フォアグラだけではなく、養殖などでは人間の都合で虐げられた動物が飼われていたりする。
しかし、愛情をもって育てて、その動物を殺して肉にして食べる場合と、そうではない場合とでは、倫理的な面、道徳的な面以外では、どう違うのだろうか?
結局は食べる為に、人間の都合で飼育されており、その飼育環境によっておいしい食材になるかどうかが決まるとは思うが、飼育方法に倫理や道徳を問うというのはどうなのだろうか?
私たちがしょっちゅう食べている牛肉や豚肉や鶏肉など。
基本的に日本では家畜が苦痛を感じないように、気を失っている間に刀(先のとがった包丁)で頚動脈(首のところにある大きな血管)を切り、放血(体から血液を出すこと)させる方法で屠殺するよういしているらしい。
牛や馬では「打撲法」と言って、弾丸の替わりに瞬時に突起がでるピストルで額をうち脳しんとう状態にした上で屠殺。
豚では「電殺法」といって90〜110Vの電気を通電させ気絶させた上で屠殺が一般的なようだ。
中には涙を流して怖がったり、逃げ回ったりする家畜も多いらしいが、屠殺場で働く人はそんな事を気にしていては仕事ができない。
海外などでは生きたまま解体したり、首がない状態で動き回る映像を見かける事ができる。
残酷という意味では、どんな育て方をしようが、人間の都合で無残に殺されるという点には変わりがない。
私は、自分や家族の為に必要なのであれば、自分で捕獲して殺して食べる事は何でもないと思う。
ただ、愛情を持って飼ってしまった動物を殺して食うのは抵抗がある。
私より家族の方が抵抗があって食べられないと思うが。
私の友人の家では『ぴーちゃん』という名前を付けて、ひよこを飼っていた。
ひよこなのでやがて大きくなってニワトリになるのだが、大きくなっても『ぴーちゃん』と呼んで毎日エサをあげていたそうだ。
ある日、夕食にから揚げを食べていると、そこの家の親父が、『ぴーちゃん、うまいか?』と言い出したらしい。
泣きながら『うん、おいしい……。』と、言って残さず食べたらしいので、意外とそういうモノかも知れない(笑。
いやーでも、よっぽど餓死の危機とかじゃない限り、自分でかわいがった動物を殺す事はできないなー。
そういう意味では、必要な職業ではあるものの、家畜の養殖というのは私にはできない職業だ。
これを考えてベジタリアンになる人も少なくないと思う。
私は、動物をかわいがるのは好きだが、食べる為の動物を捕獲して殺して食べる事に抵抗はないので、ベジタリアンになる事はない。
世の中、食うか食われるか、なんてよく言うが、これは正しいと思う。
現在の世では、実際に人間が料理されて食べられる可能性は極めて低いが、残酷に相手を追いやるという意味では殺すに等しいと思う。
食う側と食われる側は往々にして決まっていたりする。
しかし平和ボケした世界では、それが乱れ、自然界のルールが法律や道徳によって捻じ曲げられて、意味の分からない主張や裁判がまかり通るようになってきている。
それいより、弱者が迫害されなくなったのはいい事だが、では世の中に対してどういう役割を果たしていくのか?という方向性が全く示されていない。
オーストラリアの原住民アボリジニにしても、白人が侵略して国を作った事でそれに対する謝罪として国が保護し、お金を渡した結果、仕事をしない人が増え、野蛮な行為を繰り返すような事態になってしまったのではないか?
人権、権利、法律での保護、立派な事だと思うが、その先のビジョンは何ぞやと言いたい。
臭い物には蓋をする。
必要だが汚い世界は隠蔽したり、一般社会から見えないようにする。
これにより、弊害がたくさん起こっている。
中途半端な帳尻合わせではなく、根本を考えられる政治家や、偉い人がたくさん増えるといいと思う。
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