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2010年11月10日15:28

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基準、ニュートラル位置。

人間は個人個人で判断基準が違う。それなのに他人も自分と同じ判断基準であると思ってしまう傾向にある。

また人は、物事を全方向から見ずに一方向からの情報を全てだと思ってしまう傾向にある。

だからよく知りもしない事でも、信用できると思うソースからの情報、またそうではなくても親友の言葉などは無条件にそれだけが正しい情報だと勘違いしがちである。

半分半分、紅白2色に塗り分けれたボールがあるとする。

多くの角度から見れば、その比率はさておき紅白のボールであると判断できるが、特定の角度から見ると白か赤にしか見えない場合も当然ある。

その角度から見てしまった人が、あのボールは白だ、若しくは赤だと言ったする。それは間違いなのだろうか?

実際には間違いであると言えるのだが、そう見えた事は事実だ。一方向からの情報を全てだと信じた事が間違いだと言えるのではないか。

これは、Aさんという人間が、Bさんを強く叱ったという場合にも、同じ事が言える。

Aさんというのは、怒りっぽく最悪な人間だとBさんが感じたとする。それはBさんから見た全てであり事実であるだろう。そしてBさんと超仲良しのCさんがBさんからその話を聞いたとしたら、おそらくはCさんはAさんに会った事もないのに、Aさんを怒りっぽい人間だと想像する。下手をしたらCさんの仲良しのDさんが、Cさんに「Aさんってどんな人?」って聞いた場合に、「最悪らしいよ」って言てしまうという事まで考えられる。

また一方で、Aさんの親友のEさんは、AさんがBさんの事で悩んでおり、また本当に立派な人間になってもらいたくてすごく真剣に色んな事を考えている事も知っており、しかも普段BさんはAさんにすごく失礼な態度を取っているのに、それでもAさんはそんな小さな事は気にしていないっていう事実も知っていたとする。

この時の、CさんとEさんの持っているAさんのイメージは180°違うモノのように思う。


このやりとりで、間違ったのは誰か?

私の持論では、間違いは全ての人間であると思う。関わった人間全てが人間はそうなってしまう生き物であるという事を理解していないという罪である。

だから、誰かが悪いという訳ではない。

ただ問題であるのは、たとえばCさんがこの人間の特性を熟知していて、Bさんに「人間を一方向から見ただけでは事実は分からないよ」と言ったとしても、Bさんは、その真実について気がつくはずもなく
「は?私の言う事が間違ってるとでも言いたいの?」という気まずい空気が流れる。

つまりは、1人が真実に気がつくというだけでは、何の解決にもならないという事だ。

ガリレオ=ガリレイは、天動説が常識だった時代に地動説を唱えた。結果、民衆を惑わせるペテン師として死刑になった。真実は強いが、それを信じる人間がいないと何の意味もないどころか、全くの逆効果にしかならない。


だから、私が考える良い方法とは、みんなが自分の脳だけで考えないという事だ。

単純に”他人の立場に立って考えましょうね!” ”他人の嫌がる事はしないようにしましょうね!”
という、ありふれた思想ではない。

年齢や性別を超えた、多種多様な人間の脳を知るという事だ。自分という人間の言動を、自分から魂が離れて、空から冷静に見ているような状態を常に作れるのが望ましいと思う。

私は便宜上、この状態の事をよく、”神様モード”と言う。

この状態を作るには、練習が必要だ。自分の感情を自分の意識の外におく必要がある。
そして、より良い状況を作る為には、沢山の本を読んだり、色んな業種の人間と対話する必要がある。

これを訓練する事により、簡単に自分の感情で行動しなくて済む。

今の感情で起こす行動、自分はイラつくから我慢できないかもしれない。
しかし、それをする事によって得られるモノは何だ?

単なるストレス発散?自己満足?

本当に自分がしたい事ってのは、そういう事なのか?
それは1年先、10年先の自分にとって優先しなければいけない事なのか?

自分はどういう人間になって、どういう人生を送って、どうやって死にたいのか?

そんなの全く分からないという人は、まずは ”神様モード” を練習してはどうだろうか?


�,燭�さんの本を読む事。(その人間になりきれるような本がいい)
�⊆�分の感情を、なぜそうなってしまうのかを冷静に分析する。
 (自分の感情を、他人として理解する練習をする。)
��すべての出来事のキャストを頭の中で作り、自分を含めた登場人物のすべき事を考える。

これが人間の本質に基づいた、人間関係の神髄だと思う。
他人は自分ではない、同じモノを見ても、同じ話を聞いても、同じようには判断しない。
その相違点があるのは当たり前で、誰が正しいかなどの議論には意味がない。
効率の良い方法というのは存在するし、経験者は未経験者に対して、効率の良い方法を勧める場合が多い。それは経験上の得を考えるからだ。

しかしタイムイズマネーという思想ですら、万人が肯定する訳ではないとしたら、効率の良い教えが良いという神話も崩壊する。

効率を求めるのは、お金儲けの時だけで良いと思う。
それ以外はいくら仕事であっても、効率を追い求める事は人間らしく生きる事と相反していると思う。頭の良い人間は自然に効率を求める傾向があり、それができない人間をアホだと思う傾向にある。

実際、それは概ね正しいと私も思うが、最近では効率を求める事が本当に人生に置いて最優先されるべき行為なのかどうかを怪しく思うようになった。

優先されるべきは、効率ではなく、生き様ではないか?と考えるようになった。
生き様には、アホのように無駄がある。

美術、美学、美しいモノやカッコいいモノは無駄だらけだ。
しかし、そこにこそ、生きている意味が見いだせるものだと思う。

まずは、”神様モード” で自分を客観的に見る訓練を積み、その中で、ちっぽけな自分はどう生きればいいのかを見つける。で、その自分になる為にはどう生きたらいいのかを考える。

これを日本国民みんなができれば、最強の国家ができあがると思う。
いや、世界のみんなが出来れば、最強の人類になると思う。

残念な事に、全員が同じ考えを持つ事は人間の特性上ありえない。
だけど、できるだけ多くの人がこうやって自分を特別視しないようになれば、もっと犯罪や戦争も減ると思うし、下らない人間関係の摩擦や自殺も減るように思う。
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