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2025年03月29日21:04

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吟醸酒のふるさと 東広島・西条(3)

松木津々二さんがまとめて出版された冊子の内容を抄訳してネットに掲載して
先にアップロードされた日記では大方の人が内容を把握することが困難だったと

推理して少しでも多くの方達に内容を十分に伝わればと思いまして、少しづつ
ですが載せていきます。挿絵も写真も無しですが、お許しください。

良い酒造りの研究会
仙三郎は一冬灘の酒屋で蔵人の仕事をして「灘の酒造り」を学んで帰りました。
その後は、今まで使っていた杜氏たちに辞めてもらい、地元の若者たちとともに

新しい酒造りの技術を研究染ました。そして三津や竹原の酒造家たちも引き入れ
酒造りの研究会を立ち上げます。この研究会に和平・博三・静彦も加わりました。

そしてこの研究会の本部を竹原の町に置いて、やがて賀茂郡南部酒造組合になります。
明治26年この組合が主催して、竹原の西方寺に組合員の酒造家を集め京都の酒造家

大八木正太郎を講師に講演会を開催。これをきっかけに広島の酒造りは新しい技術へ
の転機を迎えます。

陸に港を造る
それまでは三津や竹原には無に面していて港があり、作られた酒は船に乗せて各地へ
はこんで行けました。しかし四日市は西条町となりますが、水運異適した川もなく、

馬の背に載せて峠を越して大きな都市へ運ぶしか運送の手立てがありません。酒の質
が向上しても、大量の酒を運ぶ手段がなくて、大量には醸造できませんでした。

明治25年和平は醤油店を息子に譲り、店を向かいに移しそして清酒造りを婿の静彦に
任せてこの年に和平は国会議員に選出され東京に向かうことになります。

この時に鉄道が路線を伸ばして、市崎駅から広島方面に伸びていく建設計画を知り、
しかし鉄道線路が伸びてくることに反対する住民たちがいることも耳にしました。

当時は鉄道が伸びると「お客が汽車に乗って町から出ていき町が寂れる」と考えて
反対をしていました。路線を変更して西条の町へ持ってくる。しかし、町から離れた

青谷に駅を造るのでは遠すぎる。和平は町の人たちに説得を始めます。「西条の町にも
陸の港を造ろう」辛抱強くみんなを説得しました。その甲斐あって西条の街並みに

沿った場所に鉄道を敷設が実現しました。明治24年には開通しました。さらに和平の
大きな功績があります。和平は私財を投じて駅の周辺の土地を買って駅の構内を拡張を

するのです。拡張した駅の構内には引き込み線路が敷かれて。貨物列車が入り貨物の
積み出しや荷下ろしもできるようになり、港の役割が果たされました。




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