<ガザでの大規模衝突から3年 中東和平の原点へ ジミー・カーター大統領の取り組み>
2023年10月7日のガザ大規模衝突から3年が過ぎた。停戦合意後も攻撃はやまず、パレスチナとイスラエルをめぐる対立はなお続いている。では、中東和平の原点はどこにあったのか。本稿では、エジプトとイスラエルの和平に至る過程をたどりながら、ジミー・カーター大統領が果たした仲介の意味を考えたい。そこでは、パレスチナ問題をいったん棚上げするという、苦い妥協もまた和平成立の条件になっていた。
目次
序文 スポーツと戦争
第1章 スポーツと政治の切り離せない過去 夏季アスリートの夢を犠牲にしたカーター大統領 その人権外交
(1) モスクワ・オリンピックのボイコット運動
(2) 転機となる1973年の第四次中東戦争
2026年10月7日更新
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第2章 アラブの原則に反するエジプト、イスラエルと対話へ
(1)宿敵の根城に乗り込むサダト大統領
(2)和平に向けた歴史的な協議へ
第2章 アラブの原則に反するエジプト、イスラエルと対話へ
(1)宿敵の根城に乗り込むサダト大統領
サダト大統領は、ソ連の敵対国と関係を強化してアメリカの後ろ盾を得た。いよいよ領土問題の解決へ向けて、宿敵イスラエルに直接交渉に向う。1977年11月19日に、イスラエルを訪れ、イスラエルの首都テルアビブの
ベングリオン空港に降り立った。アラブ諸国の国家元首では初のことである。イスラエルの閣僚からも空港にて、拍手喝采で迎えられた。翌11月20日、エルサレムのギバット・ラム地区にの国会議事堂へと移動し、クネセト(イスラエル議会)にて演説を行った。「私は和平を結びたいという切なる願いと共にここにきました。依然としてアラブの土地がイスラエルの占領下にあります。東エルサレムを含むそれらの土地からの撤退を望みます」と訴えた。その夜、晩餐会にも招待された。ただし、当時のエジプトの閣僚からイスラエルのベギン首相の隣の席に着きながら会話はなかったと明かされている。
写真�А.戰�ン首相の出迎えを受けるサダト大統領
サダト大統領のイスラエル入りは、アラブ連盟に所属する首脳からも驚きの声が上がっていた。1945年2月に発足したアラブ連盟では、ユダヤ教の国家イスラエルを地図上に示さず、結成当初から抵抗姿勢を明確にしていた。1967年の第3次中東戦争を受けてスーダンの首都で行われたハルツーム会議において、3つのNo(和平なし、承認なし、交渉なし)」を大原則と確認していたのである。テルアビブの訪問に先駆けて、実はシリアのダマスカスへ向かい、ハフィーズ・アル・アサド大統領と会談していた。当時のシリアの閣僚は、サダト大統領がイスラエルと和平へ動き出している状況をつかんでいた。シリア領へ一歩踏み込めば、警察権を行使しての身柄拘束さえ検討した程だった。もちろん、国家の用心を不当逮捕にはできない。ただしハフィーズ・アル・アサドは、全閣僚の思いを代弁するかのように、テルアビブ行きにはかたくなに反対していた。
サダト大統領も、ゴラン高原を支配されたシリアの説得は難しいことはわかっていた。シナイ半島を自国の主権下に取り戻すことが最優先の政治課題だった。エジプト人民会議(議会)にて、「必要ならイスラエル国民の家に行くだろう」と予告したうえで、空路で向かったのである。
写真�─�1977年11月20日クネセトで演説するサダト大統領
クネセトの演説内容は、イスラエル国内やアラブ諸国の間で大々的に報じられた。真っ向からパレスチナをアラブの土地と主張したサダト大統領に対して、クネセトの議員は受け入れがたい。早くも和平への道程は息詰まった。
振り返ると、1967年6月に起こった第三次中東戦争(6日間戦争ともいう)時にイスラエルは、シナイ半島とゴラン高原の占領を既成事実化していた。同年11月22日に採択された国連安保理決議242号に基づくと、イスラエル軍の占領地からの撤退が第一にあげられた。シナイ半島やゴラン高原から部隊を引き上げれば、非武装地帯を設置してアラブ地域との緩衝地帯を設ける。もう一つ大事なのは、紅海を渡る船舶の安全航行を認めると約束した。対してイスラエルのクネセト(議会)では、翌1968年5月1日に、安保理242号を受諾したものの、占領地からの撤退を拒んだ。あくまでも自らの土地だと主張し、妥協を示さなかったのである。
(2)和平に向けた歴史的な協議へ
サダト大統領が、イスラエルとの和平に向けて協力を依頼したのは、カーター大統領だった。既にエジプトは、第四次中東戦争(1973年10月6日から10月23日)後に、経済が疲弊しきっていて、アメリカからの援助を期待していた。苦境に立たされるエジプトの状況を見越して、当時ニクソン政権の重鎮だったキッシンジャー国務長官から手名づけられていた。74年に米国とエジプトは国交正常化を果たしている。キッシンジャー氏の功績を、カーター大統領はさらに発展させる。
