HImaP&Σ 渡部学(ワタナベマナブ)。
2024年10月5日(土)日本時間、PM3:04、北海道紋別市。
世界に残ってることは必要だからだ。だから悪事にもまた救われる人がいて、特定の人の希望の内容でもあることなんだ。だから不滅のものだけ残ってることはこの世の理(ことわり)なんだ。
だが、しかしながら、偏った視点でだけあえて言おうと思う。決して全て正しい解答だなんてことはまなPも思ってはいない。
権力や権威で相手をねじ伏せることは喧嘩ではない。
喧嘩とは対等の状況とレベルで理論のぶつかり合いし、共存共栄のするという項目の中で、お互いに踏み込めぬ領域の境界線を決めることだ。そこを侵害しないように協定を組むことにある。
だが、しかしながら、この世は結果的に強いものが強くあり、そこが全ての権力を持つ。
だが、しかしながら、それは争いではなく、権力でねじ伏せることはつまりは弱いもの虐めでしかないんですよ。肉体的、精神的に痛め付けることはね。
ただ、人間には理解はお互いに出来ないが、性癖というものがある。
多数はないが、少数の人間が多くの人を危害あることを性癖で好む人種が出てくる。
本当に必要ないものはこの世から消滅していくのが定め。
消滅しないのはこの世に必要とされてる場面があるから。それはその人が幸せが人に危害を与えることでも、誰かにはそれが必要とされる場合だけ。
自分自身の幸せだけのために人に甚大な被害、危害が加えるのは争いじゃなく一方的武力行使での暴力に近いことです。
だから、喧嘩の行く末という記事を書いたけど。
喧嘩ではなく、自分自身もされて著しく苦しく痛く肉体的、精神的に苦痛や耐え難いことは、自分自身が相手にすることが幸せでもそれは世界中等しくだめなことになる。
だから、相手を抹消という考え方も確かにあるが。
もう一度いうが、世界に残ってることは必要なことしか残らないのです。
どんなに自分自身が理解出来なくても、だめだと思うことも、世界に残るものは等しく必要だからそのことが残る。
必要ないものは自然に消すのが人間である。
だから人間がだめだと思う人間関係で出来る最大のことは理解出来ない人間とは一切関わらない領域を作ること。
そして、言えば人々に甚大な被害、危害を加えるようなことを好きな人間はそれが自分自身やれる人はやるし、そこで戦える強さ有るものはそこで戦えるし。
戦えないものはすぐに消える。
そういうことだから多くの人に理解出来ない領域で生きてる人間もまた必要か不必要かは人間が決めるのではなく。
この地球が決めてるだけ。
ただ同じ人間同士であとは出来る選択は。
弱いものは人を労り、人を思いやることを覚えて共存共栄の組織力を作り、それぞれが弱くても束の強さを作ることだけ。
残るのはその強さある人間の決め事。
理解出来ない人間関係は引き離すのが鉄則とは思うが。
闘争心の塊の人間や人に精神的、肉体的苦痛を危害が生じることを好む性癖の人間は、争いの中でも勝てる人間しか残らない。弱ければ消滅絶滅しかない。
ただ、そういう世界で戦ってる人種は一握りの人間だ。
まなPは未知の領域を知り恐ろしくてその上層部の領域には加わることは無理だ。
無論、今からそれを知る人間は後発の人間であり、後発の人間には服従しかもう選択肢はない。
だからこそ、後発の人間に残された善良で善意とは数多く必要な脆い束の塊のようなものなんですよね。
ただし、唯一永遠の意思力もまた善良であり善意である。
喧嘩の行く末の話。
権力で出来る力の誇示で相手を屈服させるは弱いもの虐めでしかない。
喧嘩とは、対等のもの達の戦いとは死ぬまで対等であり、等しい力関係であるものだ。
そして、人間に出来る最大の悪因になる人間関係は引き離し、合わさないこと。
そして、元凶が強い人間の場合だけ。それは弱いものは敵わない。そういう結論です。
そういう話です。
特別なことを言ってはない。当たり前のこと。
当たり前とは古来より伝統された考え方であり。
それを作ったのは【神】と呼べる人種かもしれない。
とにかく、必要のないものはこの地球から抹消されていく。
残ってるものは必要とされてるものだけ。認めたくはないが、善悪とは関係なく。
だが、昔から善意で善良もまた概念として根付くのは永遠に消えない。
そういう結果です。
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