<2026年第2回 横浜ライド 3月1日(日)時の翼 ―横浜山手、構造美と春の断章―>
• プロローグ: ZARD 未完の「時の翼」がフルサイズになる時
• 第1章: 古刹の瓦、高架の弧、そして薄紅の飛沫(市ヶ尾〜川和町)
• 第2章: 山手、風の記憶を辿って(みなとみらい〜港の見える丘公園)
• 第3章: 海風の道標、山手の窓に宿る春(西洋館巡り:イギリス館、111番館、エリスマン邸、ベーリックホール、テニス発祥記念館)
• 第4章:黄昏の帰路、みなとみらいの希望{山手西洋館内(外交官の家、ブラフ18番館)、旧柳下邸、人形の家〜万国橋)
• あとがき: 疲労感を勲章に変えて
プロローグ: ZARD 未完の「時の翼」がフルサイズになる時
暦で春を迎えた3月1日(日)朝方目覚めたばかりの体には、少々風が冷たく感じた。海を目指して自転車のペダルを踏み込んでいるうちに、体が温まって、上着一枚リュックにしまった。旅のテーマ曲は、ZARDの「時の翼」、デビュー10周年を記念して2001年2月15日にリリースされた9thアルバムの表題曲。最終12TRACKにサビのワンフレーズのみ刻まれた未完の断片だった。「時の翼にのって 今すぐ君に会いに行こう」の一節。「翼」は物理的な移動手段を超えた多層的な意味を持つ。空を飛べれば、道なき道に直線を引く最短のルートを描く。地面を踏みしめることによるエネルギーも使わずに、実に省エネでの移動方法だった。イメージ的には、猛禽類のような、抗い難い力強さの象徴でもある。未完成のままでも世に放たれたその姿は、「失われた時間や距離を無効化するための力学的装置」の設計図のように映る。
その後、3年の歳月を経て、続編となる10thアルバム『止まっていた時計が今動き出した』にて、ファンの疑問に答えるようになる。その力学的装置はフルサイズ版として世に送り出された。人間だれしも完璧には物事をこなせない。欠点があるからこそ、補うように努力する。作詞者坂井泉水が時を越えて訴えてきたメッセージだった。本作は、彼女の世界感を自転車ライドに投影した、魂の軌跡である。
写真=9作目のオリジナルアルバム「時の翼」のジャケット 掲載元 ZARD OFFICIAL WEB SITE
https://wezard.net/discography/discography-225/
第1章 「古刹の瓦、高架の弧、そして薄紅の飛沫」
参考リンク 川和町駅付近の菜の花畑 「うちの街 都筑」2026年2月23日付
https://uchino-at.jugem.jp/?eid=1167485
市ヶ尾駅に程近い東名高速道路の高架下を潜り、鶴見川沿いに位置する下市ヶ尾町市ヶ尾農園の脇を通り過ぎていく。整然とした軒並みの隙間から、剥き出しの土と木々が断層のように顔を出した。細い道を下り、横浜市営地下鉄グリーンラインの高架に設置された「川和町」駅の麓でいったんブレーキを握った。確かに高架下は、日差しが届かず影になる。信号を確認しながら歩道橋を渡り、反対車線の上り方面へペダルを漕いだ。高架下を抜けた先に、視界が大きく開けてきた。さんさんと降り注ぐ太陽光の下、真黄色の絨毯が広がっていた。
スポット1 川和町駅 菜の花畑
時を巻き戻したかのような開放的な空間である。春の訪れを告げる菜の花、その脇に西暦1374年梅林霊竹によって開山された「瑞雲禅寺」が鎮座する。臨済宗円覚寺派に属する由緒ある寺院は、650年に渡って見守り続ける生き証人だった。南北朝時代からの歴史を刻む古刹と21世紀の都市交通は、一見すると相容れない二つの構造物に見える。

菜の花がクッション機能を果たしたことで、ほどよく調和を保っていた。一陣の風によって瑞雲禅寺を背景に聳える大魚桜の枝がしなった。そのたびに、薄紅の飛沫が真黄色の海へとこぼれ落ちそうになる。枝先にしっかりと花びらをつけたまま、こすれるような音を立てていた。重厚な瓦屋根と無機質なコンクリートの高架の狭間に立つ一本の早咲き桜は、人々の視線を吸い寄せる。
