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2006年12月09日01:45

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新・お江戸前趣味食散策【日本橋〜神田界隈〜霞町】

前回の日記で登場した自称「歩く紫紺の魂」のセンパイは
上京すると必ず、日本橋高島屋裏の鮨屋に陣取りおいらに出頭命令を出してくる。

この鮨屋は明治12年(1879)創業、老舗が連なる日本橋の中でも随一の歴史をもつ。
三代目は現在の「トロ」を始めて出したという寿司業界の不滅の金字塔を打ち立てた店でもある。また日本で始めて「寿司大辞典」なるものを編纂したのもこの店の三代目である。

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当時の流行であった「鮨屋台」が発祥であるこの店はかつて、河岸や兜町に近いという土地柄もあり、粋で威勢のいい卸問屋などの旦那衆で賑わっていたという。それだけに敷居が高いと思いきや、気取ったところのないほんに気さくでお値段リーズナブルなお店である。


さて、暖簾をくぐると土曜のお昼時、高島屋本店でお買い物を済ませた品のいい奥様、ご家族連れのランチで賑わう中、、一際目を引く頭のテッペン〜つま先まで「真紫」で染め上げたセンパイの出で立ちが目に飛び込んでくる。
イメージし易いよーに言うと林家ペーとかパー子の「紫」ヴァージョンw

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カウンターの奥ドン詰りにお控えなすって、まだ日が高いとゆーのに傍らにはビール瓶やお調子が並んで、すっかりイイの調子になって若旦那掴まえてカラんでいる。

あ、因みにココの五代目は我がゼミの後輩で、故にいつもここが集合場所になっている。
そー言えば当時、我がゼミの同期や後輩の多くは寿司屋でバイトするのが流行って?いて
「寿司清」の銀座店・赤坂店・六本木店にくまなくチラばって配備され若干の優遇を受けることができた。

まだ、回転寿司が今の様な全盛を迎える前の頃である。故に寿司にウルセー輩が多い。
またバイトで貰ってきた余りモンで下宿で酒宴を催しイッパイやるのが学生当時の「贅沢」だった。

おいら:「ドモドモ、、、センパイ!オシサシぶりっス!や〜昔のシトは良くいったモンすね?
『木を隠すなら森に隠せ』ってネ?センパイの真紫も寿司屋じゃ馴染んでますよ!
寿司屋にゃ紫はツキモンだw

センパイ:「江戸紫と呼べ!」

ここに来たら「元祖・トロ」もさることながら“深川のつかみづけ”である。

この店の代名詞といえるのがこの深川。中振りの浅利を固くならないようにサッと煮て、そのまま鮨飯にのせて握ったもので、この握り方を「つかみづけ」という。口に入れた瞬間、浅利の持つ磯の香りと煮汁がいっぱいに染みてくる。適度な噛み応えも心地よい。

「浅利と書くと縁起が良くないので、当時の産地である深川にちなんで名付けられたんですよ」とは四代目親方。こんな話がさらりと聞けるのも老舗店ならではの魅力。老舗の江戸前の鮨店で熟練の技を一時味わう。

「五代目、最近味が落ちてんじゃねーのか?」
「テレビとか取材受け杉。天狗になってんじゃねーの?」
などと、年に2〜3度顔出すくらいでいい加減なことをホザき放題
そんなカンジでわーのきゃーの騒ぎながら小一時間。

店前の行列に配慮して店を後にする。
恐らくガッコのセンパイでもなかったら塩でも撒きたい迷惑な客に違いないw

ここのコピーも振るっている。

『 江戸に生まれて 東京で育ち
                  今じゃ 日本(橋)をにぎりずし』
            by 四代目

さて、小腹満たしたトコで九段から神田界隈を腹ごなしと酔い覚ましに散策するのがセンパイの常の周遊コースである。

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↑上の画像は『笹巻きけぬきすし』といふ。
けっして『笹巻きケムシ寿司』などと言い間違わないよーにw 
いつぞやのわらしのよ−にハッ倒されてしまうからww。

これまた創業元禄十五年。恐らく現存する寿司屋の中で最古の部類ではあるまいか?

