HImaP&Σ 渡部学(ワタナベマナブ)。
2024年9月23日(月)日本時間、AM8:50、北海道紋別市。
ネット社会は様々な人がいると意識せざる追えない、ども、まなPです。
先日、ある方から意見を頂きました。少し反論に近いようなコメントに対して、自分自身が反応してコメントしたのですが。
改めてわかったことは。結論から言うと、発信者とは発信してることにより、様々な人間がそれを読む、観る。
そのことで、いろんな感情で色々な反応があるのは当たり前。それを受け入れるつもりで発信しなければならないとわかった。
と言うのは、反論に対して、まなPはそんな人達を自分自身が構う、構わない、コメントを無視する、されっぱなしでもいいわけで、反応したのはつまり、まなPの記事を読み反応したのは読み手の相手でありコメントして、そこにさらに反応したのはまなPと言うこと。
そう、色々な反応や意見や感情が飛び交うネットに何かしらの投稿をして発信してるということは、それなりに、アンチコメントや反論、反感も読み手の相手にとっても、自由。
その自由が嫌なら発信するなってこと。考えたら、書いて置いて、お前は読むなはないんですよね。
書いてるから誰かは見に入り読み、反応した。
その反応にいちいちまなPが反応する必要はない。特にアンチや反論や反感をしてくる人と向き合い、議論する必要がないんですよね。
それを改めて勉強し学んだというか(笑)
YouTuberや有名TikTokライバーや、芸能人達も発信しておいて、嫌なやつらくるなってのは、それ自体が傲慢だったんだなってね。
嫌なやつらからしたら、それが嫌なら発信するなって言われるのがオチです。
そういうやからは自分自身のストレス発散のために好き勝手言うのが常識だからさ。
発信者の方もまた誰かを的にした危害や妨害はしてないけど、自由に発信してるのだから、お互い様かと思う。
読み手の反応は様々なのに、発信者は発信するけど、読み手を選ぶことは不可能。
よって、自由にコメントしてくるのはその人の権利である。
法律違反に反しない範囲であればね。
発信者もまた同じ。
ただし、発信者は視聴者選びは出来ない。理解しろって思うことが発信者の傲慢かもね。
そもそも理解出来たら、反感、反論やアンチコメントしないのだからさ。(笑)
まぁー再認識したよね。
まなPの言うことはここだけ切り抜きして、全てにこれが正しいことだと当てはまることにされても困るけど。
例外や事によってはあるし。
ただ、これは一理正しいことを言ってると自信はある。
勉強になるよね。反面教師的なものって。
こうはなりたくはないってやつ。
ネット世界とは見えないからこそ、見えてないから言えることって多くある。
仮面を被れば自分自身だとバレないからね。
対応する価値ある人と、ない人っているからさ。自分自身の本位でね。
自分自身の本位でわがままですね?って言われたまなPだけど。逆に言うけど、自分自身の本位でない人間って世の中にいるなら、教えてもらいたい。自覚する、しないは別として、自分本位の人間しかいないと思ってるけどね。まなPはそう思う。他人のことを考えてるって言ってもそうしてる自分本位でしょ?
意味わかるかな?
まー今回だから勉強になりました。発信者とはいかなる反応も受け入れる覚悟で発信してなければならない。
ただ、その反応一つ一つに向き合う必要は発信者にもないってこと。発信内容に責任は生じても、人々の反応にはいちいち責任を取る必要はない。
対応する必要はないんだってわかった。
コメントするのは自由だしね。
ある人に様々感だって、まなP言われたけど。
俺様々なのよ。まなPはね。それが嫌なら勝手に離れてくれて構わない。去るもの追わず、来るものは選ぶ。
俺様々だろ?(笑)
ただし、発信内容に自由にコメントするのは相手の自由。法律違反の誹謗中傷でなければ咎める必要もないしさ。
そう思いませんか?皆さん
そういう話です。
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