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ここでまた、山野はSF界を敵として戦う立場に><<そうだろうか>>

大宮信光の日記

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ある日サンリオの佐藤守彦編集長が尋ねてきて、SFの文庫本シリーズを刊行したいと>SF界全体がSFを革命的に変えようとする動きに強い抵抗を示した。ここでまた、山野はSF界を敵として戦う立場に>編集する
2021年01月06日17:36全体に公開13 view
■1969■
第2短編集「鳥はいまどこを飛ぶか」(早川SFシリーズ)が出版され、「季刊NW−SF」(実際には年に1、2回出る程度)を創刊してSFのニューウエーヴ運動を展開するようになる。「季刊NW−SF」の第1号はJ・G・バラードさんの評論「内宇宙への道はどれか」(伊藤典夫訳)が大きな話題を呼び、たちまちSF界に大きな波紋を広げることになった。「季刊NW−SF」には種村季弘さん、別役実さん、三木卓さん、中井英夫さん、塚本邦夫さん、黒井千次さん、平岡正明さん、須永朝彦さん、諏訪優さん、中村宏さん、半村良さん、河野典生さん、石川喬司さん、松岡正剛さん、佐野美津男さん、大久保そりやさん、田中隆一さんなどさまざまな分野の作家、評論家から原稿を寄せていただき、まださほど知られていなかった時代の嵐山光三郎さん、川本三郎さんなどの作品も掲載されている。また、定期的に開催されていたNW−SFワークショップに集まったメンバーや若手寄稿家には鏡明さん、荒俣宏さん、川又千秋さん、森下一仁さん、亀和田武さん、新戸正明さん、永田弘太郎さん、志賀隆夫さん、高橋良平さん、野阿梓さん、沼野充義さん、山形浩生さん、大和田始さん、野口幸雄さん、増田まもるさん、水鏡子さん、大野万紀さん、米村秀雄さん、安田均さんなど、現在の一線級作家、評論家、翻訳家が名を連ねている。編集を手がけてきた山田和子さんも翻訳と評論で大活躍し、終刊間際に山田和子さんとともに編集を担当するようになった川上弘美さんは後に芥川賞を受賞している。確かに「季刊NW−SF」は日本文学史に大きな足跡を残したといえるだろう。競馬関係では「日刊スポーツ」に「血統入門「」を連載し、後に「名馬の血統」として単行本にまとめられる。また、競馬ブック社と週刊誌の専属契約を結び、「週刊競馬ブック」でもファミリーテーブルと名馬物語の連載を始める。

山野浩一30代のクロニクル(2005/04/17 revised)

■1970■
各大学の全共闘が崩壊してセクト化していく中で、NW−SFにはノンセクトの若者たちが集まって、反体制文化活動の砦としてスタートしている。一方でSFは高度経成長の波に乗った未来ブームとともに大繁栄し、この年には小松左京さんを中心とした一大イヴェントとして「世界SFシンポジウム」が開催された。むろん山野浩一は反対の立場をとっていたが、森優さんや伊藤典夫さんに取りなされて、開会パーティと、東京でのシンポジウムには出席した。小松さんや事務局長の大伴昌司さんがとても気を使って下さったのを覚えている。パーティでカナダの新左翼というべきジュディス・メリルさんから評論の寄稿を受けたが、その評論は「季刊NW−SF」連載後に「SFとは何か」の題で晶文社から出版され、日本で最初の長編SF評論出版となった。「日本読書新聞」は長い組合闘争の後に崩壊し、大手出版社系の「読書人」が出版界を代表する存在なって、「SF時評」も「読書人」に移り、この後もおよそ10年間ほど継続することになる。この間に日本で出版されたSF、幻想小説、前衛小説などは全て読み、数千冊の作品に対する批評を書いた。

■1971■
この年に宮城昌康さんが編集する「競馬研究」誌で前年度の中央競馬出走馬を対象とした最初のフリーハンデを作成した。翌年からは掲載誌を「競馬ブック」に移し、4年目からは地方競馬を加え、のちにJPNクラシフィケーションが発足するまで日本唯一のフリーハンデとして継続する。これはサラブレッドの血統紹介、名馬物語に続く、山野の日本競馬における3つ目の重要な仕事となっている。明文社から出版された「名馬の血統」はなかなかの売れ行きで、種牡馬系統と現役種牡馬についての記述を書き加え、ハードカバーによる改訂版を刊行した。これはその後も3年に1度改定されて10数年間出版され続けた。「優駿」誌にはクラシック勝ち馬の故郷や新種牡馬レヴューなどをほぼ定期的に書き、競馬関係の仕事も非常に多くなっていた。もう少し前だったと思うが「日刊競馬」誌でのコラム「血が駈ける」もスタートしており、これも現在まで継続している。むろん小説もこの時期に最も多く書き、評論活動の面でも多くの雑誌に書くようになっておいて、「海」に書いた「内宇宙からの抒情」はいわゆる純文学雑誌へのデビュー作となった。当時の純文学雑誌は松本清張や司馬遼太郎ですら受け入れないというほど閉鎖的な世界で、純文学系以外の作家が書くというのは全く驚異的なことだった。

