっと書くと「生きたい」という内面の強いエネルギーを感じられる人がほとんどいない。
これは、本当に不思議なことです。
おかあさんたちが、まだ放射能を防御することに一生懸命なのは、まだこどもの命を守りたいという熱意はあるのです。
こどもに対しては、このことを意識しているほとんどのお母さんの思いはあると思います。
しかし、それも自分には向いていない感じを受けます。母という役割の義務のため、子に意識を集中している。しかし、自分に対しては薄い。
生物として、さらに人としても、自分の命への思いが本当は希薄なことを特に感じます。
「放射能防御」「健康被害からの回避」ということを強く言うと、僕が生に執着していることをおかしいというような言説があるようです。
生きるという事や命ということに、人間がこだわらなくなったことの方が僕には本質的におかしいと思います。
もし、命や生きていくことに拘らないなら、あなたたちが何に拘っているのかという事です。
家、ローン、金銭、所得、地位、会社、肩書、ステイタス、世間体、仕事、対人関係。大体こんな話ではないでしょうか。
こうしたものは個別にはいろんな問題があるとは思います。
でも、僕からみれば「命を守る」「生きていく」ことよりも大切なことはほとんどありません。
僕の考えが、今の日本人の多くの人には、まだ「奇怪な話」と受け止められています。
多くの日本人たちは、自分の命も守る意識も強くなく、生きていくことに敏感ではないのだろうと僕は思います。
これは、安定的な社会が数十年を経過し、その体制が固まった中で、循環している澱みのようなものだと考えます。
新しい流れをいろんな形でおこすことにためらいがあり、そのまま状況に流されていくことしか、多くは解決策を持たないのだろうと理解しています。
その中で澱んでいれば生の実感は希薄になり、命を守るということそのものが、ドンキホーテの所業のように見えてくるのかもしれません。
命を守ること=病院にお金を払うことやより有名な病院に行くこと。こうした図式だけの人も多いと思います。
相談の電話を聞いているとさらに強く感じます。
どうしても自分の命を守りたい、生きるという強い思いがないと、子供たちの命も守れるとは僕は思えません。大切な人の命も守れません。
自分を守らない人間が、他人を守れるレベルに達しているのかは、根本的に難しいと僕には思います。
命を守ることを我執という言い方をして、批判する愚かな人々もいます。
こういう人々がすべての欲を捨てて、無欲になって、生きているのであれば、まだ議論の余地がありますが、大概の場合において、他の日常に絡め捕られているだけです。話にもなりません。生きることよりも、緩やかな日常だと思い込み、ただ日々をごまかしているだけです。
自分の命に拘らず、子供のような大切な人の命に拘らず、違うものに固執しているだけです。
意識が浮揚することがあります。命や生きることを実感できない場合。離人症ほどひどくはないかもしれませんが、非常に軽度にはそれに近い状態です。こうした放射性物質の危険が存在するエリアでは、その危険そのものを直視したくないですし、ごまかして過ごしたいという深層心理は当然働きます。こうした中で、おこりやすいのが自分の中での意識を、身体から少し離してしまう在り様です。すこし浮揚している。その方が気持ち良いから。意識と体がゆるやかにしかつながっていないので、体の変化が微細には意識されなくなります。意識しにくくなります。
被曝エリアである関東・南東北で、こうした無意識のスタンスを、潜在下でとっている人は多いと僕は思います。だから、いろんな微細なシグナルを見落とす可能性も強まる構図です。
浮揚した意識をきちんと自分の身体性に引き戻すこと、そして微細な自分の肉体の変化を確認すること、自分が何者であるのかを確認すること、それゆえに、自分の命を守り、自分は生きていくのだという事。自分が生きていくことは、さらに、子供は当然として、自分にとって、大切な人が生きていくことも必要なのだと、はっきりと自覚すること。子供も含めて、他者との本質的な関係の構築は、その相互認証・相互関係でしかありえないということ。勿論、自分が生きるという事と密接に連関しているということ。自分が生きることは、大切な人も生きること。自分の命を守ることは、大切な人の命も守ること。
それを支えあうのが、時に「家族」であったり、また「社会」、そして本来は「国家」であるべきはずという事。
僕はこうしたことを考えながら移動しています。それでも、多くの人に書いている意味が伝わらないだろうなとも思っています。
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「関東・南東北の被曝エリア(東京全域を含む大半のエリア)にいる皆さんは、放射性物質の少ないエリア、できれば愛知県から西のエリアに、移住するべきです。妊婦、子供、未成年、妊娠可能な女性は優先して移住すべきです。他の皆さんも極力移住してください。被曝から一年が経過しています。初期被曝は深刻で、慢性被曝の影響がさらに危険です。食物、飲料のみならず、吸気による被曝も軽視できません。回避する方法は限定的です。あなたやあなたの家族の命が何よりも大切です。一刻も早く移住してください。」
