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2010年12月27日08:30

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アンチ。

良く、『好きの反対は嫌いじゃないよ、無関心だよ。』などと言うが、それは正しいと思う。



”嫌いで仕方がない”という感情は、”好きで仕方がない”という感情とかなり似ている。

当人からすれば、”絶対にそんな事あり得ない!キモい!”って思うかも知れないが、意識しているという点において、負なのか正なのかの差しかない。

”ヤクザ大嫌い”と言う人はかなりのヤクザ好きな場合が多い。本当に嫌いな場合でも自分もああいう風に生きたいなと思っている心がある場合が多い。

また”DQN氏ねばいい”と言っている人でも、できる事ならば自分も何も考えずに無鉄砲に生きてみたいって思っている場合が多い。

当人にそう言っても、”絶対にない!あり得ない!”と言うだろうが、人間の心は”嫌い”と”好き”が繋がっている。

本当にどうでも良いのであれば、完全に意識すらしないし、視界に入ったとしてもそれほど目障りにも感じないモノだ。



公害を撒き散らす工場、爆音を撒き散らす暴走族を嫌いなのが、好きなのと同じなのか?
と言われると、それは違うと言える。

不可抗力のまま、害を及ぼされるモノに対する怒りは、権利を与えられた人間特有の反応であると思う。そういう存在を憎むというのではなく、どう対処すべきなのかを冷静に考える事が改善される近道であると思うので、感情的に嫌うというのとはまた違う感覚のように思う。

どんな理由があれ、意識して嫌うという行為は、心のどこかに巣食ってしまう。
殺してしまいたい程憎むという事は、殺してしまいたい程愛する事とやはりあまり大差がないと思う。



現代の日本人には人権が与えられているし法で守られているし、道徳観念で守られている。

全く法が通用しない世界になってしまったら、暴力や組織力というモノに対して”憎しみ”よりは”恐怖”が先に立ってしまうと思う。それが本来は人間の本質であるので、守られた世界での出来事は虚無のような、絵空事に感じる。

守られた世界で、無法者に対して苛立ちを感じるのは、感情的に嫌いというのとは違う気がする。
”ズルい”、”卑怯”、などと感じるので、自分と同類の人間ではないと思いたいのだと思う。



アンチ巨人の人でも、”あんなクソチーム負けてしまえ!”などと言いつつも、”あれだけお金をかけて良い選手を集めて弱いハズがない”と実力は認めている場合が多い。ただ、その強いのが常識であるチームが負けるという事に快感を覚えるという事なのではないか。

”アンチ民主”は”民主党が好き!”なんて事はありえないと思うが、政治に興味があり、政治に期待しているからこそ、怒りがあるのだと思う。そういう意味では”政治好き”なんだと思う。



人間が敵対しあうという意味は何だろうかと考えてみた。

阪神ファン VS  巨人ファン
ミンス    VS  自民(またはアンチミンス)
キリスト   VS  イスラム
喫煙     VS  嫌煙
ナチス    VS  ユダヤ

人間というのは理解できないモノが怖い、そして自分らの勢力を脅かすモノが怖い。
理解出来ないモノ、怖いモノとは対立する。

また自分に極端に似た性格、また真逆の性格を”好き”にも”嫌い”にもなる。

怖い時ほど、自分を大きく見せたい。負ける恐怖から逃げる為に相手を負かしたい。

また自分らに何らかの後ろめたい気持ちがある場合は、それが恐怖感を生み出し、正義のある相手を壊滅させたいと思う事もあるだろう。

とにかく対立する理由は、恐怖が一番の理由だ。
見栄を張るもの、偉そうにするのも、怖いからだ。

自分が正しいと立証されないと怖いのだ。だから人間は同意を求める。
自分が正しいと確認できるように必死に言葉つ並べたり、気持ちをぶつけたりする。

ただ残念な事に人間はひとりひとり違う。同じモノを見ても、食べても、感じ方が違う。
女性同志では、多少の食い違いを無かった事にして”一緒だねー!”としてしまった方が人間関係うまくいくかもしれないが、理論を盾に自分の生き様として生きてきた男性はそれができない。

