mixiユーザー(id:5677348)

2024年08月10日21:30

20 view

六道まいり

「六道まいり」とは、盂蘭盆を控えた8月7から10日の期間において、迎え鐘を撞いてお精霊さんをこの世に迎えるために六道珍皇寺に参詣する行事である。
迎え鐘は十万億土の地の果てまで響き渡ると言われており、お精霊さんを冥界から呼び寄せる。
そして、盂蘭盆をこの世で過ごしたお精霊さんは五山の送り火であの世へと帰って行く。
普段静かな六道珍皇寺は、六道まいりの日には大変な賑わいを見せる。
元々、六道珍皇寺のある辺りはこの寺の所在地付近は、平安京の火葬地であった鳥辺野の入口にあたり、現世と他界の境にあたると考えられ、「六道の辻」と呼ばれていた。
そこで小野篁の冥土通いの伝説や、六道まいりの様な風習が生まれたのだろう。
今年も、迎え鐘を突きに六道まで行って来た。

9時半頃に汁パレスを出る。
烏丸から阪急の地下道で河原町まで行く。
そして木屋町通を下がり団栗橋で鴨川を渡る。
京都三大花街の宮川町を抜けて松原通りを東へ進むと六原の地。
フォト
10時に到着した。
10時から周辺一帯は車も入れなくなる。
まだ早い時間なので、余り人はいない。
フォト
六道珍皇寺の境内に入る。
フォト
提灯には「この世への出口」と書かれていた。
フォト
前は「あの世への入口」だったと思うのだが。
フォト
やはり、時勢的に問題があると思ったのか、迎え鐘で帰って来るから出口の方が良いと思ったのか。
5〜6人しか並んでいなかったから、迎え鐘を突く。
フォト
そして、本堂にお詣りをする。
六道まいりの時期だけの限定の御朱印があるので、頂く。
フォト
その間に小野篁と閻魔大王にお詣り。
今昔物語などによると、小野篁は昼間は朝廷で官吏を、夜間は冥府において閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたという伝説があり、六道珍皇寺の井戸を潜り抜けて閻魔庁まで往き来していたと言う。

御朱印を受け取り、六道珍皇寺を出る。
斜め向かいにある「松原 肉のむら瀬」の店舗が新しくなっていた。
突っ込み六道の辻にある西福寺へ。
フォト
平安時代の初期、貞観年間に空海が自作の土仏地蔵尊を、「六道の辻」に建立した地蔵堂に祀ったのが当寺の始まりと言われている。
嵯峨天皇の皇后橘嘉智子(檀林皇后)はこの地蔵堂にしばしば参詣し病気がちの正良親王(後の仁明天皇)の病気平癒の祈願した事から「子育地蔵」と呼ばれるようになった。
フォト
西福寺のある六道の辻は、まさにはあの世とこの世の境。
こちらでも迎え鐘を突く。
フォト
そして祈願銭を頂く。
しかし、残念ながら熊野観心による地獄絵絵解きは昨日までだった。
だが、御朱印は頂けた。
フォト

最後に、西福寺のすぐ南にある六波羅蜜寺へ。
フォト
六波羅蜜寺は、平安時代中期の天暦5年(951年)に踊り念仏で知られる空也がに造立した十一面観音を本尊とする道場に由来する寺である。
フォト
こちらでも鐘を突き、本堂へお詣り。
時間があれば宝物館で木造十一面観音立像や空也上人立像、平清盛像も拝観したかった。
フォト
特に空也上人立像はコミケのコスプレでも見たし、空也上人が手にしている杖は鹿の角なので「しかのこのこのここしたんたん」絡みでコラボして欲しい。

六波羅蜜寺の後、近隣にあるスーパー「ハッピー六原」や「ニッタベーカリー」に寄り帰宅。
しかし、彼方此方にある東山警察署の看板は、キャラが可愛い。
フォト
フォト
帰りも元来た道を歩いて帰る。
途中、大丸やフレスコ、ライフに寄って汁パレスには12時に帰宅。
昼に「ヤッターマン」を見ながらカップヌードルを頂く。
そしてそのまま爆睡。
献血に行ってたまなにゃーデックスさんが帰宅して、起こされた。

来週17日は軍装パーティーなので、夕方4時に髪を切りに行く。
大分とすっきりした。
帰りに、やまや、フレスコなどに寄って帰宅。
豚肉が安かったのは幸いだった。
六角の中島養進堂に、可愛いうさうさ団扇が売っていたが、少し高い。
フォト
夜はパスタ。
ナポリタンでノンアルコール。
これで三日連続でノンアルコール。
なかなか健康的。
明日から明後日まで、京都を留守にするので早目に就寝する。
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2024年08月>
日 月 火 水 木 金 土
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031