寝たり目が覚めたりの繰り返し。
矢張り、ネカフェでは熟睡出来ない。
浅い眠りで、4時前に目が醒めた。
下手に寝ると起きれない可能性もあるので、熱いスープと眠気覚ましのコーヒーで、パンの朝食。
4時半過ぎにチェックアウト。
4時45分に春日山駅に着いた。
まだ辺りは真っ暗で、当然、まだ誰も客はいない。
ふと、待合室のポスターに目が行く。
テスト期間中の増結と言うのは珍しい。
5時前に一人客が来た。
5時過ぎにもまた一人客が来た。
休日のこんな時間に来る客はまともでは無い。
恐らく413・455系狙いの撮り鉄だろう。
5時6分、始発の妙高高原行きが到着。
ET127系「懐かしの横須賀色」だった。
乗客は二人。
一人はリーマン風だがもう一人は間違いなく撮り鉄。
今日の撮影も前途多難を思わせる。
新井に455系が夜間滞泊していた。
乗客らしい人が何人かいたから、夜行列車のイベントでもあったのかも知れない。
何と無く、急行「立山」の夜行版を思い出す。
「立山」は勿論、昼行がメインであったが一往復だけ夜行便があった。
立山など登山客に重宝されたと聞いている。
二本木で降りるか悩んだが、結局5時41分、関山で下車。
まだ辺りは暗い。
しかし、トイレに人の気配がしたから、もう撮り鉄がと思ったが清掃スタッフだった。
昨日ロケハンした撮影地へ向かう。
既に車が6台も停まっており、10人程撮り鉄がいる。
冷たい風が強く、寒い。
コート以外に下に着るセーターとか防寒着を用意したのは正解だった。
直江津と妙高高原を行き来する普通列車でアングルを決める。
8時を過ぎたら、少し風が収まって来た。
車が増え、撮り鉄が沢山現れる。
殆どが他府県ナンバーで、今更ながら413・455系交直流急行色の人気の高さを伺わせる。
関山に到着した列車から歩いて来るのもいる。
8時半を過ぎると雲が出て来た。
9時過ぎには5〜60人程までに撮り鉄の数が膨れ上がる。
しかし、お行儀が良いのか罵声などは聞かれず、皆譲り合いながらアングルを決めていた。
そして9時22分、急行「立山」のヘッドマークを付けた455系を先頭に妙高高原行きがやって来る。
一斉にシャッター音が響き渡る。
3輛編成だが、それがかえって富山地方鉄道宇奈月温泉乗り入れの付属編成みたいで良い。
急行「立山」は数ある北陸急行の中でも、特急「雷鳥」を補完する列車として急行の中では一番格式が高かった。
富山地方鉄道乗り入れの付属編成や半室ビュッフェ車を連結した堂々の12輛編成で、他の急行が米原経由な所「立山」は湖西線経由で関西と北陸を結んでいた。
ただ、私にとっては湖西線経由が災いし、「立山」に乗る機会には恵まれ無かった。
母方の実家の米原から父方の実家の金沢へ行くパターンが多かったので米原経由の金沢行き急行「ゆのくに」や、米原始発の急行「くずりゅう」、或いは同じく米原始発の特急「加越」に乗車していたからだ。
しかし、運転本数も多かった「立山」は目にする機会が多く、印象に残っている連結でもあった。
妙高高原行きの413・455系が走り去ると、一斉に撮り鉄が撤退して行く。
勿論、残ってアングルを変える撮り鉄もいたし、真っ暗別の場所に移動する撮り鉄もいた。
私はアングルを変えて妙高高原から帰って来る413・455系を待つ。
そして9時48分過ぎ、妙高高原から折り返して来た交直流急行色413・455系がやって来た。
妙高山をバックに、交直流急行色413・455系が直江津に向けて走り去る。
関山に戻り10時22分発の直江津行きに乗車した。
次の二本木では、妙高高原行きと交換。
スイッチバックの駅なので同一方向に並んでホームに入って行く。
新井ではET122形1000番台「えちごトキめきリゾート雪月花」と交換。
噂には聞いていたがハイデッカーの豪華な列車で、車内では料理が提供され、乗客は舌鼓を打っている様だった。
一度乗車をしてみたいが、一人3万前後するので気軽には申し込めない。
直江津には11時9分着。
1番線には11時31分発の急行1号市振行きが入線していた。
数人並んでいたが、先頭のクハ455-701の前に並ぶ。
暫く経つとドアが開く。
山側ではあったが、何とか4番A席からD席までのボックスシートに座る事が出来た。
急行形車輛のボックスシート、感無量である。
近郊形電車のボックスシートより幅もシートピッチも広く、ゆったりとしている。
昔からこの急行形のボックスシートが好きだったから、また味わえるとは感謝感謝である。
車内にはなんと、クハ455-701を祀った四五五神社まで鎮座していた。
鳥居が交直流急行色になっていて有難みが増す。
勿論、お参りをする。
座席を取ってからは撮影。
そして駅の売店へ昼食の買い出しに行く。
