mixiユーザー(id:61293963)

2026年07月27日00:08

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長文です

「実治@ポップニート! イイネ!」なるユーザの
人間に生まれたってだけで畜生以下の穀潰しを生かしておくのは果たして良いことなのか?差別するなって言うなら障害者施設で働けるのか?理想論で植松を否定するな
というつぶやきに多くの「イイネ!」がついている。
正直戸惑いを感じたが、わたし自身強く否定できない想いがある。
というのは、
わたしの持論として「自然界では弱者は切り捨て淘汰される。
人間だけがその摂理から逸脱しているのはおかしい」というのがある。
だからといって植松死刑囚のように大量殺人を犯す気はない。
さらにいえば、わたしは医療行為にも否定的な考えの持主で、
医療の発達が人間の高齢化を促進し、
社会を逼迫する要因になっていると考えている。
極端な考え方なので、絆創膏貼ることも天にツバ吐く行為だと思っている。
もちろん他人にまで強要しないが、自分は病魔で死ぬならそのまま死ぬつもりだ。

そんな考え方なので、前述したユーザの考えを頭ごなしに否定できない。
できないが、たぶん多くの方々がその考えを否定し嫌悪すると思う。
その理由、そして何故彼の言う「畜生以下」を
何故見殺しにしてはいけないのか。
その理由を書いてみたいと思う。

一番簡単な答えは「人間には心があるから」だ。
彼は畜生以下と表現したが、畜生には心がない。
そして何故心があればその畜生以下を生かさないといけないのか。
それは、その畜生以下と表現された方々が、
誰かの心の支えになっているからだ。
昨今は心の病について取りざたされることが多い時代になっている。
たとえ障害のため寝たきりで介護が必要な人でも、
介護することで心を癒されている。
そんな人だっているのだ。
前述のユーザは「障害者施設で働けるのか」と書いていたが、
いないと断言はできない。
それどころか他人のために介護施設で働いてる方だっている。

「おばすて山」という民話がある。
年老いた者を山に捨てに行く風習のある村で、
若者が年老いた母を山に捨てに行く道中、
背負われた母親が、若者が帰り道迷わないよう枝を折って落としていた。
それに気づいた若者はたまらなくなり、
母を家に連れ帰り家に匿う。
そんな話だったと思う。

これこそが「人」ではないかと思う。
前述のユーザが言うことも間違っていないのかもしれない。
そしてわたしも似通った考えを持っている。それ故否定もできない。
だが思う。
そういった考えをもっていたとしても、畜生には成り下がりたくない。
人でありたい と。


■「二度と起きないように」=やまゆり園で犠牲者の冥福祈る―相模原殺傷事件から10年
(時事通信社 - 07月26日 17:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=8882524
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