時代を隔てた二つの建造物の間で、確かな生命の拍動を刻んでいるようだった。畑の中に等間隔で聳え立つ枝がむき出しの裸木は全て桜である。気温が上がるにつれて、品種ごと順々に開花していく。殺風景な冬場、色鮮やかな花は、心に彩を添えてくれた。みなとみらいへの道程は多少アップダウンがあるとはいえ、ほぼ下り一辺倒である。坂道を下る際には、風を受けることによる、疾走感を抱く。信号で止まっていても、口笛を吹きたくなるほど、目的地へ至るまでのコースは快適だった。交通渋滞も緩和され、障害物も取り除かれている。暑い夏間から、木々が色づく短い秋に、植物が織り成す最後の輝きから、季節の移り変わりを体感した。殺風景な冬を経て、芽吹きの春を迎えた。一人ですごしていると、植物の匂いが五感を刺激し、過去へとつないでくれた。なぜなら人は分かち合う相手を欲しいからである。一方で誰かが常にそばにいると気遣いによって、自分のペースを乱してしまう。「幸せ」だと口に出す人ほど、寂しさを紛らわせるための口実に見えてしまう。体を動かしていると、悩みも消えていく。次第に翼を得て上昇気流をつかんだかのように、どこまでも飛んでいけそうな程、迷いに打ち勝つ自分を得られた。
第2章 山手、風の記憶を辿って
海沿いのみなとみらいは、さすがに交通量が多く、信号でたびたび待たされる。午前10時台、JR桜木町駅と運河パーク駅までの全長630mの区間をエア・キャビンと名づけられた都市型ロープ・ウェイが結ぶ。歩行者の方は、交通量が多い広域幹線道路「栄本町線」を跨ぎ、汽車道を辿っていく。その先には、ショッピング街のワールドポーターズや、赤レンガ倉庫、さらに東側は山下公園、大桟橋埠頭である。明かりのように、一人、また一人とふえていくにつれて、行き先を案内してくれる道導になる。例え地図がなくても、流れに沿っていけば、目的の場所へ辿りつけるかもしれない。海風が吹くように、その気になっていれば、一定方向へと導いてくれる。そんな心強さが都会にはあった。
みなとみらいへの軽快な道程を終え、横浜の「山」へと分け入る。元町から山手へと一気に勾配を増す。自転車乗りにとっては避けて通れぬ儀式だった。距離300m、最大斜度12% 距離350mの谷戸坂を上がっていく。周囲は住宅地、左側に設けられた歩道は石畳のタイルが並べられていた。右側は白線と接するように、家々が並ぶ。やや曲がりくねったコースとはいえ、綺麗に整備され、障害物もなく、フラットだった。ペダルを踏み込むたびに、確かに眼下に広がっていた海から離れていく。対照的に歴史の染み付いた土の匂いへと少しずつ変わっていった。
息せき切って登りぬいた先は、港の見える丘公園。山手西洋館のうちイギリス館とブラフ18番館が来場者をもてなしてくれる。都筑区川和の里山とはまた異なる、端正に整えられた「時間」が流れていた。
スポット2 山手地区 みなとの見える丘公園
外部リンク 港の見える丘公園の展望台 横浜観光情報サイトより
https://www.welcome.city.yokohama.jp/spot/details.php?bbid=182
公園の展望台からは、海辺の通り沿いの町並みが、湾のように広がっている。垂直に聳え立つマリンタワー、ヨットの帆の形をしたインター・コンチネンタルホテル、その隣には、パシフィコ横浜の「波」をイメージした緩やかな曲線を描く屋根が、海へと向かって扇状に広がっていた。
インター・コンチネンタルホテルが「風を受ける帆」という垂直・鋭角の構造なら、パシフィコ横浜は「寄せては返す波」という水平・流線の構造である。この二つの建築群が、横浜の海岸線に有機的なリズムを与えている。
視界が開けた東側には、ベイブリッジの幾何学的なワイヤーの重なり、埠頭に並ぶキリンのようなクレーン群を望む。都会の「動」の象徴であり、静かな丘の上を吹き抜ける風だけが、その二つの世界を繋ぐ唯一のメッセンジャーのようだった。
都筑区川和の「瑞雲禅寺」で見上げた瓦屋根は「東洋の静寂」だといえる。一方展望台から庭園を挟み、イギリス館の煙突は「西洋の自負」を湛えていた。自転車という剥き出しの身体装置でこの二地点を繋いだ時、孤独な疾走の果てにしか得られない、澄み渡るような開放感が溢れていた。
第3章 「海風の道標、山手の窓に宿る春」
イギリス館の重厚な石造りの外壁は、かつての領事館としての威厳を今なお失っていない。青空の下で、周囲に聳える椰子の木や四季を通して咲く花の様子から、南国のリゾート地を想起させる。その一方で、赤瓦の屋根が特徴的なスペインスタイルの111番館は、春の柔らかな日差しを反射させている。どこか温かみのある表情で見守ってくれているようだった。
