HImaP&Σ 渡部学(ワタナベマナブ)。
2024年8月26日(月)日本時間、PM2:46、北海道紋別市。
間違った言動の経緯を説明する。
SEKAI NO OWARI
Dragon Night
この歌詞は本当にあった戦争地域の人達がクリスマスの聖夜に休戦をしたことの話。
戦争ってのは怖いよね。どこから、なにから始まってしまったのか?
些細なことかもしれない。
お互いに善良さがあり、でも国のためにお互い戦争をする。
だが、来る日も来る日も戦争に明け暮れた兵士達は、何のために戦ってるのか?
家族が被害あって遺恨?、国のために?、それぞれの思惑や心理の中で、何のために戦ってるのか?
確かに家族が戦争で敵国に殺されたら怒りと憎しみしかない。
でも、戦争に明け暮れた兵士達は気付くんだよ。
死んだ家族や大事な人は戦争で自分自身が死ぬことを望んではいない。
生き残った人は幸せに、楽しく、平和に暮らすことを希望している。死んだ人達の願いはそこにある。
戦争している理由はなんだったんだろう?どうしてこうなったのだろう?
引き下がれない、諦めれない、休戦も出来ない。
その中で兵士達は何を思うんだろう?
無意味な戦い。無益な戦いを永遠にする。終わりの来ないような絶望の中で生きる日々。
そう考えた時にさ。怨念では生きないって思いから。
大事な人が痛め付けられても、殺されても。許せないけど、争いは何も生まないから、争いが生むのは激化する争いだけ。
俺もね。母親とはいえ、側頭部を殴った。悔やむしかない。後悔しかない。なんでそういう行動に至ったか?
でも、未知の領域を知らない頃、でも、別人みたくなった父や母や兄に違和感を覚えて、何も知らない人間が見えてる姿では信用出来ないほどに、別人の人格や性格に気付きてしまい怯えた。いや、さらに自分自身の心理思考もおかしくなってたし、人格や性格まで自分自身もまた別人だったから抑えが効かなかった。
でも、それが他人だったなら?母でなく他人だったら、暴力を何も悪いことしてない人間がされたら遺恨しかないはず。
なのに、渡部学は今が幸せで居れるのは、相手の怒りと憎しみは消えてないかもしれないけど。罪からの解放されたからだ。
感謝しかない。その恩義をずっと忘れたくはない。
幸せに生きるってさ。不幸や争いや災難があったら遺恨が残る。天災なら、仕方ない?でも、心の悲しみは残る。
戦争ならずっと憎しみが残るじゃん。
でも、死んだ家族がどう生き残った家族に望んでる?
幸せに楽しく生きててほしい。ただそれだけじゃない。
そういうことを想像してたんだよ。
そういう永遠に消えそうもない遺恨を、戦争を終結させるには。
全てを許して譲歩して、これからの未来を楽しく生きて幸せにいたいでしょ?
全て忘れますってでも難しい話だよね。
だからどうやったら、戦争を終結させるにはいいのか?
考えたら、全て許すって言ってしまった理由。
俺がそもそも過ちを冒して、それでも幸せに暮らせるのは許されたかどうかはわからないけど。
罪と罰の解放されたからだ。
過ちを冒した人間がその恩恵に感謝して。
そういう寛大な心に一生感謝する。
だけど、やっぱり大事な人が痛め付けられたり、殺されたら遺恨しかないよ。
やっぱり間違ってた。
争いや戦争の無限ループをどうやって遺恨を消し去るのか?仕方なかったなんて天災でもなければ思えないじゃない。
でも、天災だと思って、生き残った人間が平和的に解決して、その後の人生を楽しく幸せに人と繋がり生きていくなら明るい未来でしょう。
そういう気持ちであの間違った言葉がでた理由です。
渡部学も過ちを冒したけど、反省し悔い改めて幸せに生きさせてもらってる今がある。
それだけで生きてる幸せを大きく感じる。
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