■1972■
すでに新左翼の時代も終わり、NW−SFワークショップも将棋、囲碁、登山などの遊びが盛んとなっていた。編集長の山田和子さんに駒の動かし方を教えたところ、たちまち山野が負かされるようになり、わずか2年程度で日本将棋連盟の女流名人位を獲得してしまった。まだ蛸島さん、山下さんだけが女性棋士という時代で、現在の多くの女流プロたちをなぎ倒しての優勝だからすごい。私は日本棋院の囲碁雑誌で井上初段と星目対戦をしたが、最後の最後に時間に追われて生きを読みきれずに惜敗してしまった。登山は高尾−陣馬縦走から始まり、奥秩父、丹沢、八か岳、南北アルプスと発展しながら、全国各地の山々を登っている。この頃、「読売新聞」の書評担当を始める。当時は大手新聞の書評というと長老たちの仕事で、30歳そこそこの山野が書評を担当するというのも極めて珍しいことだった。書評担当のお蔭で「読売年鑑」の著名人名簿にも名前が掲載されるようになり、ライバルの「朝日年鑑」にも掲載された。おそらく最年少のVIPとなっていたのだろう。これによってアメックス・ゴールドカードを始め、さまざまなステータス・アイテムを獲得しており、折しもバブルの金余り現象から、全く付き合いのない会社からもさまざまな贈答品が届くようにもなった。最も凄かったのはある広告代理店から来た誕生日祝いのアルマニャックで、当時としては相当高価なものだった。

■1973■
この頃からフジテレビの競馬中継にゲストとして出演するようになった。寺山修司さん、古山高麗雄さん、三好徹さん、佐野洋さん、石川喬司さん、虫明亜呂無さんといった作家たちと馬券的中を競うような内容だったと思う。鳥居アナウンサーからは、特に山野浩一が人気あるといわれ、2、3年後にレギュラー出演を依頼されるが、毎日曜日は無理だというと、レギュラーゲストという待遇で月に1回休ませて下さることになった。これもテレビ番組では考えられないことだが、当時の山野にはそのような契約をしてくれた高島プロデューサーの有り難さもわかっていなかった。レギユラーになって間もなく、目黒記念のタイホウヒーロー、菊花賞のグリーングラスといった大穴を続けて本命に指名したのが恩返しといえば恩返しで、これが競馬ファンに与えたインパクトも大きかったようだ。この頃、山野浩一は髭を生やしていたが、ジュディス・メリルさんが「髭を生やせばマイクル・ムアコックそっくりね」といったのが始まりだった。ムアコックさんはニューウエーヴSFの砦となっている「ニューワールズ」誌の主催者で、ヒロイック・ファンタジーなどを書きまくることで雑誌経営の資金を稼いでいた。山野は競馬でお金を稼いで「季刊NW−SF」を出版しており、海外SF界にはジャパニーズ・ムアコックとして知られるようになった。そんな事情を知らない人は「女よけの髭ですか?」とか、「若く見られるのが嫌だからでしょう」というが、確かにまだ「学生さんですか?」といわれるほど若年に見られ、その後も現在に至までずっと、15歳位若く見られ続けている。

■1974■
この時代には作家としても、競馬評論家としてもすでにかなりの地位を得ていたが、作家としてはSF界でアウトサイダーと見られ、文学の世界ではSF作家とみられていたため、いずれでも重要な存在として扱われたわけではない。一方、競馬の世界ではすでに高度に専門的な仕事をしていたので、作家の山野浩一が同一人物と考えられなかったようだ。面白いことに新聞社、放送局、出版社などはそれぞに私をどれか一つの分野のみで認める傾向があり、例えば作家扱いの読売新聞で競馬評論家として原稿を書くことはなかったし、競馬評論家扱いのNHKでは競馬関係のみで出演し、早川書房ではSF作家として、他の文芸誌では前衛文学の評論家として扱われていた。「殺人者の空」「メシメリ街道」など、この時代に最も重要な作品群を書いていて、SFのニューウエーヴという分野からも離れた独自の作風を強くしていった。この頃の作品は対立する立場の人達にも称賛されている。

