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鍋山磨崖仏には駐車場はない。
路上駐車したが、さして罪悪感もない。県道は十分に広かった。
磨崖仏までは80段ほど乱積みの石段を登った。
ほどよい距離である──この場合は俗世からどれくらい離れられるかということだ。
「なんのために彫ったと思う?」
またも鏡子さんは、仏にではなく、僕に問いかける。
「供養のためでしょう」
間違っていないはずだ。
「私は、煩悩を滅するためだと思う。自分の煩悩をね」
自分の?
「これを彫っている間は、煩悩とか欲とかを忘れられたはずで、完成してからは、心を洗うためにここに来てたんじゃないかな」
どこの誰の話だろう?
まあ、一般論でいいか。
邪念では鑿(のみ)を持てないのか?
仏の前でなら心の清澄を保てるか?
僕には、わからない。
今のところ、わからない。
「たとえば、石段を登っている私の脚を、ヨコシマな眼で見ているようじゃ、まだまだよ」
あ、気づいてましたか。
はい、僕は煩悩まみれですよ。
いけませんか?
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