人を育てるという事。子育て、従業員教育、一緒に人生を生きる親友とお互いを高め育てあう行為。など色々ある。
その主従関係が明らかな場合、立場の下の者には必ず甘えがある。甘えがあるから反抗するし、甘えがあるから真実や、生きる道に迷い、疑い、結果、自分の既に知っている知識の中での最も楽な道を選ぶ。
教える側は見返りを求めない愛が必要だ。キリスト教ではアガペーというのがそうなのだろうか。「これだけやってあげたのに」などと思った時点で上下関係、主従関係は崩壊しかねない。
しかしビジネスにおいてはこういう利害関係が存在する。情とは無縁なビジネスとしてのセンスと、個人のパーソナリティーとは一見、程遠いような気がするが、実際はそうではなく、かなり密接だ。
学ぶ方の態度としては、屈辱をさらけ出す覚悟がいるだろうし、教える方としては、内面から見る目が必要だろう。
外見を取り繕うのに最適な行動というのがある。それはマナーである。こいつは便利で、全くのバカで品性がない輩でもマナーを学ぶと一見、紳士に見える。マネから入るやり方である。人間、外見や行動を変えると心まで変わってくるという人間学・心理学的に実証された結果がある。
ただし、さっき書いた密接な関係にあるべき基本となる人間性の柱のような物はそう簡単に変わらないし、隠し切れない。
実は私は教育においてもっとも大事なのは、この柱だと思う。人間のアイデンティティを形成する柱。これを教育しない限り人間は変わらない。
はっきり言うと幼稚園からやり直す必要がある。そのやりなおしを大人に教えるのは至難の技だ。
僕は24歳に始めて自分で会社を作ってから、思えば、その事ばかりに命をかけてきた。
人間は何の為に生まれてきたのか?の答えすら、その中にあると信じて疑わない。さらに、わずかな人生の間に得る事が可能なわずかな情報を後世に残す事、それは現代人の宿命のひとつだと思う。
何をするにしろ、一番重要なのは人間性であるというのはちょっと非科学的だが、今まで死ぬ程頭を使って考えた結果のひとつである。
教える側は、教えるという時点でその行為自体がエゴであるから、教わる側にそれを理解させるのが第一のハードルなのかも知れない。教わる方は、どんな絶対的な情報であっても、多面性のひとつの方向の考え方だと判断し、鵜呑みにしないというのを基本にし、すべての情報を自分で処理するという事をまず勉強をしなくてはいけない。
これの為に必要な脳みそを動かす練習は義務教育でみんなやったはずだ。学生の時に「何の為に意味のない勉強をしなければならないのか?」「微分積分なんか社会に出てツカワネェ」と思った人は多いと思うが、これは社会に出てから、こういう時の為の脳の予備運動、脳のラジオ体操とでも言うべき事だったのだ。
人間が生きるという意味を考えて教育する人が増えれば、その民族は必ず繁栄する気がするし、充実した人生を送れる人、立派な偉人が育つと思う。
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