(1) イギリス館
外部リンク 山手西洋館ホームページ
https://www.hama-midorinokyokai.or.jp/yamate-seiyoukan/
展望台からバラ園の中の細い道を伝って、イギリス館の扉を潜った。外観の重厚な石造りとは対照的に、春を寿ぐ繊細な装飾によって、宴の気分を味わえる。ダイニングルームに設置されたテーブルには、小さな雛人形が作り出す軽やかな響きに耳を澄ませる。お椀の上にちょこんと正座し、すましたような表情で迎え入れてくれた。
鏡台の前に生けられた桃の花や、ヒヤシンス、ムスカリといった球根植物が、格調高い英国式の調度品に柔らかな生命を吹き込んでいた。
隣の寝室、大きな円形の窓から注ぐ柔らかな光が、大理石でできたサンルームに差し込む。テーブルには二つのティーカップが置かれ、まるで先ほどまで誰かが語らっていたかのような余韻を残していた。傍らにはモクレンの白い花が凛と咲き、室内でありながら、外の庭園と地続きのような瑞々しい静寂を保っていた。
(2) 山手111番館
イギリス館から生垣を挟み、白い二重の円で囲まれた横浜水道創設記念塔の反対側、山手111番館へ。赤瓦の屋根に真っ白い壁面から、スペイン式建物である。後に訪問するベーリックホールと同じく、3連アーチの門を潜りぬけていく。スリッパに履き替えて、床に接する際の摩擦音に注意を払いながら見学する。真っ先に出迎えてくれたのはリビングルームに装飾された花々、直立を保つ三角形の朱色のルピナス、鮮やかなオレンジのバラの造形品の下で、弓を携えた小さなお殿様が、向かい合うように構えていた。セッティングされた透明な円錐形のワイングラスには花を生ける水が注がれている。背景に隠れているとはいえ、静かに意思表示しているように澄ました表情を作っていた。

隣のダイニングルームは、小さなお姫様とお内裏様が席につく中、テーブルを挟んで向かい合わせに、装飾品の列が続く。食事には、香りの良い花と小さな友の存在によって、話が弾む。一人の自由を愛しながらも、心のどこかで温かな対話を希求する人々の情動を、優しく鏡のように映し出していた。
(3) エリスマン邸
港の見える丘公園から山手通りを走り、西洋館巡りを続けていく。都会の風になり、徒歩移動の訪問者を追い越していく様は、それこそ翼を得たかのように、弾みがつく。「エリスマン邸の一室、窓際にタンス一つ設置された簡素な一室には、主(あるじ)を待つ「静止した時間」が流れていた。淡い桃色のプレートに置かれた漆器の椀、透明なガラスの急須。今にも動き出しそうな程丁寧に磨き上げられ、真新しさを保っていた。整然と並ぶ椅子たちの前に並ぶディッシュに添えられたナプキン、かつての主の優雅な食事会だった。
(4) ベーリックホール
小さな通りを挟んで隣のベーリックホールは、1階の吹き抜けのホールは、重厚なタイル張り、使い古された暖炉も残る。巨大な広間に据えられたグランドピアノを上回る背丈の着物が大きく袖を広げていた。その手前で赤いカーペットの上で座を正す雛人形達の背後には、コブシの蕾が膨らみ始めていた。健やかな子の成長を願う儀式は、粛々と行われている。
2階は一転してプライベートな空間、バルーフチェアが置かれたテーブル前には、ピンク色の2瓶が収まった氷の入ったグラスが用意されていた。丁度昼下がり、カーテンから差し込む日差しが、壁に反射する。暖かい午後のひと時である。
外へ出た際、山手本通りを挟んで向かい側に、一本の河津桜の木が主役のように存在感を放っていた。透き通った花びらが、自己主張するかのように太陽光を照り返していた。風と共に花びらが一枚、また一枚と剥がれ落ちていく。つかの間の輝きは、はかないからこそ、時を大切にする必要性が感じられるのである。
(5)山手公園 テニス発祥記念館
我々は花を観察して四季を謳歌する。一年、また一年と必ず植物は顔を出す。悠久の営みがつむぐ、命の鼓動だった。アップダウンのある山手大通りから、左手へ抜けること、樹木によって包まれた静謐な空間にたどり着く。緑に溢れた山手公園は、街の雑音とは無縁である。園内のテニスコートは会員制、ラケットでボールを打つ際の乾いた音と人々の息遣いが響く。簡素な一軒屋のテニス発祥記念館は、毎回エコを意識して、ありあわせの紙などを使い装飾を施す。ほんわかと丸みを帯びたお内裏様とお雛様は、ピンクの絨毯の前で、来場者を見つめてきた。