それにしても、交直流急行色のクハ455に乗車するなど、下手したら中学生の時以来かも知れない。
もう40年振りにもなる。
この頃からローカル運用に転落し、赤地にクリーム帯の北陸色に変わって行った。
その後、JRになってからはクリーム地に青帯の新北陸色に変わって行き交直流急行色は全く過去の物になってしまった。
一部、交直流急行色が復活した編成もあったが、残念ながら乗る機会は無かった。
一通り撮影もして、発車まで座席で待っていると、遠い昔の旅を思い出す。
急行1号は定刻に発車。
直江津の町を走り抜ける。
町を出るとトンネルを抜けて行く。
幾つかトンネルを抜け、谷浜から海沿いを走る。
漁港のある有間川を通過し、海岸から離れ名立に到着した。
このまま市振まで乗車していたかったが、泣く泣く名立で下車する。
直江津行きの普通列車が到着したので乗り換える。
反対側のホームから、413・455系を撮影する。
直江津行きが先に発車するので、名立を発車する413・455系を撮影出来ないのが残念だ。
直江津行きの車輛はえちごトキめき鉄道ET122系の単行。
割と混んでいるから立って過ごす。
今通過して来た駅を戻り谷浜で下車。
駅前には「能鷹」を醸す田中酒造がある。
https://noutaka.jp
どんな酒なのか気になる所ではあるが、残念ながら休みであった。
駅前の道を西へ向かう。
すぐそこに第16北陸街道踏切があるが、ここは撮影には不向きである。
先へ進むとヘルメットを被った二宮金次郎の像があった。
どうやらここは、長浜小学校跡らしい。
更にその先は道が少し登っ手行く。
その上から上り列車を撮れば面白い構図になりそうだ。
その先、坂を下ると天満踏切がある。
ここは下り糸魚川方面へ向かう列車を撮れば、カーブが絵になりそうだ。
一人、既に待機している人がいたので挨拶をする。
踏切の前には谷浜鉄見デッキと言うのがあったが、ここから撮影しても良い構図は取れなかった。
デッキから南を見ると神社が見えた。
天満踏切の渡った先に鳥居も見えた。
どうやら、長浜の天神さんと親しまれている阿比多神社が鎮座していた。
折角なのでお参りをする。
煉瓦造りの灯籠が良い雰囲気を出している。
拝殿は山の中腹にあり、かなり急な階段を登らなければならない。
運動不足の身にはちょっと堪えた。
えちごトキめき鉄道ET122形がやって来たので天満踏切で迎え撃つ。
なかなか良きアングルだ。
第16北陸街道踏切と天満踏切の間に陣取り、列車を待つ。
12時27分、糸魚川へ向かうET122形1000番台「えちごトキめきリゾート雪月花」が通過した。
これは天満踏切で撮影したかった。
列車を待つ間に直江津で買ったお握り、ネギトロ風とサーモンわさびを頂く。
今回の旅は撮り鉄がメインだからか、全く食事が貧弱である。
直江津に向かうえちごトキめき鉄道ET122形でアングルを決める。
3輛編成の急行2号なら、絵になりそうだ。
14時前になり、ぼちぼち撮り鉄が集まって来る。
とは言え、10人にも満たない数の世界。
朝の関山みたいな事にはならない。
今日は長岡-新津でJR東日本最後の電気機関車牽引列車が運転されている筈だから、そっちへ行ってる人が多いのだろう。
そして14時28分、直江津行き急行2号が通過。
狙い通りに撮影は出来た。
撮り鉄達はばらけて行くが、私を入れて4人程が残った。
天満踏切へと移動する。
ここには私を入れて3人の撮り鉄がいたが、場所が狭いのでこれ以上は厳しいだろう。
14時40分、糸魚川から折り返して来たET122形1000番台「えちごトキめきリゾート雪月花」が通過。
向こうで撮りたかった。
15時11分頃、直江津で折り返して来た市振行き急行3号が通過。
急行「立山」のヘッドマークも誇らしげに走り去る。
これで撮り鉄の用事が全て終了した。
谷浜駅へ向かったのは私一人だけだった。
駅への道すがら、昔の漁村にありそうな、趣のある建物が並んでいる。
15時32分、糸魚川行きに乗車。
車輛は勿論、えちごトキめき鉄道ET122系。
空いてはいたが、海側のボックス席は全て埋まっていた。
名立を出るとトンネルに入る。
そしてトンネルの中に停車する。
数少ないトンネル駅である筒石。
何人かの乗客が降りた。
トンネルを抜けると、能生。
浦本からはまた海沿いを走る。
段々と町の中に入って来て16時10分、糸魚川に到着。
少し時間があるので駅前に出てみる。
えちごトキめき鉄道のオリジナルキャラクターみたいなのがいた。
改札を出ると、駅メモの等身大看板がある。
そして駅に隣接して「糸魚川ジオステーション ジオパル」と言う施設があった。
折角なので入ってみたが、何とキハ52が展示されている。
かつて大糸線で活躍した本物の車輛。
