おはようございます。
今日は私の40回目の誕生日です。
関東もすっかり台風の影響なのか豪雨って感じになってきた。
母親から聞いた話ですが、昭和46年の7月19日は台風で、嵐のような雷雨。
飛行機が飛ばないというようなニュースをしている中で私は生まれてきたようだ。
豪雨、激しい雷。誕生のスチュエーションは、まるで悪魔の子(笑。
そして今日も台風でひどい天気だ。
本当は40歳の誕生日は派手に何かをする予定だったのだが、今はまだ修行の身で、親友も住んでいる所も、意志の疎通もバラバラ、自分の将来もまだ先が見えず、それどころではない感じ。
今まで自分が築き上げてきた物とはなんだろうか?と、考えてみた。
一生懸命に作り上げてきた経営理論だって、成功したのはほんの一瞬。
一生の仕事のパートナー、人生のパートナーだってロクに面倒も見てあげられていない。
理論じゃ飯は食えない。
これからの人生、どうやって生きていくのか迷う。
おそらく1年か2年後には、今やっている仕事が花開く。
そうなれば、かなりの有能な人材が必要になる。
今までの人生で一緒に仕事をしてきた人間と一緒に仕事をしたい。
しかし、そいつらだって、今やっている仕事がある。
それを捨てて、その人間関係や、今築き上げている物を捨てて、私と共に仕事をする勇気はあるだろうか?
ひとそれぞれ、生き方がある。
損得じゃなくて、どうしたいか?っていう意志がある。
たぶん、今までの私は、そういうのをネジまげてでも、他人を巻き込んで生きてきた。
だが、それがいい事なのかどうなのか、最近では迷うようになってきた。
私は今この現時点をゼロにリセットする必要があるのではないだろうか?
今までの経験、実績、自分の得意分野、アドバンテージ、そんな事をまずは全部捨ててしまう必要があるのではないだろうか?
オゴリや、調子のり、傲慢、を捨てて、何もできない、クソバカな1人の人間として、1から出直す必要があるのではないだろうか。
40歳という節目はそれに相応しい気がする。
昨日の日記に書いたとおりに、真面目では損の方が多い。しかし不真面目で成功するというバックボーンには水面下の白鳥のように絶え間ない真面目な努力をする部分があってこそだと思う。
今から数年間はその水面下の足の部分を担当するしかない。
誰にバカにされようが、相手にされなくなろうが、カリスマ性を失おうが、それって所詮は見た目しか見てない人間がそう思うだけだろうし。耐えるしかない。
本当の命のともしびというか、生き様というか、そういうのは、さらに激しく燃やし続けていこうと思っているし、それを理解できる人間が再び私の元に集まり、それを理解できない人間は離れるという事になるのだと思う。
正直、今の私は、前の私ほど、自分に自信がない。
それは金や権力、自由な時間を自分で操れないからだと思う。
ただ今、思うのは、そういうオプションがあって初めて自信があるというような人間は本物ではなかったのだな……。と、気付くいいチャンスとなって、よかったという事。
むかし大好きだった人に言われた言葉がある。
『あんた単なるお山の大将やね……』
40歳になって、やっと ”お山の大将” からの脱却ができたのかもしれない。
人生の転機は数回あるという。
男の数え42歳とその前後1年は、一番大きな厄年だと言われている。
これは、災いが降りかかってくるという意味ではないと思う。
一番大きな転機が訪れてくるという意味だと思う。
だからこそ、これをどう乗り切るかで、一生の男の価値が決まるといっても過言じゃない。
これをきちんと乗り切れなかった人間は、子供との人間関係に失敗したり、会社での出世コースを外したり、嫁と離婚したり、リストラされたり、とにかくそういう目にあってしまうという事だと思う。
まさに今が正念場。
すごく不安で、孤独で、1人だけですべてをクリアしないといけないという感覚で毎日を過ごしている。人に頼るのは簡単だが、それをやりすぎると、さっき書いたクリアできない落伍者になってしまう気がするからだ。
よく、経営者(社長)は孤独だという。
私もその例外に漏れず、自分が経営者だった時は支えてくれる従業員や親友がたくさんいたにも関わらず常に孤独感を持っていた。
今は、経営者ではなく、一社員だが、やっぱり孤独感もある。
社長だから孤独だったのではなく、全体の中の自分を集団として認識できない事が孤独なだけだったのかも知れない。
男は子供を産まないので、そういう意味では、全員が他人であるように思う。
だから、仁義だの、友情だの、本気で誰かとつながりたくって、そういう事を望むんじゃないかな。
深く心がつながっていても、長く会わないと、波長がヅレる事がある。
そうなってくると、なかなか昔のようにやっていくのが難しくなったりもする。
だが、重要なのはそこじゃないんじゃないか。と思うようになった。
世の中というのは諸行無常の響きありだ。
色即是空、空即是色。
移りゆく景色、年齢と共に老いゆく事、それらの風化とは無関係な所に精神は宿るんじゃないか?と思うようになってきた。
私が、どこまでできるか?
そして、私と一緒に仕事をしたい人、私と一緒に生きたい人がどれくらいいるか?
そこだと思う。
その為には、常に自分を磨き、色んな物的障害を排除する必要がある。
人間としてくだらないオプションをまとわなくてもしっかりとした精神力、道徳感、カリスマ性で、人を引き付ける魅力を兼ね備えれるような状態まで基礎的な人間性を底上げして、はじめてそこにオプションをまとう事で、かなり生まれ変われると思う。
金や地位や権力など ”いったん獲得した物を失う事への恐怖” から、身分不相応な状態になってもなお退かない人間よりは、ずっと男前ではないか。
その為には、やはり今、水面下の白鳥の足のごとく、必死でこぎ続けるしかない。
それが自分の為でもあり、私を信じてくれている人の為でもあるので、そうやっていくしかない。
自分らしく生きられないなら死んだ方がマシ。
しかし娘や家族や親友の期待の為に死ねない。
だから、生きている限り努力をするしかない。
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