神田高校不適正入試問題
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081126-00000001-kana-l14
「子どもの可能性の芽が摘まれてしまった。謝罪されても、もう時間は戻らない」―。県立神田高校(平塚市)が入試で選考基準を逸脱し、本来なら合格していた二十二人の生徒を服装の乱れなどを理由に不合格にしていた問題で、突然届いた県教育委員会からの手紙に当該の生徒やその保護者は戸惑っている。ある保護者は「(こうした事態を招いた)関係者が処分されないのは甘い」と怒りをあらわにした。
神田高で基準点を超えながら不合格になったのは二〇〇四年度、〇五年度実施の入試でいずれも六人、〇七年度は十人。
現在十八歳になる長男が〇五年度の後期選抜を受けた小田原市内の母親(53)は今月半ば、県教委から「お話したい」と手紙が届いた。その数日後の二度目の手紙に「合格圏内に入っていたにもかかわらず不合格にされていた」と理由が示されていた。
母親は事態をのみ込んだ。「息子もあの時入学していれば違った人生を歩んでいたはずなのに」と悔しさを隠さない。
長男は「俺だって高校生をみるとうらやましいし、高校に行きたかったよ」と話すが、進学した同級生は高三。「ようやく仕事を見つけ車の免許も取った。今さら三年間通う気にはなれない」
中学生時代、茶髪にしたことが原因で教室に入れてもらえず、中二半ばから不登校になった。再起をかけ中三から横浜市内の公立中に転校。親類の家に下宿し、塾に通って個別指導を受け高校受験に備えてきた。
塾の先生とも相談し、小田原市内の実家から通える距離も考慮して神田高を選んだ。母親は当時、「お母さん、受かったと思うよ」と長男が明るく話していたことを覚えている。ピアスの跡もあったが、髪を黒染めして受験に挑んだ。「息子は外見とは違い思いやりのある子。周りに迷惑をかけるようなことをする子ではない」(母親)。
入学した通信制高は続かず、交通事故でけがしたことをきっかけにふさぎ込み、うつ状態になったこともある。ことし夏前からハローワークに通い、とび職の仕事を見つけて働き始めたところに、手紙が届いた。
神田高の前校長の復帰を求める嘆願書が提出されたことを、母親は報道で知った。複雑な思いをにじませた。「不合格にされた息子のことも理解してほしい。(外見という)偏見で二十二人の人生を変えたのだから」
県教委は不合格にされた受験生とその保護者に手紙を出して当該者と伝えている途中。「生徒や保護者と直接会って謝罪し、今後の対応を相談したい」(高校教育企画室)としている。
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先日もこんな内容で書いたばかりだと思うが、なんてアホな親なんやろうか…。
外見ごときで…と思っている時点で頭がおかしい。外見はとても大事だ。
茶髪ピアスくらいなら、すぐに黒髪にも出来るし、ピアスくらい外せばいい話だ。
大体、学校側が謝るから事態がややこしくなる。
ここらで、学校側は、試験は学力テスト以外にも外見や素行を判断材料にするという事を明言すればいい。
茶髪もピアスもタトゥーも、もっと自分自身に責任をもってやるべきだ。
『茶髪なんて、みんなやってるし普通だろ?』って思うようなクソバカは幼稚園からやりなおせばいい。学校やその他の組織に所属するという事は、その組織のやり方に従うという事である。それがイヤならそこに行かなくてもいい。
高校だったら、1年浪人して違う学校を受ける事だって可能だし、この親の言っている事は言いがかりでしかない。
息子も「ようやく仕事を見つけ車の免許も取った。今さら三年間通う気にはなれない」なんて根性のない人間に育ってしまうのも無理もない。
誰かに幸せにしてもらおうというような他力本願な考えがまず甘い。
学校にさえ入学できていれば、会社にさえ入社できていれば、結婚さえできていれば…、そんな人間は、その願いがかなっていたとしても、結局はロクな結果を迎えていない可能性が高い。
何で自分の言動にもっと自信を持っていれば、どんな結果であれ厳粛に受け止め、その人生を生きる覚悟が生まれるはずだ。
・あの時、試験に合格していれば…
・あの時、車を運転していなければ…
・あの時、告白していなければ…
・あの時、部長に文句を言わなければ…
人間だから後悔はあるのかもしれない。しかし、それに何の意味があるのか分からない。
過去の事はどうあがいても変えられない。
これからどうするのか!を考えずに、過去を後悔して他人を責めるという人間の意味が分からない。なってしまった以上は、今からどうしていくかをその瞬間に決めるしかない。それがどんなにつらい決断になろうが、それは遅くなればなるほど、傷跡が残るものだから、早く自分の理想に近い状態に軌道修正する必要がある。
人間だから多少は落ち込むだろう。しかし、それを鬱になっただの、やる気がなくなっただの、アホかって話だ。
『お前のせいで俺の人生はメチャクチャになった…』なんて言う人間は、その人間に会わなくてもいつか、誰かのせいでメチャクチャになる。それは、自分自身がそういう性格だからだ。
相手が悪いんじゃなくて、自分が相手にそうさせてしまう性格なのだ。
卑屈な性格、悲劇のヒーロー(ヒロイン)になりたい性格、被害妄想が激しい性格。
こういう人は、自分の身の周りに起こった、悲惨な事件を全部他人のせいにする。
自分は全く悪くないのに、運が悪いと思っている。
しかし、頭のいい人、建設的な人、成功する人というのは、自分の周りに悲惨な事件が起こった場合でも、自分の責任や、どうしてそうなったのかを、冷静に判断ができる。
その中で自分がすべき事を即座に考える事ができる。決して他人のせいだけにはしない。
関わった人間すべての責任だと考え、みんなで前進していける道を考え出す。
時には、非道い詐欺、本格的に計画された犯罪、通り魔、のような事件に巻き込まれて、自分に全く非がない場合だってあるだろうが、日常生活において、自分だけ全く非がないのに巻き込まれる事件なんて滅多にない。
当然、イジメは良くない。暴力だってよくない。しかし、イジメられる人間、殴られる側の人間にだってそれなりに理由があるからターゲットにされる。その証拠にそういう被害に全く合った事がない人だってたくさんいる。イジメられてる人間とイジメている人間の性格はなぜか少し似通っている。
一般的な世の中の流れ、理不尽であっても何故かそうなっている事、法律や校則、人間の本性、集団意識、個人のエゴ、立場やプライド、こんな事がかみ合いながら日常は流れていると思う。
それをなんでそうなっているの?おかしい!!と思うのは当然で、それを変えたいと思うのもまた当然であるが、そうする為には、まず、なんでおかしくなっているのかを本格的に勉強する必要がある気がする。
反対意見を言うのはバカでもできる。しかし、流れをすべて理解した上で改革をするというのは並大抵の能力ではできない。
まずは、みんなが他人のせいにするのをやめよう。
よっぽどの通り魔的な事件でない限り。自分に非がある事を認めれば、下らない謝罪とか、裁判とか無くなる。責任の所在をハッキリさせるとお金儲けができるという日本の法律も下らんと思う。PL法とか、アホみたい。
自分で自分の身を守り、自分の身の周りで起こる事件の中で自分自身に起因する所は冷静に分析して、それに対する処理をきちんとできる人間ばかりになれば、みんながもっと仲良く暮らせると思う。
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