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2026年03月11日20:32

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あの日あの時

ガソリンガソリンスタンド高くなるー(長音記号1)︎あせあせ(飛び散る汗)
■ガソリン上昇、160円台に=3カ月ぶり、イラン攻撃で原油高
(時事通信社 - 03月11日 15:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=8703508

あの日から宮城県警のパトカーパトカーパトカーが9ヶ月間もの期間、見えなくなりました。
https://youtu.be/A9Iiz0Aq8S4?si=QFxIR00_c-9Kbr4p

過去の日記より
遺体安置所は どこでも体育館クラスの大きな施設にありました。
ご遺体の保存のために 暖房は使用しません。
地震後、すぐに停電になり、宮城県内は 早くても1週間後に復旧です。
例外で、仙台市内の宮城県庁、仙台市役所付近は 3日後でした。
夜間の鑑識、検死業務は 自家発電機だったでしょうか。
3月の東北地方は 春が近いとはいえ、積雪があるので寒いです。
温暖な気候の静岡県からいらしたのでは 暖房のない遺体安置所での検死業務は かなり大変だったと察します。

東日本震災の行方不明者は10年過ぎた今日でも2,525名です。(当時)
そのうち宮城県は行方不明者は1,214名です。(当時)
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地震津波襲来から2ヶ月過ぎた5月中旬の地元の河北新報に掲載されていましたが、
気仙沼警察署の鑑識官はあれ以来、仙台市の自宅に帰っていないとありました。
食事と睡眠以外は終始、ご遺体の確認に追われる日々だったとのこと。
その後、半年以上は宮城県警の車両が路上から 消えました。
たぶん、鑑識や遺体に関した調書の作成の日々だったのでしょう。
東北6県と北海道警を除く全国の警察官が来県し、パトカーなどの警察車両で、パトロールをしたり、停電で信号機がダメになり、機能しない信号機の代わりに交通整理や捜索作業をしておりました。 あれから2年たった今でも震災が話題になります。
 病院の待ち時間が長くても見ず知らずの人から話を聞かされて時が立つのを忘れるくらいです。二人で話をしていると、他の人が話に入り、ややオールドなガールズトークは尽きることがありません。
 家が全壊流失した、タンス預金ドル袋はみな流された、出入りしている電気設備点検の業者さんは震災後の業務パスワードに追われ、家族双子座とは避難所で2週間ぶりに会うことができた等です。
 その後、一年は地元の宮城県警のパトカーが見えなくなり、東北六県を除いた全国のパトカーが路上を往来していました。
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 T字路で信号待ちしていたら双方から警視庁のパトカーがすれ違う。
「あれ、ここはどこだっけあせあせ(飛び散る汗)」と一瞬、錯覚を起こしてしまうほどでした。
 雪降る季節にすれちがった沖縄県警のパトカー、慣れない雪降る中、お疲れ様ですあせあせ(飛び散る汗)
 ありがとうございました。おかげで地域の治安が乱れることがなく、安心して暮らすことができました。
 このようなお話はホッとします。
■「力強く生きてほしい」=被災地で受験生を学習支援―岩手出向の警察官
(時事通信社 - 03月25日 19:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=2370152
「おかげさまで全員合格です」。岩手県警に出向中の広島県警巡査長前川篤司さん(33)の元にこのほど、地元の中学校から一本の電話が入った。仮設の校舎や住宅といった厳しい環境に置かれた受験生を見かね、休みなど空いた時間を使って勉強を教えてきた60人全員が志望校に受かったことが分かった瞬間だった。前川さんは「少しは役に立てたかな」と思わずほほ笑んだ。



 東日本大震災の津波で大きな被害を受けた岩手県釜石市。防災教育で知られる釜石東中学校も被災し、本来とは異なる場所に移転。放課後、学校に残って勉強できるのはスクールバスが出発するまでの1時間しかなく、生徒の6割以上が仮設暮らしで、十分な学習スペースもない状態が続いていた。



 一方、前川さんは震災発生から3カ月後、福島県相馬市などに応援派遣されたが、期間は10日間。「何もできなかった」悔しさから長期出向を志願し、昨年2月、同僚ら10人と岩手県警釜石署へ。震災の爪痕が残る釜石市や大槌町でパトロールなどに当たる中で、同年9月ごろ「交通手段が無く、塾にも通えない」という生徒の声を耳にした。



 大学院修了後、3年ほど塾講師をしていたことから「役に立てれば」と、同校で放課後、勉強に励む生徒の質問に応じるようになった。1月末からは近くの公民館で毎晩2時間ほど教えた。坂本大陸さん(15)は「広島から来て、休みも欲しいはずなのに夜まで勉強を見てくれた」と振り返る。



 3月末で広島に帰る前川さんに、生徒たちは「ありがとう」「また釜石に来て」といったメッセージをつづった色紙を贈った。卒業式にも招待された前川さんは「(色紙を)受け取ったときは、思いがけず涙が出た。どんな困難も乗り越え、力強く生きていってほしい」。温かいまなざしで生徒を見送りながら、そう力を込めた。



 岩手、宮城、福島の3県に昨年2月から出向していた全国の警察官750人のうち、567人は3月末で帰任。新たに340人が3県に出向する。 


津波被害が甚大だった宮城県沿岸部のあちこちで、これほどまでに大きな津波が来るとは誰も予想することができなかったのです。
私の職場でも津波で家族を亡くした職員が数人いますので・・。
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平安時代に発生した貞観地震以来の1,000年に一度の想定外の大津波でした。
ここ南三陸町の消防署だけでも8人もの消防士が津波で尊い命を失いました。
岩手県の陸前高田市では地域の消防団に所属していて、大津波警報を告げる防災無線が故障していたために昔からあった高み櫓(やぐら)に登り、津波で櫓が倒れるまで半鐘を鳴らし続けて住民に避難を促した消防団員、櫓と共に流されてしまいました。
多賀城市の多賀城自衛隊では地震後の非常招集があり、自衛隊へ向かう途中に津波に遭い,
一名の隊員が命を失いました。ここの自衛隊も一階天井近くまで浸水してしまい、甚大な被害を被りました。
住民の避難誘導のために海側に近い道路に立ち、パトカーとともに流されていった警察官。
病院に津波が入ってきて、二階から三階へと どんどん水かさが増してきても患者さんを運び続けた病院関係者、もう書き切れません。
皆さん誰もが忠実に職務を遂行し、誠実に住民に対応した方々です。
防災庁舎にいた南三陸町の職員の方も同じような気持ちだったことでしょう。
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あのう、ここは町中だったんですよ。隣には二階建ての役場、商工会議所?がありました。
布団屋さんや帽子屋さん、自動車販売所車(セダン)もあり、にぎやかな場所でしたが全部流されました。
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http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5316246■津波にのまれた親子、傷のない赤ちゃん 検視官は涙した
(朝日新聞デジタル - 03月12日 13:19)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6443263
■東日本大震災からまもなく14年 警視庁が民間企業と災害対応訓練 荒川など氾濫時の“車両移動“や停電時の“信号機復旧”作業など 警視庁小岩署
(TBS NEWS DIG - 03月10日 16:37)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=266&from=diary&id=8233457


チェコの野球選手
https://youtu.be/LxbL9gubyek?si=bAvq6LcGVFXY2r8h
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