実はカーター大統領自身、1977年1月20日に就任するに当たり、中東情勢の緊張緩和へ向けて働きかける熱意を抱いていた。早速同年2月14日、当時イスラエルのラビン首相とエジプトのサダト大統領に、書簡を送っていたのである。イスラエルはその後ベギン首相へ交代していた。サダト大統領のテルアビブでの熱弁は褒め称える一方で、容易に要求はのめなかった。
写真�� 1977年1月21日、第39代大統領就任式に臨むジミー・カーター(右側)とロザリン夫人(真ん中)
1978年8月3日に、カーター大統領は、エジプトとイスラエルの両首脳に私信を送り、三者会談を提案したのである。
1978年9月5日から9月17日まで13日間に上り、米大統領府が所有するキャンプデービット荘(メリーランド州)に、両首脳は足を運んだ。カーター大統領を挟み、サダト大統領とベギン首相が面と向って協議した。仲裁者のカーター大統領は、イスラエルの安全な生存権を確保し、エジプトを納得させる形に運ぶ。エジプトのサダト大統領は、1967年の第3次中東戦争により占領されたシナイ半島の返還を強く求めていた。もう一つ重大なのはガザとヨルダン川西岸の2地区からなるパレスチナの建国を掲げていたのである。ベギン首相は、1977年11月20日のサダト大統領によるクネセトでの演説から一歩たりとも引く姿勢がなかった。既にシナイ半島北部にユダヤ人の入植地がある以上、返還を拒否した。会議の数週間前入植地アリエルを開設していたのである。もっともアラブ人によるパレスチナの建国も反対した。カーター大統領は、ベギン首相の身に立ち、サダト大統領との間で調整を図った。このままでは物事が決まらず、アラブ諸国との緊張は深まるばかりである。
写真�� キャンプデービッド荘での一幕 カーター大統領とベギン首相 (
著作権 Public domain )
そこで、サダト大統領にはパレスチナ建国をいったん棚上げするように説得した。もちろんサダト大統領には譲ることは出来ない条件だった。なぜならアラブ諸国のリーダーとして自覚が伴っていたからである。カーター大統領との対話を通して、取捨選択を迫られた。アメリカへ赴いて手ぶらで帰るわけにはいかなかった。より現実的な方向へと舵を切り、シナイ半島返還一本に交渉を絞る苦汁の決断をした。カーター大統領は、サダト大統領の帰国に待ったをかけると、ベギン首相と同じテーブルに着く。第3次中東戦争時に一方的にシナイ半島を占領した背景から、エジプトへの返還が望ましいと判断していたのである。そこで、シナイ半島の入植地の状況について説明を求めた。ベギン首相から事の経緯を明らかにされた。ベギン首相としても、紅海を渡る船舶の安全な航行が実現できれば、シナイ半島を手放しても折り合いがつく。四方を敵に囲まれている以上、南方への出口を確保することで、安全保障政策でも有利に働く。そこでエジプトとの和平実現のため、シナイ半島から引き上げる方向へと動き始めた。カーター大統領の案を受諾すると、ユダヤ人入植地の代表者に電話をかけて、手厚い保障と引き換えに、解体の旨を伝えたのである。仲裁者カーター大統領は、もう一つの重要事項であるパレスチナ問題については、将来の自治交渉可能との文言を盛り込むことに成功した。サダト大統領にも、イスラエルと交渉の余地があるとの希望を抱かせたのである。会議が始まって13日目の9月17日、カーター大統領の下で、エジプトのサダト大統領とイスラエルのベギン首相は握手した。合意内容に基づくと、イスラエルは1982年までにシナイ半島の入植地を解体して、エジプトに返還する。見返りにエジプトは、アラブ諸国に先駆けて、イスラエルを国家承認した。パレスチナ問題を全面的に放棄したのではなく、自治に関する枠組みは設けられたものの、包括的解決には至らなかった。イスラエルとの和平を結ぶことを条件に、エジプトは米国から年間13億ドル(日本円換算1900億円)の対外軍事融資(FMF)を継続的に受けた。両国の経済と安全保障はアメリカが担う。同年10月、サダト大統領とベギン首相は、早くもノーベル平和賞を共同受賞した。
写真�� 1978年キャンプデービッド荘での握手の様子
☆キャンプ・デービッド合意(1978年)の主な取り決め事項
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イスラエルは1982年までに、第3次中東戦争で占領したシナイ半島の入植地を解体し、エジプトへ段階的に返還する。
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見返りとして、エジプトはアラブ諸国に先駆けてイスラエルを国家承認し、のちに平和条約締結と大使館の開設を行う。
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エジプトとイスラエル双子の経済的・軍事的な安全保障をアメリカが責任を持って担う。
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返還されたシナイ半島を非武装地帯とし、国連の平和維持部隊を受け入れる。