クハ455に続いてキハ52にまで乗車出来るとは、今日は何て素晴らしい日である事か。
キハ52は国鉄時代の傑作気動車キハ20の2エンジンタイプ。
昔は勾配厳しい非電化路線には必ず配属されており、よく乗車したものである。
余りにも懐かしい。
ジオパルも、鉄道模型屋ジオラマなど見応えがある。
時間があればもっとゆっくりしたかったのだが、無念。
糸魚川からは北陸新幹線に乗車した方が圧倒的に早く帰れる。
しかし、この列車がある以上、まだ帰る訳には行かなかった。
糸魚川駅に戻り16時45分、急行4号が入線して来る。
今回も1号車、そして海側の3番A席からD席までのボックスシートに座る事が出来た。
1号車は勿論、クハ455でいやでも当時の急行列車の気分になる。
16時51分、急行4号直江津行きが発車。
糸魚川の構内を出ると交流と直流を切り替えるデッドセクションを通過する。
車内灯が消え非常灯だけが点灯する。
昼間、明るいと車内灯が消えても気が付かないのだが、既に辺りは暗くなっている。
なので非常灯だけの車内は暗い。
これがデッドセクション醍醐味で、最近の車輛では車内灯が消える事も無いので何か物足りない。
昔は米原から先は交流だったし湖西線も永原から先は交流で、デッドセクションで車内灯が消えた。
久し振りにデッドセクションの醍醐味を味わう事が出来た。
各駅停車では無く、駅前を通過する急行列車に揺られ、辺りはもう真っ暗になったしまったから昔の事ばかりを思い出している。
米原から乗車した急行では、米原駅井筒屋の鱒寿司か、敦賀駅塩荘の鯛鮨が定番であった。
今、手元に無いのが残念な位で、あの味は忘れられない。
鯛鮨を開けるとすぐに北陸トンネルに入って仕舞う。
当時は在来線日本一を誇るトンネルだったが、今走っている区間目もトンネルだらけで、ますます当時を思い出す。
もう、40年以上も昔の話で、よくこの車輛を残し走らせてくれた。
えちごトキめき鉄道の方々には感謝しか無い。
車掌が検札に廻って来る。
ますます国鉄北陸急行列車だ。
検札と同時に乗車記念証を頂いた。
17時23分、直江津着。
帰宅が遅くなるのを承知で急行4号に乗車して、本当に良かった。
次の泊行きは既に停車していた。
えちごトキめき鉄道ET122系の2輛編成。
転換シートの先頭車は混んでいたので、ボックスシートの2輛目に乗車。
直江津には駅弁がある筈なのだが、今日は無かった。
もう、パンやお握りは見たく無かったから、何も買わずに泊行きに乗車する。
17時36発、泊行きが発車。
もはや辺りは真っ暗にで、車窓も楽しめないから、今日一日を振り返りる。
明日からの仕事を思い出し憂鬱になる。
よく、人を励ます時に「明けない夜は無い」と言うが、もう夜は明けなく手良い。
このまま夜行列車で良いとも思っている。
市振に到着。
えちごトキめき鉄道はここまで。
ここから先は、あいの風とやま鉄道に入る。
そして新潟県この駅まで。
ここから先は富山県に入る。
富山県最初の駅が越中宮崎。
越中宮崎の次が終点の泊で、18時51分着。
次の金沢行きは19時5分。
その間に窓口へ行き市振から富山までの乗車券を発券して貰う。
駅前にイルミネーションが点灯している。
18時59分、金沢行きの列車が入線して来る。
あいの風とやま鉄道521系だが内装はJR西日本の521系とほぼ変わらないので、ようやく帰って来たと安堵の気持ちになるが、まだまだ先は長い。
19時5分、定刻に発車。
流石に腹も減って来たが、泊には勿論駅弁も売店もコンビニも無い。
富山までは空腹に耐えなければならない。
黒部から滑川までは富山地方鉄道と並走
駅メモ的にはボーナスステージ
イベント「key point〜おでかけは感謝と共に〜」のイベント新駅を多数取れ、ポイントが溜まる。
滑川を過ぎると、舘ひろしの車内放送が入った。
掛け込み乗車はお止め下さい的なマナー向上のアナウンスだが、富山でロケをした映画「港のひかり」の宣伝も入っていた。
19時52分、富山に到着。
流石に何か晩飯と思ったが、駅弁は全て売り切れ。
芝寿しもおはぎ以外全て売り切れ。
他、色々な弁当も売り切れ。
そんな中に、千里山荘のわっぱ飯がまだ残っていた。
なので「美味三昧わっぱ」を購入。
20時33分発、北陸新幹線「かがやき515号」敦賀行きに乗車。
「美味三昧わっぱ」も、なかなかの味であった。
酒は金沢の福正宗に、黒部の幻の瀧。
敦賀には21時34分着。
22時5分発の特急「サンダーバード50号」大阪行き乗り換える。
新疋田までは覚えていたが、目が醒めたら京都だった。
22時59分着。
23時8分の地下鉄に乗車。
今回の戦利品。

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