元祖 HImaP&Σ (ハイマップ(ひまぴー)&シグマ(総和会)) 渡部学(ワタナベマナブ)。
2024年12月27日(金)、日本時間、AM8:38、北海道紋別市。
HImaP&Σ は渡部学が創設者であり、屋号としてます。
団体や宗教、反社会的勢力や会社などではございません。個人活動家であり、営利目的での活動はSNSではしてません。
記憶でしか証拠はないですが、HImaP&Σは渡部学が作ったものであります。
H 暇な I 今を m 学と a 遊ぼう P プロジェクト
ハイマップとは 高いところから見る地図つまり、人々の全体全容を意味してます。
総和を意味する Σ
呼び名は二つ ひまぴー(暇プロジェクト)とハイマップ。
今が幸せですとよく言います。本音です。その幸せの土台はやっぱり金の心配が特に【今のところ】はないことが感謝。お金がなくては幸せの土台はない。
だが、その幸せの土台が整ってからの問題なんです。
幸せでいれてるのに、お金のことでのいざこざってさ。
確かにお金が無くなれば幸せの土台さえ崩れて不幸になるからだけど。
自分自身がお金もってなくても自分自身の味方が持ってて、自分自身の幸せの土台を整えてくれてるなら、それでも幸せなんですよね。
自分自身で得る幸せというか、自分自身のお金で幸せになることも大事だけどさ。
お世話になれる味方いれば問題ないよね。
お金ってのは不思議だね。お金で幸せの土台があるけど。お金の量では幸せは決まらなくて、でもお金で幸せが買えるもんだからお金に対してみんな目くじら立てて、必死で得ようとする。
不思議なもんだよね。
幸せとお金。幸せあってもさらにお金は幸せを持続、永続させるため。幸せなのに、さらに欲するお金。
きりがないよね。
幸せなのに、際限なく欲する。幸せがほしいのか?
金がほしいのか?わからなくなるほどに。
だから、幸せは金だよって言うけど。
金をふんだんに使って金をかけまくって生活しても虚しくて幸せを感じない人もいる。
それはなぜだろうか?
確かに金で買える幸せしかないとも言える。だから幸せなんだけどね。金があればこそだから。
でも、そこなんだよね。金があるから幸せではない。
幸せがほしいだけだよね。人間ってさ。
こういう世の中のシステムではやっぱりお金があればあるほどいいに決まってるからこそ。
考え方がどうも間違って主軸がずれていく。
健康じゃなければ、金をいくらもってようとも治らない病ならどうすることもできないじゃない。
幸せがあれば、それ以上本当は必要ないのに。
お金の量にこだわってしまうよね。やっぱり。
見栄とか贅沢に魅了されて、【本当に必要な幸せ】ってのをどこか思考から忘れて置いてけぼりしてるような。
例えば幸せであれる土台が揺るぎないとしてだよ。揺るぎない状態を保つとしてだよ。例え話。
それでも金で色んな争いやネガティブに感情を抱き、盗まれただの、それは俺の金で、貸した金は返せだのなんだのとか。
例え話だからね。幸せの土台が揺るぎない状態を保っても、そこに対して心理的に執着心をもって争う必要がないよね?
いつもながらの話だけど。
どうも伝えたいことが伝えられたか?
渡部学もね。わからないけど。
幸せの土台が揺るぎない状態であれるとわかってから例えば、金に対しての貪欲さが消えるか、消えないか?
それは人の心の豊かさにあとはなるだろうね。
手に持ってる現金で今は大丈夫。
銀行の預金とかアプリでデータ上で預金があればなんか心は落ち着くなんてのみんな同じこと。
この世の中のシステム上ではね。
だが、もしかしたら?そんな数字なんてどうでもよくて、使いたいときに使いたい分があり、幸せの生活維持の土台が安泰であれば?
そこからは金に執着心が無くなるのかもね。
どんな大富豪でも使い方間違えば一気に使う浪費化なら、一気に無くなってしまって貧乏人になる人だっている。例え話。
例え話ですよ。幸せが確約しました。そういう人でも自分自身の金になったら?自分自身の金に対して非常に保持してようと思うのか?
幸せの土台の確約が永遠にされてるのに。なぜまだ金に翻弄されるのか?自分自身のものは絶対的に自分自身のだ。不正なものは許せないって。確かに不正な金銭的搾取は金に翻弄されてないとしても不正な金銭的な搾取をした人が悪いから罪になるけど。
幸せを確約された人が特にそこに執着心はないはず。
ないはずなんだよね。
お金って不思議だね。生き死にや人生まで左右するもの。
幸せを確約された人間はその左右されるものまでもう気にする必要がない。
金って幻想に惑わされないんだ。
渡部学はまだ金に翻弄されてる。でもそういう心理的なものを見始めてる。
幸せがほしいのであって、金はそれを整えるために必要なだけ。幸せが整ってるなら確約されてるならお金に執着心はない。
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