関ヶ原合戦で態度を鮮明にせず、奇妙な行動をした佐竹義宣とは?
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/953658ad118b2656c63f0aec35bab2aff174a589
相変わらず我が道を行く大門先生の歴史コラム。ぐずぐずと旗幟を鮮明にしなかった佐竹義宣は一体何がしたかったのか…という話。
この手の東西決戦の先例となりうるはずの小牧長久手が8ヶ月にわたる対陣だったのだから、家康と輝元の戦いも数ヶ月にわたると予想するのは普通。しかも、東軍の主力となるべき秀忠はまだ関東付近に留まっていた。
そのへんを鑑みれば、決戦が起きるのはまだまだ先のはず。佐竹としては「まだあわてるような時間ではない」という感じだったのではないかなと。家康や三成ですら早期決着を予想できてなかったフシがあるのだから、佐竹も仕方ない感はある。
もっとも、たとえそうであったとしても、とりあえず東軍の旗を立てて出陣しておいて、情勢次第で裏切ればいいだけの話。親戚にあたる政宗はそんな感じだった。
徳川実紀に、家康が義宣の関ケ原での立ち回りを「律義者」と評したとあるけれど、裏を返せばもっと上手い立ち回りがあっただろうという話だよなと。
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