だから、”同じ人間なんだから話合えば理解できるよ”という発想は、女性にとってはすごくいい思想かも知れないが、男性にとっては危険な思想となる。

この思想のせいで戦争にまで発展しかねない。男性の世界に女性が入ってきておかしくなる原因はそこにもあると思う。ただ全ての女性がそうであると言っているのではない。
得手してそういう傾向にある人が多いように思うという事だ。

男性にとって大事な思想は、”他人は自分ではない、考え方も人それぞれで自分と一緒だなんて思わない事”だ。

最初から違うと知った上で、ではその違うモノ同志がどうやって一緒に生きて行くのかを考えるのがいいと思う。

それが下らない対立を避ける事ができる思想だと思う。

男性限定で書いたが、何も男性だけではない。感情を最優先しなくても良いような場面であれば女性だってそうした方が良いと思う。

それはアンチ○○を生みにくい。そういう生き物だと認識しどういう点がダメなのか?良くする為にはどうしたらいいか?また、その集団を自分が思うところの良い方向に進めるのが、本当に良い事であるのか?などをもっと大きな枠から見る事ができると思う。



人間は派閥をつくりやすい生き物だ。

仲間ができたらウレしいのでグループを形成するが、違うグループをなかなか認めにくいようになっている。自分らのやってきた事しか見てない訳だから、他のグループの努力を簡単には認めない。

そしてそれを神様モードで冷静に見られる人間がいたとしても、その人間を裏切り者だと勘違いする。頭が良い人間は自分の組織だけを見ずに全体としての自分の組織の位置や組織の中での全体の配置や自分の位置を瞬時に判断できる。そういう人間に偏見は少ない。

偏見があるという事は、生きてきた経験だから仕方がないが、どうも頭が悪いと感じる。
私も時々は偏見で見てしまう事があるが、我ながら頭が悪いなと後で後悔する。



最近はタバコも滅多に吸わなくなった。酒も数ヶ月に1日飲むかどうかだ。
友情の確認の為の喫煙や飲酒を止めようとは思わないが、いざ自分が酒タバコをしなくなると、それを日常的に必要としている人をアンチの目で見てしまう時がある。

間違いなく偏見ってヤツだ。

”クソ、俺も凡人以下だな……。”などと思い直してみたりする。



人は違う。他人は自分じゃない。自分の事を何でも他人が理解できると思うな。他人の事を全て自分が理解できると思うな。その上でどんな面倒があっても一緒に生きてくれる覚悟を決めた人と一緒に人生を死ぬまで生きればいいじゃないか。

中途半端な気持ちで”今好きだから”ってだけで一緒にいる関係はすごく希薄だ。
希薄な関係を求める事は悪いとは思わないが、それは単に自分の経験となるだけで人生そのものではないと思う。

だが、いきなり濃厚な関係が発生する訳もない。まずは希薄な関係からすべては始まるので、ますはそこからだろうが、いつまでも希薄さを求める人間は人間性が低いように思う。



本当の愛というモノは、死ぬまで変わらない普遍の感情で気分によって変化してはいけないと思う。その覚悟がある人間とは何があっても死ぬまで繋がっている。その元において今の感情などというモノは非常に小さくて無意味だ。

誰でも自分が一番かわいいし、今の気持ちが一番大事だと思ってしまうと思うが、それよりもっと大事なモノを見つければ、下らない感情に人生を左右される事は無いと思う。

自分が一番大事だと思っているウチは、生き様とか生きている意味とかそういう事を考える事ができないと思う。



アンチ○○というコミュに入っている人は、○○に興味津々であると同じだ。
”押し売り・勧誘おことわり!”なんてステッカーを玄関に張ってある家はかえって落としやすいから、わざとに狙っていったりするらしい。

過ぎたるは及ばざるが如し、表裏一体、ウロボロスの龍、森羅万象の正反対位置は常に近しい位置に存在する。
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