元気な人による思い遣りに欠けた共感の欠片も無い言葉の数々は暴言そのもの。
しかし、ハラスメントする人達は自らが嫌がらせ行為をしている自覚もない。
更に醜いのは、励ましている相手が自分の思い通りに支配されずに疲れを増して溜息をつく事にさえ反感を抱き自分勝手に怒り始め、キレて重ねて暴言を捨て台詞にし、次には他所へ行ってポジティブハラスメントに支配されない疲労困憊した人への陰口と愚痴を吐いて回る。
曰く、
「あの人は何を言っても無駄なのよ、見捨てるしかないわ。幾らアタシが励ましても聞く耳を持たないの。あの人はもう駄目なのよ。」
と。
そうして思い遣りに欠けた元気な人々は、愚痴や陰口に別の第三者からの共感を求める。
時には嘘でも良いから、
「生きてれば辛い事もあるよね、思う通りにならない事も多いよね、死にたい気持ちになるのは仕方がないよ、でも少なくとも私はアナタに生きていて欲しいの。アナタが居なくなると私も淋しくなるし悲しくて辛くなるから、せめて疲労困憊してても生きていてね。だから、今はゆっくり休みましょう?」
って、疲れ果てた人に共感を示す位は、心に無くても伝える程度は持ち合わせた社会性を表す『対人スキル』だろう。
励ましの言葉より、労いの言葉を掛けるシーンだからさ、それは。
だから私だけでもネガティブ満載のmixi日記を、名言でなくても綴っている。
自覚無しに、身勝手な思い遣りでもって、他人を自殺に追い込む社会人は、意外と多いのだ。
もう随分と昔に、身勝手な励ましと叱咤激励の言葉を連ねて独善に酔い痴れたナルシストの多さに辟易して私は若い時分に他人に期待など持たない事に決めてしまった。
何しろ、世間や世の中と言う場所は、残酷にも不条理と理不尽に満ち満ちた世界であるのだから。
自殺した人の周囲の遺された人々は、自分が親しい知人を自らの言葉で死に追いやった自覚もなく、
「そんな様子は見受けられなかった」
などと自らを省みる事無く平気で放言するのだから。
その他ならぬ本人が、生きるのに疲れ果てた人から、その生命をもって抗議されているのにも気付きやしないのだから。
疲れたときこそ「ネガティブな言葉」が沁みる 絶望に寄り添う偉人・文豪の名言
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=90&from=diary&id=8556408
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