■1975■
離婚とともに髭を落とし、忙しく恋愛もするようにもなった。子供の頃からずっと痴漢、ナンパ、セクハラに悩まされ続けたため、ずっとセックスを嫌悪していて、それまでは恋愛にもほとんど興味がなかった。この頃、「GORO」という若者向けの総合エンターティメント雑誌で、エッシャーの絵に組み合わせたショートショートを連載したり、ジャズやロックの評論とか、ドキュメントや社会評論的なものも多く手掛け、仕事の範囲はやたらと広くなっていた。いま考えれば、この頃の多忙さは尋常ではなく、創作活動でも、評論活動でも、競馬関係でも、私生活でも、すべての面で専業並みの仕事を続けていたと思う。

■1976■
第3短編集で一時期の代表作となった「殺人者の空」が仮面社から刊行された。NW−SF社では単行本も手掛けるようになってJ・G・バラード「コンクリートの島」を出版した。「季刊NW−SF」や単行本の印刷は競馬ブック社に安価で引き受けていただき、取り次ぎ店では、たまたま担当者が山野作品の読者だったお蔭で簡単に口座を設けてもらうことができた。そのようにさまざまな幸運に恵まれてきたので、ずっと幸運が当たり前のように考えていたが、特に山野が実現したいと考えていることが、次々と目の前に現れてくるのはさすがに驚きだった。

ある日サンリオの佐藤守彦編集長が尋ねてきて、SFの文庫本シリーズを刊行したいという。ああ、それなら出したいものは一杯あるといって、幾つかの作品の名を挙げると、数日後には版権がOKですという返事がきた。すぐに翻訳家を紹介してとりかかってもらったが、佐藤さんは週に1回くらいやってきて、新しい作品を届けてきた。新作のテスト刷りはむろんのこと、生原稿のコピーすらあった。バラード、レム、デイック、ル・グイン、、ディツシュ、オールディスといった新しい傾向のSF作家、そしてバージェス、バース、カルペンティエール、マルケス、バーセルミといった世界の前衛作家、それらを一つのシリーズにまとめて、新しい文学運動の核とするのは私の長年の夢だった。サンリオSF文庫は月に2、3冊のペースで発行したいという。それなら翻訳に平均1年かかるとして、すぐに50冊程度のタイトルを用意しなければならない。早川書房の独占的な市場だったSFを扱う以上、早川書房との対立関係は避けられないが、同時にSF界全体がSFを革命的に変えようとする動きに強い抵抗を示した。ここでまた、山野はSF界を敵として戦う立場に追い込まれていった。

■1977■
サンリオSF文庫の創刊記念としてブライアン・アッシュ編集の「SF百科図鑑」を出版することになり、山田和子、大和田始、野口幸夫、国領昭彦といったスタッフはNW−SF社に缶詰状態で大冊の翻訳に取り組んだ。完璧なものとするためにさまざまな資料を集めて、最強のインデックスを作成することで、ほぼ満足なものとして発行できたと思う。今もSFレビューの名著として知られており、山野浩一の重要な仕事の一つともなった。同時に世界SF史を学ぶ良い機会となり、後に平凡社の「世界大百科事典」のSF項目の執筆などには大いに役立った。サンリオSF文庫は前衛的な内容だけに、そうも爆発的な売れ行きを示したわけではないが、読書界からは強い支持を得て、今も幻の名シリーズとして古書店で高価で取引されており、日本文学に新しい息吹を吹き込むことに成功したと思う。売れ行きがさほどのものでなくても、何しろ版元が天下のサンリオで、サンリオの辻社長は芸術的な役割の高いものとして高く評価してくれていた。前衛文学界での考え方はさまざまで、例えば渋沢龍彦さんなどは強く支持して下さって、自分の著作でも新しい文学傾向としてJ・G・バラードを取り上げてくれたりしたが、比較的親しかった種村季弘さんなどは前衛文学の運動をぶち壊すものと考えていたように思う。工作社を設立して新しい文学、哲学、科学の運動を始めていた松岡正剛さんは「遊」という雑誌を発行していて、「季刊NW−SF」と相互に影響を与え合いながら日本文化の新しいムーヴメントを築いていくことができた。この年、競馬関係でも重要な著作「サラブレッド血統事典」を二見書房から出版した。最初はJRAの宇佐美恒夫さん、東京中日スポーツの石崎欣二さんが各馬の記録を作り、私が評論をするという形式だったが、改定を重ねていく間に宇佐美さんと石崎さんが相次いで亡くなられ、その後は吉沢穣治さんが記述部分を受け持つようになって、吉沢さんとの共著として定着していった。「サラブレッド血統事典」は競馬関係書としては空前絶後のベストセラーとなり、一頃は10万部近い発行部数に達した。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ーー
http://koichiyamano.blog.fc2.com/blog-entry-2.html
コメント
イイネ!(4) SFファンその1 なかひろ いしざか まもる
コメント
大宮信光
大宮信光2021年01月06日 22:38削除
SF界全体がSFを革命的に変えようとする動きに強い抵抗を示した。ここでまた、山野はSF界を敵として戦う立場に>なったという。