「健康被害と思われる事象が顕著にあらわれている方は、僕までメール下さい。事故発生当時の行動記録や数値データなどを細かく教えてください。問い合わせの内容も書いてください。健康被害の状態を皆で共有化し、事態の推移をあきらかにしていく作業が最も必要です。
nagaikenji20070927@yahoo.co.jp」
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同じように、これ↓でも福島からの問い合わせがほとんど無いって言ってました。
http://ameblo.jp/64152966/entry-11259050642.html
思わずゾッとさせられた福島の奥深い謎と闇
郡山市 「 突然死 」 続出 ・・・
今日の 夕方に、
郡山市 に住んでいらっしゃる方と、電話で お話ししました。
わたくしに、電話をくださる方々は、ほとんど、関東圏の方々でしたので、
びっくりいたしました。
その方は、昨年から、
ご自分の周囲にいる方々の 「 突然死 の 多さ 」 について、
強い 【 疑念 】 を お持ちの方で、
保健所にまで、問い合わせをしてくださっていた方です。
その方の 周囲にいらした
「 突然死 」 をされた方々は ・・・
★ 昨年 6月に ・・・ 高校 3年生 が、風邪か何かで 総合病院に通院し、
そして、入院し、たった 2 週間で、亡くなられました。
★ 昨年 7月 に ・・・ 40代 ( 女性 ) 50代 ( 男性 )
★ 昨年 6月 に ( 1人 ) ・・・ 7月に ( 2人 ) ・・・ 12月に ( 1人 )
★ 昨年 12月 に、「 風邪 」 で 入院していた方が、「 肺炎 」 で亡くなりました。
★ 今年の 4月に ・・・ ( 21歳 ) の方が、夜に 「 眠ったまま 」 亡くなっていました。
あまりにも 身近な方々の 「 突然死 の 続出 」 については、
わたくしに、語ってくださった方も、
【 こんなこと、体験したことがない 】 と おっしゃっていらっしゃいました。
「 不審死 」 については、
通常、「 行政解剖 」 が、行われます。
しかし、
それすらも、「 行われなかった 」 ということです。
その方は、直接、「 保健所 」 へ 行った そうです。
すると、
返ってきた 言葉 は ・・・
【 少し、( 死亡した方が ) 多いね 】 ・・・ だけだった といいます。
それよりも、何よりも、
わたくしが、 いちばん 驚いたことは、
「 福島県内 の方から、お電話 を受け取ったこと 」 です。
「 反原発 運動 」 に関しては、いろいろな方と、つながっています。
しかし、福島県内の方 は、「 異変 」 について、
なぜか、語りません。
これまでは、関東圏の方々が、
お電話で、「 避難 したい 」 と 言ってらした のに、
福島県内の方からの 「 声 」 が、なかったのです。
わたくしは、それが、不思議でした。
あれだけの 【 原発 事故 】 で、
異変が起こらない はずが、ないのです。
その方も、驚いていらっしゃいました。
福島県民 からの お電話が、
「 自分 が 最初 だった」 ことに ・・・。
岩上さんのインタビューに、応じてくださった 川俣町の方は、
姿も そのまま、ボイスチェンジャーも使わずに、
ありのままを 語ったくださいました。
その方 は、わたくしに、お電話をくださいました。
しかし、みんな、何事もなかったように 暮らしているのが、
わたくしには、不思議でなりません。
以上転載終わり
命が無くなってしまったら、今こだわっているものも失ってしまうという事を考えた事はありますか?
私は本能に従って昨年日本に帰国する事を諦めましたが、いまお金で買えない幸せを毎瞬毎瞬味わっています。
命さえあれば、またやり直す事は可能だけど、命が無くなっては仕事もお金もあの世へは持って行けないですよね。
私がもし福島に居たら、最初の爆発前にこうなる事は気づいていたので、きっと被曝前にどうにかして一時的でも遠くへ逃げてたと思います。
そして迷わず至れり尽くせりで受け容れ体制を整えてくれた佐賀に飛んでいたと思います。
これは今だから言っているのではなく、普通に考えたら隠蔽したニュースからでも容易に予測できた事態でしたから、アメリカから福島の人にどうにかして伝えたいと、気が狂ったように発信しましたが、キチガイ扱いされただけでした。
いまこそ人間の原点に還って、何が一番大切なのかを取り戻すべきって感じています。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
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