ガキの頃、おいらの故郷には冬になると冬季キャンプを
張りに「西鉄ライオンズ」が毎年来ていたものだった。
良くオヤジに連れられグラウンドまで見に行った
もんだった。当時はトウの昔に全盛期は過ぎ、
黒い霧事件でエース池永を失い、見る影も無く
プレーイングMgrの稲尾が監督、まともなピッチャーは
東尾ぐらい加藤初も新人、打線も基、船田、竹之内と
ショボイ内容。その中に引退寸前の仰木監督もいた。
全盛期には魔術師三原監督率いる伝説の野武士軍団の
最後の一人だった。
現役時代から、かなりの遊び人として知られていた。選手時代は「グラウンドの外ではいくらでもムチャやってくれたらいい」と選手に言っていた三原監督から「仰木と豊田だけは遊びに制限をかけんといかん」とこぼされるほどだった。西鉄の島原キャンプの休日に船で天草まで遊びに行ったものの、海が荒れてその日のうちに帰れず、翌日の昼過ぎにコッソリと帰ってきたら、三原監督からバントの練習だけをするように命令されたという。
その後、球団はオーナーを太平洋、クラウンライターと変え
変遷を続け、九州を去り埼玉に移転してしまった。
偉大なる伝説の魔術師も、その弟子達も流浪を続けたが
中西、稲尾、豊田等当時の大スター選手の弟子達は
いずれも監督としては大成しなかった。豊田なんかは
プロ野球ニュースや大五郎のCMを見る限り全く馬鹿のまんま
だった。
しかし、野球の神様は、唯一人当時のナインの中で
一番目立たなかった無名の選手に偉大なる伝説の三原魔術を
継承することをお許しになった。
それが後年「仰木マジック」と呼ばれ近鉄やオリックスを優勝に導きイチローや野茂ら
多数のメジャーリーガーを育て上げた仰木監督流采配と選手育成法である。
時代は怪童中西→怪物イチロー、
鉄腕稲尾→トルネード野茂と移り変わったが果たして仰木監督の
残したイチロー、野茂、田口等メジャー選手等にそのDNA
は継承されているだろうか?そうで有るように祈りたい。
球界のラストサムライ仰木彬の命を懸けた最後の大仕事は、
球界の至宝「番長・清原」の選手生命を救うことだった。
彼は自分の命と引き換えに清原の選手生命を救い、逝った。
野球の神様はきまぐれでいて、しかも公平である。
案外、現オリックスバッファローズや、楽天辺りにこっそり
偉大なる魔術師のDNAや種子は眠っているのかも知れぬ。
ともあれ、最後の野武士、二代目魔術師のご冥福を祈り
合掌する次第である、、、
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