「かっこいい」について。
これも大分昔の日記に書いた気がする。
・アナーキーな教育論(2006年3月6日)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=97476355&owner_id=1512719
・なぜパンクがカッチョイイか?(2007年2月22日)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=354008835&owner_id=1512719
・ヤンキー。(2007年10月27日)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=604773300&owner_id=1512719
色々と道徳や宗教について真面目に考えた結果、私は善悪の基準よりも、法律の基準よりも、一般的世論の基準よりも、「自分でカッコイイかどうか?」が一番大事な基準になっている事に気がついた。そんなものどうでもいいという人からすれば不思議で仕方がない基準なのかも知れないけど、私にとっては、これが背骨に一本通った基準になっているから仕方がない。
「カッコイイ」というのは何も見た目だけの話ではない。たとえば、すごくカッコイイカスタムをした「ハーレーダビッドソン」のエンジンがカワサキの400ccだった場合、これは見た目のカッコ良さをそれだけで台無しにしてしまう。しかし’64のインパラにスカイラインGT-Rのエンジンが載っていればこんなゴキゲンなバカはいないのでカッコいい!!
数学者は新しい理論を見出す為に「無理に強引な理論で結びつけ」てからそれに合うかどうかを細かに研究したりするらしい。これには「冒険」とか「浪漫」の類を感じずにはいられない。これはさっきのインパラにGT-Rのエンジンを載せる場合と少し似ている気がする。
無謀な事はカッコイイ訳ではないが、低い確率に懸けてそれを生き甲斐にする姿は「カッコイイ」に値する。この生き方自体は地味でカッコイイ訳ではないのだが、隠す事の出来ない浪漫の匂いはどうしたってカッコ良くないはずがない。
自分は何をしたいのか?自分の人生は何の為なのか?自分とは何が出来る人間なのか?自分は生きてきた証に何を残したいのか?これがハッキリと見える人はカッコイイと思う。
その表現方法は色々。
「その人を見てれば分かる」…これが一番シンプルで一番威力があるが、残念なのは会えない時間が長いとどうしても風化してしまう。
「言葉で伝える」…これは本などにすれば多くの時代や多くの地区の人間に伝えらる。
ただ言葉如きで伝えられる事って限られており、相当な言葉を操る技術を身につけないとダメだ。
ほかにも色々あると思うけど、カッコイイと感じる事や物は、良い方向に進む原動力になりえる。
しかしカッコイイ物を追求するだけでは全然カッコ良くない。
カッコイイと思う事をする、またカッコイイと思う物を得るという事は「それをするのに(それを所有するのに)ふさわしい人間」に自分がならないと、せっかくカッコイイ物やカッコイイ事を自分の手に入れる事が出来ても、余計にカッコ悪いからだ。
ダサい格好にロレックスだけつけても成金趣味だし、なぜロレックスなのかの信念がなければロレックスだって可愛そうだ。
何だってそうだが、”似合う人間という見た目”と”性格”が”商品や状況”と伴って初めてカッコイイ。
こうやって考えるとカッコイイという事の基本は
「カッコイイと思う言動をする」
「その言動に恥じないだけのしっかりとした思想を身につける」
「カッコイイと思う物を所有する」
「カッコイイ物の所有者としての恥じないだけの品格を身につける」
これだな。
やはり「カッコイイ」はある種の道徳や思想のような気もする。
単純に見た目の「カッコイイ」、たとえば「G先輩、チョーカッコイイ

」とか「あの車ゲキ渋!」とかは以前は美的センスのみで個人差があるものだと思っていたが、実はその”カッコイイ”にも、その人間の生き様が宿っているんだと、今は考えるようになった。
普通でない事をする人は、目立つ分、人から好かれ、また人から嫌われる。
しかし、それを恐れている事はカッコワルイと思う。
人それぞれの生き様を否定するのは良くないが
自分のこだわりに従って生きる事がカッコイイと思う。
人を妬まず、バカにせず、己の信念を貫き、命をかけて守りたいと思える人間を増やす。
これが私の進みたい道のようだ。
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