頭上を舞うのはチョウチョ、鏡越しに外の樹木が傘のように広がる。窓外の緑と共鳴するその様は、静止した春の断片を、小部屋に閉じ込めたかのような幽玄なひと時である。雛人形は、いつの時代も変わらずに、人々に寄り添ってくれていた。
第3章 時を編む装飾 イタリア山庭園(外交官の家、ブラフ18番館)、旧柳下邸
(6)、外交官の家
舞台はイタリア山庭園、正門の脇に自転車を止めると、外交官の家が管理するバラ園が広がる。対照的にブラフ18番館へは、メタセコイヤに囲まれた坂道を下っていく。「外交官の家」は、邸内の玄関口に食堂とお土産屋が併設されている。全面ガラス張りの窓から光がたっぷり差し込んでいた。入り口でスリッパへ履き替える際、ふと耳に届く食器洗いの音。昼時の賑わいを感じながらも、一歩奥へ足を踏み入れると、不思議と外の喧騒は遮断され、静謐な空間が広がっていた。真っ先に来園者が向う、ダイニングルームは、照明が程よく落とされていた。3月3日にかけて部屋の主となった親子の雛人形は、日常の些細な習慣を身につけていた。目線を低くして観察すると、手にとるように感じられる。母親が背後から息子に寄り添い、鏡を見ているかのように、髪の毛をといでいた。
離れた場所には、父親らしき人物の姿がある。茶碗越しに背丈が高い朱色の花に視線を注ぐ。おわんに添えられた枝にはボケの花が咲く。早春を告げるメジロが止まり、花に顔を近づけていた。冬を越えて、春の陽気に誘われ、子供を外に出して、家族水入らずの時間をすごしていた。窓際の幾何学的に配されたクリスタルガラスに、傷つきやすい人々の心にも重なった。
生けてあるのは河津桜の花びらだった。寒空の下、もっとも早く開花する桜の一種は、冷え切った心を染め上げる生命力が眠っている。静かな「安らぎ」と、揺るぎない「自愛」が、光の粒子となって等しく降り注いでいた。
(7).ブラフ18番館
階段を下りていくこと、ペパーミントグリーンの建物が特徴のブラフ18番館へ向うにつれて、手入れされた花壇に視線が吸い寄せられる。黄色い芯に白い花びらをつけたノースポールの中から薄緑のシロタエギクが芽を出していた。色合いや背丈の異なる花のコラボレーションにより、背景の外交官の家に格調を添える。アメリカン・ビクトリアン式の建物は、1859年の開国以来慰留地として建設された山手地区の歴史を物語っていた。
一転してブラフ18番館は、こじんまりとした個人向け住宅である。1991年まで横浜山手のカトリック開館として使用されていた。室内を彩るミントグリーンの建具とのコントラストは、山手の新鮮な風を送り込む。暖炉のある洋式の部屋には、ひな壇が見守る中、テーブルセッティングが施されていた。ガラスの小さな器にミニチュアのサンプルお菓子。大福だろうか。子供たち向けに、小さな器も添えられていた。部屋にひとり残されても決して孤独ではない。足元の小さな世界は、長い間倉庫の中で眠り、毎年春に向けてこうして人目にとまる。季節が必ずめぐるように、疑わず前に進むだけだった。西洋館の桃の節句、小さな人形と花が織り成したテーブルのミニチュア世界、日常から離れ、めくるめく自然の中での一つの世界を作り出していた。

スポット3 旧柳下邸
詳細 旧柳下邸 館内のホームページ
https://ne-yagishitatei.com/
イタリア山公園から、坂の頂上の根岸森林公園を経て、旧柳下邸へ向けて出発する。確かに雛人形達との別れは切なく、もう一目会いたいとの寂しささえ沸き起こった。出発前には、磯子区の旧柳下邸のひな壇を見学すると決めていた。今は進むだけ。確かに海沿いに台地が聳える横浜市中区はアップダウンが激しい。ヒルクライムを目指すうえでは、練習コースとしては最適、登った後の下りは、呼吸を整えて、次の坂へ向けて力を蓄える。平坦地の住宅街の中に突如顔を出す大正モダンなつくりをした木造の洋館、旧柳下邸は、築110年を越えている。和室を中心にひな壇がところ狭しと並ぶ。玄関口で、係員から注意事項として、展示物を保護する観点から写真撮影は数点のみと聞かされていた。木造の廊下を歩くたびに、ガラスに衝撃が伝わるほど、繊細なつくりだった。物にさわらないように慎重に廊下を進んだ。大正から伝わるひな壇は丁重に管理された賜物だった。