センパイはいつもここで早々と「お江戸オミヤ」をご購入される。
ココの寿司は寿司が昔、携行保存食であったことを思い出させてくれる。
謂わば「熟れすし」〜現在の「江戸前の握り」の過渡期に位置すべきお店である。

光りモンは春は鰆、夏はあじ、現在の秋から冬はこはだを使用する。白身魚は青だい、わらさ、かんぱち、春の短い期間ではあるが白魚を味醂と砂糖、酢で煮たものを饗すときもある。他ネタはあわび、貝柱巻き海老、芝海老のおぼろなどである。お魚の小骨を丁寧に一本一本「毛抜き」で抜くことからこの名前が付いており、すなはち、ソレは『江戸前の仕事』の原点と云われている。酢メシはかなりキツ目。それ故、熊笹の殺菌効果と相まってかなり日持ちする。賞味期限約3週間ほどである。余談ではあるが仙台駅の駅弁に「南三陸女川・笹巻きえんがわすし」つーのがあって出張時は必ず購入して新幹線に乗る。これまた日持ちして美味しいのであるがコレとソレの関連性については知らん。
>おせーて宮城のシトw

ちなみにコノお店は「神田ネコライ堂」裏に存在している。世間の人々は正式には『露西亜正教聖ハリストス派・神田ニコライ堂』等とと称しているらしいが、センパイにとっては一時ニャンコと戯れる場所「猫来堂」であり、江戸おみや購入後のお決まりの散策POINTである。昔から何か知らんが沢山庭にネコがいた。牧師さんが飼っとんだろーか?そーいえばこの人、学生の時からここにタマにニャンコあやしに来とったわ。変なシトw
↓下の画像はネコライ堂の猫。そーいえばどことなく「ヨシフ・スターリン」の面持ちが無くもないw

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そうこうしている内に、冬の陽はつるべ落とし、宵闇迫れば
神保町ランチョンでメンチをつまみにスタウトと何とかシュタイナーつー
ジンで勢いつけて暮れの街に繰り出す。

そーいえば最近は神保町にも「ラーメン二郎」できたのネ?
昔は、神保町伊峡(ラーメン屋)に酔之助(居酒屋)付けて金銭トレードでいいから
KO大学に申し込もうか?と冗談で言い合った
くらい欲しい店であったが、、、今何でもあるんだネ?あの界隈。
いいご時世だんなー今の学生さんw



さて、頃合やヨシ、タクって西麻布に頭むけて車トバす。


ここにはコレまたゼミの同期が店やってて手薬煉引いて待っている。
>>http://mixi.jp/view_community.pl?id=134000
通称「クボシン」。ガッコ入って来るまでは原宿で「タケノコ族」(ナツカシーw)をヤッていたとゆー
暗い過去?を持つ男だ。

いまではこの西麻布界隈で5軒もBar&Restaurantを経営している。
バイトもそうだったが、おいらの廻りにゃやったら飲食業に従事してる同期や後輩が多い。

因みに同学年には友人の友人ではあるが「渡邉美樹」つー男がいて、
学生時代居酒屋のバイト手伝いに逝った事があった。
現在の「ワタミグループ」総帥である。

かたや一介のリーマン、方や資産数十億のミリオネアー、、、orz。なんだかなーw

さて、同期のクボシンの店で毎度の通り昔話や同期の音信等
情報交換だらだらとしていたら、突然、来年パリーに店だそうと思うんだけど、、、と
来たからショーガナイ。こんだ

また、店のコンセプトがどーたら、やっぱ「テンプラなの?
SUSHIなの?」「いや、今度はカツ丼で逝こーと思ってる」
とか、いや、華の都 巴里に乗り込むからにはゼミ員OB総力を結集してだなー
日本橋のYにも一口乗らせてパリジャン・パリジェンヌの皆様にモノホンの寿司をブチ噛ます!とか、
いやいや今向こうじゃさーアニメとか流行ってんし「秋葉ッポイBar」とかどーよ?
だの深夜の酔っ払いの熱いブレスト。しょーもナイ オッサンらだことw

「んで、まんもちゃんよー オメ、リーマン辞めて店手伝わネ?」
いや、、ソ、それわー、だってアチシは、、、
『特設フランス語※(注)』なんですもの、、、orz
「あ、そーだったYOネ〜w」
んだこんだで3時4時。



※(注)神田駿河台Mの字ガッコの最履システム。

その名の示す通り語学の成績がSPECIALに悪いモンの「愛護学級」。
恐ろしいことに語学と4年間も付き合うハメになることも。別名「和泉返し」
ワカル人はワカルよネ?w

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