mixiユーザー(id:980114)

2007年11月13日22:31

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神様・仏様、、、orz

鉄腕 稲尾の死を悼む
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=338608&media_id=4
一昨年は仰木彬氏を悼んだ。今年はサイちゃんなのか、、、
>>http://mixi.jp/view_diary.pl?id=64911811&owner_id=980114
神様、仏様が本当に、、、orz
嗚呼、伝説の黄金の西鉄ライオンズのメンバーが次々に逝ってしまうことよ。

フォト

おいらんちの故郷はライオンズのキャンプ地だったんでこの人
やら、中西やら、豊田はガキの頃一番身近で親しみの持てる野球の
スーパースターだったな。特においらんちは宿舎から球場にゆく通り
道だったんで皆、早朝球場に歩いてゆく選手に握手や挨拶したさに
早起きして待ち構えていたもんだった。

当時はどこのおうちでも、気軽に
「ウチのガキです。握手してやってください。サインください。」
「うちの赤んぼです。抱いてやってください。」
なんて当たり前で、皆、当たり前のように気さくに応じてくれていた。

おいらもその中の一人だった。当時シャイなあんちしょうで照れるオイラをせかし、
うちのオヤジもそうしていた。
もっともおいらがモノゴコロ付く頃は稲尾選手は選手生活の晩年〜監督就任の頃を迎えていた。
選手たちも毎年のことだったから「おー坊主ぅ、おっきくなったなぁ」なんて覚えていてくれる。

巨人やONは遥か遠く雲の上の人でもこのオっちゃんらは、ホントに身近で、
手の届くスーパースター野武士軍団だった。
中には「名付け親になってください」なんてのもいて、
実は小学校時代クラスにこの人のちなんで付けられた名前「和久」なんて
3人くらいザラにいたもんだった。

フォト

【故稲尾和久氏について】

相撲史上不滅の連勝記録をうち立てた稀代の名力士 双葉山定次(ふたばやまさだじ)と並ぶ
大分県が生んだ二大superstarスポーツ選手。
双葉山の69連勝と同じく球界最多42勝の不滅の金字塔を打ち立てている。
この県は数こそ少ないものの不滅の大投手とか不朽の大横綱や大記録達成者を輩出している。稲尾もまた双葉山定次と同じく漁師の息子として生を受けた。

共通点は幼少時から雨の日も雪の日も「関さば」「関アジ」で御馴染みの佐賀関から
潮の急流で知られる日向灘、周防灘、伊予灘に小船を駆って漕ぎ出していた点であろう。 
足腰と精神が強い大分人。
 
稲尾氏は1956年、大分県立別府緑丘高等学校(現・大分県立芸術緑丘高等学校)から
西鉄ライオンズに入団した。
入団当初は注目の選手ではなく、三原脩監督も「稲尾はバッティング投手として獲得した」と
公言して憚らなかった。
実際、島原キャンプでは中西太・豊田泰光・高倉照幸ら主力打者相手のバッティング投手を
務めており、口の悪い豊田は「手動式練習機」とも呼んでいたが、
キャンプ後半になると逆に打者が打ち取られる場面が増えたため、
中西と豊田が三原に「稲尾を使ってみてほしい」と進言。

TVの巨人の星にもでてきたエピソードだが、父親が漁師であったことから、
幼い頃からよく漁に付き合って海に出ていた。「薄い板一枚隔てて、下は海。いつ命を落とすかわからない小舟に乗る毎日だったが、おかげでマウンドでも動じない度胸がついた」と後年語っている。
また強靭な足腰体幹も同時に船の魯を漕ぐ運動で養われた話は有名である。
足の裏を全て地面につけず、爪先で立つように投げるフォームは、
漁師であった父の仕事の手伝いで、小船で櫓を漕ぎ続けていたことによって得たものだといわれている。

権藤博が「稲尾さんのコピーを目指した」というほど稲尾のフォームを手本にしたのは有名。
但し肩を痛めて以降はかかとを上げるフォームは出来なくなった、と
稲尾自身が自分の投球フォームの分析時に語っている。

マウンド上のマナーが非常に優れていたことで有名。イニングが終わり相手投手にマウンドを譲るときは必ずロージンバッグを一定の場所に置き、自分の投球で掘れた部分を丁寧にならしていた。
対戦した杉浦忠はこれに感銘し、以後真似するように努力したという。
1958年の日本シリーズにおいて、稲尾は第4戦以降の全試合に登板している。

三原監督の稲尾に対する信頼の厚さを示すエピソードだが、三原は後に「この年は3連敗した時点で負けを覚悟していた。
それで誰を投げさせれば選手やファンが納得してくれるかを考えると、稲尾しかいなかった」と
告白していた。

後年、病床に伏していた三原は、見舞いに訪れた稲尾に対し「自分の都合で君に4連投を強いて申し訳なかった」と詫びているが、稲尾は「当時は投げられるだけで嬉しかった」と答えている。

鉄腕稲尾の伝説には枚挙に暇がない。

鉄腕稲尾はロッテ時代の教え子であるオレ流落合が監督としてアジアNO.1に輝き、満場一致で「正力賞」に推挙されるのを見届けるように逝った。野武士の遺伝子が継承されるのを。

さらば、鉄腕稲尾!
ご冥福をお祈り申し上げます。
合掌。





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