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2011年06月13日00:37

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運。

ふと、おもいついたので日記として書き込めておこう。



運というのは、完全に偶然であるが、その分布は図にすると全く均衡ではない。
濃い地区、薄い地区がある。

最近ついてきたな。

などと思う時は、その濃い運地帯の中にいる場合が多いと思う。



不運も然りで、『泣きっ面に蜂』なんて言葉がある通り、偏った分布をしている。



為替レートと似ていて、不幸はいきなり襲う事はあるが、いきなりの幸運が訪れる事は少ないような気がする。

カオスの動きの末端の結果のグラフ化という共通点があるからかも知れない。



幸運は徐々に訪れ、一気に去る。 不幸は一気に訪れ徐々に去る事が多いと思う。
これは気持ち的にそうなのではなくて実際そういう傾向にあるんだと思う。
当然確率の話なので常にそうだという100%の鉄板ではないが。



結論から言えば、不運も幸運も選べないが、それに備えて、被害を抑えたり、たくさんの運を自分の物にしたりは可能なように思う。



絶対の法則は存在にしないが、効率をあげる事はできる。
だが、さらにつっこんで考えると、その効率を上げたほうが幸せかどうかという事ではないので、難しい。

人にはそれぞれ役割みたいな物があって、それを外れた事をしていい目をみると、その反作用が大きいような気がする。


かなりオカルト的な言い方だが、運の無駄使いにより弊害とでもいうかべきか。笑



ただ、どうも、不運と幸運には相対関係がないように思う。
(人間の性格により生じる損得には十二分な相対性があるが、それは『運』ではなく、『実力により配当される結果』に属すると思うので、その議論は今回は省く。)




運の流れが見えたり、自らコントロールできるようになればいいなーと思う。



最近のTV番組やCMや映画をみていると、全部ではないけど、その多くが、透明のテンプレにすべてがはめ込まれているように見える。

パターン化する事で、結果を安定させて、運による差異をなくしたいという思想は経営をする人からすればごく自然の思想だが、一費消費者から見れば、すごく陳腐な物に感じてしまう。

人生そのものがそのテンプレにハマっている気がすると、息ができなくなる。




人間は自然の脅威から守る為に、いろいろな工夫をしてきた。人類が地球に誕生してからずっと。でも東北大地震では、その予測を超える地震がきた。


不運の連荘はありうる。
いまだから気をつけないといけない事はたくさんある。

自由気ままで法則がない世界に安定をあたえる為に、人は努力してきた。
必要不可欠である事だが、それが一概にいい事だとは私は思わない。

いやむしろこれによって大変な弊害が起こっていると思う。
先ほど書いた無理にいい目をみてしまった弊害の大きい版かもしれないと思う。



自然の脅威に人間の力など微々たるものだと思うが、運・不運に対してはさらに無力だと思う。
これをもっと目に分かる形にしたい、学問にしたいと思った。


非常に抽象的だが、そんな意思に駆られたので、日記にしてみた。
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