注意:国連安保理で常任理事国のソ連の反対により、停戦監視団の派遣は見送られる。代わりに1981年以降、多国籍部隊・監視団(MFO)を派遣して停戦と合意の遵守を監視すした。
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国際的要衝である紅海および周辺水域におけるイスラエルの安全な通航権が保障される。
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イスラエルの反発や交渉決裂を防ぐため、パレスチナの自治や建国に関する本格的な協議は一時的に脇に置く(棚上げする)ことで合意を成立させた。
翌1979年3月26日、ノーベル平和賞を共同受賞した両首脳が、ワシントンのホワイトハウスに招待された。カーター大統領を挟み、キャンプ・デービット合意に沿った内容の文章に署名する。新たにエジプト・イスラエル平和条約として結実した。
アラブの大原則に反してイスラエルと歩みよったエジプトは、アメリカを後ろ盾に得たとはいえ、地政学的には孤立を深めていく。一方ベギン首相は南方への脅威が去ったことで、北のレバノンへ戦線を拡大していく。続いて平和条約の象徴となるシナイ半島のシャルム・エル・シェイクの町から、両国の和平後の出来事を考察していく。
以下 写真出展一覧
写真�А.戰�ン首相の出迎えを受けるサダト大統領 掲載元 i24 NEWS
https://www.i24news.tv/en/news/israel/160840-171121-netanyahu-declares-yet-to-meet-palestinian-sadat-who-will-recognise-israel
写真�─�1977年11月20日クネセトで演説するサダト大統領 掲載元 HISTORY TODAY
https://www.historytoday.com/archive/interview/spot-eugene-rogan
写真�� 1977年1月21日、第39代大統領就任式に臨むジミー・カーター(右側)とロザリン夫人(真ん中)出展:AP通信 掲載元 THE HILL 2024年12月29日付
https://thehill.com/homenews/administration/3866935-in-photos-jimmy-carter/
写真�� キャンプデービッド荘での一幕 カーター大統領とベギン首相 (
著作権 Public domain ) 掲載元 ITOLDYA
https://itoldya420.getarchive.net/media/jimmy-carter-and-menahem-begin-stroll-along-the-paths-of-camp-david-upon-begins-085161
写真�� 1978年キャンプデービッド荘での握手の様子 掲載元 AMERICAN DEMOCRACY 2023年9月7日付
https://www.educatingforamericandemocracy.org/primary-source/camp-david-summit-1978/
詳細記事
キャンプ・デービット合意 ARAB NEWS 2020年1月14日付
https://www.arabnews.jp/article/45thanniversary/article_17770/
関連作品
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https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1990136214&owner_id=32437106&from=list_diary_title
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https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1988580928&owner_id=32437106&from=list_diary_title
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https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1988097546&owner_id=32437106&from=list_diary_title
■今冬の天候はどうなる? 冬にかけて過去最大の強さのエルニーニョ現象が続く見通し
(日本気象協会 - 10月09日 14:58)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=174&from=diary&id=8981983
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