我々人の肌が次第に皺になって渋みを増すように、雛人形たちもどこか頬がこけて、服も張りを失う。新鮮さとは反対に、歳月を経てきたことによる、重厚な質感を保っていた。幾十年もの間、同じ場所で、同じ季節に、人々の営みを見つめ続けてきた者にしか宿らない、圧倒的な説得力である。
第4章 黄昏の帰路、みなとみらいの希望(人形の家〜万国橋)
スポット4 人形の家
外部リンク 横浜人形の家 ホームページ
https://www.doll-museum.jp/
自転車に乗り、ふたたび元来た道を辿り、港の見える丘公園を前にして、交差点を左に折れて、谷戸坂を下っていった。ブレーキを握りながら、対向車ともすれ違う。息を切らしながら登って来る人々が真に迫ってくる。近づくにつれて、速度の違いに伴い、テープの早回しのように輪郭がぼやけてしまう。登りで味わった苦労が報われたかのように開放的である。
人形の家、常設展示の一つ「内裏雛」は、正座状態で瞑想にふけったかのように、口を閉じて視線をまっすぐ見据えていた。ガラス越しに向き合うと、どこか悲しげで切ない気持ちを抱く。
人形やぬいぐるみは人の心を投影する。小さい頃、ぬいぐるみや人形に触れて、感情移入することで、育ってきた。日本や海外から集めた人形が一堂に会し、定期的に企画展を開催する。ビルの一室にて、言葉を介さない、我々人との対話が集積されていた。
スポット5 夜景 運河前駅(横浜都市型ロープウェイ)付近
外部リンク 夜景FUN 運河パーク
https://yakei-fan.com/yakei/kanto/kanagawa/unga.html
午後5時を過ぎて、沈みゆく太陽光がビルに反射して、麓に影を作っていた。運河沿いには若者が列を成して、一定の歩幅を保ちながら歩き続けている。休日あくせく歩道を渡るビジネスマンの姿はまばらだった。手を繋いで歩くカップルは、気温が低下しても、互いに寄り添って温めあっていた。
午後5時50分、藍色の空の下、建物の輪郭がくっきりと浮かぶ。海面には、常夜灯のライトが映り込んでいた。エア・キャビンが規則的な動きで往来する中、麓では午後6時出航予定のナイトクルーズの乗船者を募る呼びかけがある。

結婚式場アニヴェルセルみなとみらいは、日暮れ時新郎新婦の門出を祝うかのおうに黄金色に輝く。エア・キャビン越しに赤い夕焼けを見つめていた。アップダウンのあるコースを走り、確かに膝に身が入った。帰りは登り道、長い道のりが待っている。都会に吹く風のように突き抜けよう。みなとみらいの名の希望を胸に、自転車に跨り、再出発をした。
あとがき 疲労感を勲章に変えて
山手の西洋館が持つ「静止した明治・大正の時間」と、みなとみらいの「加速する未来の時間」。その二つを繋いでいるのが、自転車で駆け抜けている「自分という現在地」だった。海辺から丘陵地への帰り道、基本的には登りである。確かに昼間忙しく動いていると、坂を前にしてため息が出そうになる。ライドの魅力は、山あり谷ありの険しい道を走り抜けた際の達成感だった。横浜市は道路を拡張したことで、渋滞も緩和され、自転車も安心して走ることができる。昼間小さな雛人形達から微笑みを受け取り、童心に返った。時は巻き戻せない。常に明日、あさってと未来へ向い、不可逆な時間軸を漕ぎ進めるしかない存在である。みなとみらいから帰途に着く際、次の目標を抱いているからこそ、疲労感を勲章に変えられる。桜やツツジ、フジを含め植物が開花リレーをする春、時の翼に乗って、駆け抜けようと誓った。
<終わり>
前回 2026年1月13日(月・祝)テーマ曲「目覚めた朝は」
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1991591284&owner_id=32437106&from=list_diary_title
前年同期 2025年3月2日(日)テーマ曲「気楽に行こう!」
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1989558896&owner_id=32437106&from=list_diary_title
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