「SF界を革命的に変えようとする動き」とは何か。
science fictionに対してSpeculative Fiction。
外宇宙を飛ぶ宇宙船志向に対して、内宇宙を探る宇宙船拒否反応。

---以下転載ーーーーーーー
スペキュレイティブ・フィクションという語を従来のSFに対する不満の表明として使い始めたのは、1960年代から1970年代初期のジュディス・メリルや他の作家、編集者たちによる「ニューウェーブ運動」であった。彼らはそれまで主流であった大衆娯楽科学小説に哲学的、思弁的な要素を持ち込もうとし、この語を掲げた。しかしこちらの用法では1970年代半ばには既に使われなくなっていく[22]。日本ではニューウェーブに関連した作品の翻訳に伴い、1980年代まで使用されていたが、その後は歴史的な用語となっていったのは同様である。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ーー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%96%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3

大宮信光
大宮信光2021年01月07日 00:22削除
卒論公開


 9






前田龍之祐(麻枝龍)
2020/11/21 21:39



 2019年12月に提出した卒業論文、「山野浩一論――SF・文学・思想の観点から」を公開します。序論、結論併せて全5章構成で、10万字程度の論文です。

本文PDF
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ーー
https://note.com/ryumaeda0103/n/n14210e7ede6f
大宮信光
大宮信光2021年01月07日 00:24削除
「山野浩一論――SF・文学・思想の観点から」が全文無料公開
2020/11/23
17:21

「山野浩一論――SF・文学・思想の観点から」 (前田龍之祐)が前田氏運営のnoteで全文公開されています。全5章構成で、10万字程度という力作です。2019年度の日本大学芸術学部奨励賞受賞作ですが、文学史・思想史的な整理がよく、学生の「卒論」という色眼鏡をかけずに、単体の批評として読まれて然るべきでしょう。とりわけマックス・ピカートと山野浩一の分析が光ります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ーー
http://koichiyamano.blog.fc2.com/blog-entry-35.html
大宮信光
大宮信光2021年01月07日 10:53削除
『神という機械への夢ーSF評論集』のあとがき から

 それにしても、妙な縁が山野浩一さんとの間にはあります。山野さんによれば、1976年の「ある日サンリオの佐藤守彦編集長が尋ねてきて、SFの文庫本シリーズを刊行したいという。ああ、それなら出したいものは一杯あるといって、幾つかの作品の名を挙げると、数日後には版権がOKですという返事がきた」ことから始まったのです。「SF界全体がSFを革命的に変えようとする動きに強い抵抗を示した。ここでまた、山野はSF界を敵として戦う立場に追い込まれていった」
http://koichiyamano.blog.fc2.com/blog-entry-2.htmlとされます。
 山野さんとしては、「追い込まれた」のであって、自分からSF界を敵視したつもりはないのでしょう。しかし「SFを革命的に変えようとする動きに」に対し、SF界全体が強い抵抗を示すのはむしろ自然なことだったといえましょう。わたしもそのSF界の一員でした。わたしはとくに抵抗を示したわけではなく、距離を置く程度でしたが。そんなわたしに『神という機械への夢―カバーアート集』の企画を佐藤守彦さんは持ち込んだのですから、不思議ではあります。
 では「SF界を革命的に変えようとする動き」とは何か。簡単にいってしまえば、Science Fictionに対してSpeculative Fiction。外宇宙を飛ぶ宇宙船志向に対して、内宇宙を探る宇宙船拒否反応。
 今から振り返ってみれば、ScienceぬきにしてSpeculativeはありえないし、現代では
真にSpeculativeであろうとすれば、Science
を問題にせざるをえないでしょう。また外宇宙を飛ぶ宇宙船の夢想にしたって、じつのところ、作家と読者の間に通じる共役性の内宇宙を探査する探査船にほかならないともいえましょう。
 改めて山野浩一(1939年11月27日 - 2017年7月20日)さんに哀悼の意を捧げます。
 さらに、このような機会を与えてくださった佐藤守彦さんに深謝します。
大宮信光
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ー
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1978041556&owner_id=3472200&from=around_this_time_diaries
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