今朝のTVで小学校で、お笑いを教えている学校が結構な数あるという内容の放送をしていた。
すばらしい試みだと思った。
勉強というのは、嫌々やらされても効果が薄い。
自らが楽しいと思い、自らの探究心の元に、自発的に勉強するのが一番好ましい。
嫌な事をさせられて、それに耐えるという訓練も必要だとは思うが、何も勉強をその手段にする事はない。幼少期の軽いトラウマのせいで、一生勉強嫌いな体になってしまった人って多いと思う。
嫌な事をしんどい事を耐える精神の修行は、座禅とか、別カリキュラムで組んだらいいと思う。
自分のレベルよりちょっとだけ高いってのが、一番興味をそそられる。
低すぎるとすぐ飽きるし、高すぎるとすぐ嫌になる。
自分に合った物がちょうど目の前にあると、集中して楽しく勉強ができる。
とっかかりだけは、他人と比べるのは非常に良くない。
自分が人と比べて、バカだったり、下手だったりする事を好き好んでやる人は少ない。
わざわざ劣等感を味わう為に、参加したいヤツなんていないだろう?
一旦好きになってしまった後はむしろ、争って切磋琢磨し合った方が遣り甲斐があるとは思うが
まず、『興味を持つかどううか?という段階』 で、自分だけが極端に劣っていると自覚すると
それに向かって頑張ろうとする意志は、まず生まれない。
そればかりか、自分が劣っている分野の勉強やスポーツを、バカにしたり、毛嫌いして、自分の人生から排除しようという動きを知らず知らずのウチにしてしまったりもする。
そうなってしまったら、それを頑張る事はまず無理だ。
本当は、そういう興味のコントロールを自分で行えればいいのだが
それは全然好きでもない人を、好きになりなさいという特訓に近い。
かなりの精神修行がないと無理だし、あまり意味があるとも思えない。
勉強と、根性や忍耐といった事はまず切り離し、どちらも重視して精進した方がいいと思う。
色んな物に興味を持てる環境を、親や学校が作り、その中で何がしたいか?を自分で決めて、それを楽しくステップアップさせる。
最初は徹底的に、他人と比較させない。
そして、興味が出てきたら、徹底的に、比較する。
比較と言うのは優劣だけではない。
当然、優劣で競い合う事は良い事だが、レベルの高い人間が常に偉い訳はない事を教え
特徴や、スタイルの違いを把握し、その中で自分はどういう位置にいるのか?
を教えるのも勉強の一環だと思う。
これがいい教育を生むような気がする。
勉強とは、決して強制するものであってはいけないと思う。
日本人の勉強嫌いは、教育の悪さのせいだと思う。
たしかに、何も考えずに、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶのが美学であると教え、また目上の人の命令に従順に従う優秀な国民を作るという、戦後の戦略は見事成功した。
日本は、その教育のおかげで、高度急成長できたのは事実だと思う。
だが、今は時代が違う。
過去に栄光にすがっていても、何ひとついい事なんか無い。
時代は常に流れる。
それを確実に捉える事ができるのはジジイではない。
その渦中で生きてる若者だ。
若者がジジイの脳を理解した上で、自分らの世界を築けたらどんなに素晴らしいか。
ジジイも片意地張らずに、もっと全てを若者に託した方がいい。
ジジイが生きて来た価値をもったいぶって、自分の存在価値にしている意味が分からない。
もっと、頭のいいジジイが出し惜しみしないような、そんな勉強会もあってもいいと思う。
ジジイは、今まで培ってきた経験を若者にぶちまけて、とっとと隠居するべきだ。
勉強が楽しいと思える人間が増えると、国は栄える。
それが分からないというのはおかしいと思う。
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