退職を伝えた。可能な限り淡々と。
東京営業部長のキタオさんは温厚な人で、声を荒げたりしているのをみたことがない。
故に跳ねっ返りの若い社員に舐められる事もあるみたいだが…
個人的には尊敬をしている。
入社時研修の挨拶で
「社会人としてのマナーとか心構えとかから研修します。お客さん、社外の人にはきちんと接する事が出来るように、我々は仲間だからまあ…いいんですけど」
みたいな事を言っていたのは建前かもしれないが温和で誠実な人なのだなという印象を持った。
誠実は美徳だ。と、僕は思う。
誠実さは一つの能力に匹敵する、だろう。
何か一つの能力で加点が1つされるなら、誠実さには美徳と能力で加点は2つで良いだろう。
僕はそう思う。
そんな人が東京本部…大阪本社の下にある東京メンバーのボスだというのは幸いだろうな。
…。
…まあ辞めますけどね。
退職を表明した時の電話は…
「あ、お疲れ様です。須坂店の利根川です」
「ああ利根川さん、お疲れ様ですぅ」
キタオさんはゆったりとした関西弁。
「ちょっとご相談ございまし
て」
「はぇ?」
「8/31で辞めたいのですが…」
一瞬の沈黙。だがあちらも慣れたものだろう。
「…そうかあ、何かありましたかあ?会社に不満とかあ…」
「いえ、そういうわけでは…他にやりたい事もできましたし…」
「そうかあ…」
…みたいな感じだった。と思う。
初夏の18時とか。そんなに暗いはずはなさそうだが外が暗かった気がするのは俺の気持ちの問題なのか…。
軽い慰留はあったのだろうが、大した期待もされていないのだろう。あっさりと退職は決まった。
…つーか、「何か不満でも?」とかよく言えるよな?
語りだしたらきりがないとおもいますけれども。
社交辞令みたいなものなのだろう。気にしないことだ。
受話器を置き、誰もいない店内に1人。スタッフは俺一人だし、勿論客なんか来ない。
見回して息をつく。愚痴を垂れる相手も報告する相手もいない。
有線が流れているが何故か静けさすら感じている。
虚無感…とも違う。
寂莫というやつか?よく分からん。
加工場の椅子に腰掛けて考える。
何を?
今後を?
あ、彼女と親と…連絡しないとな。
それから、同期にも…みんなびっくりやろなあ。
お世話になった先輩のハラシマさんにはすぐに電話で退職する旨を報告した。
「すいません、先程キタオさんに電話して、8月で退職すると伝えました」
固苦しい挨拶をする必要はない仲だが、どこかよそよそしくなったかもしれない。
「ああ、そうか。今度また飲み行こう、話聞くよ」
返事も素っ気ない感じがした。
同じ会社の仲間でなくなるという実感はまだ無いのだけれど。
ハラシマさんは俺が兄貴と慕う先輩で、良く飲みに連れて行ってもらった。
俺は入社後の店舗配属では新田店という繁盛店に行ったのだが、そこは後にスーパーバイザーになるワタベさんが店長を努める店で、まあ…パワハラに次ぐパワハラの日々であり…。
「お前は向いてない、使えない」
というレッテルを貼られて追放同然に研修店異動になった。
行き先となったのがハラシマさんの竹ノ塚店だった。
そこで改めて教育をしてもらい、一人で店番出来るようになったり店長なったりした…
要するに恩人なわけです。
辞めるなんて言ったから怒ってんのか…。
竹ノ塚のパートのエノモトさんにもメールで連絡したら
「店長寂しいんだと思うよ」
との返信。
ああ…ごめんなさい。俺は根性なしです。
携帯で同期にもメールを打つ。この頃はボーダフォンだった気がする。
返信はきっと後だろう。
「身辺整理しないとな…」
店も寮も。
店に私物はほぼなかったが、クレーマーの処理方法は引き継いでおかないといけないので、対応をマニュアルにしておこうと考えた。こう来たらこう返す、みたいな。
次の店長が対応できる人だといいけどな。
20時になって店を閉め…
来客ゼロの売上表を大阪にFAXし、すかさず店を出る。
電話が鳴っても知らん。
セイユーでモヤシとビールを調達してアパートに帰った。イヨマンテのネギ味噌ダレを入れて辛い味噌ラーメンにするんだ…。
彼女には夕食前に電話をかけた。
「退職決めてきたよ、8/31までかな」
「うん」
「そしたら、帰れるから」
「うん、待ってる」
みたいな。
ちゃんと大人しく待っててくれるのか…信じる以外にない。
大丈夫…一歩ずつ帰るんだ。彼女の待つ春日部へ。
1食100円で作るラーメンを食らう。モヤシとウインナー、仕上げに辛いネギ味噌を入れたそれを喰らいながら、帰ることを考える。
もう一度新しく始める春日部での日々を。
酒は飲み放題なので節約はあまり意味無いのだけれども。
14型のテレビデオに流れる銀河英雄伝説は何周目だろうか。
繰り広げられる苛烈な宇宙戦。
ヤン大将の不在を突いて要塞ごと送り込んでくる帝国軍。イゼルローン要塞の運命や如何に。
もう何回も観てますけどね。。
同期からメールの返信もきた。
同期からは当然引き留める声がある。能力云々ではなく、
入社式→研修→何人かで出張して泊まりでの新店応援…少し慣れてきた時期はいろんな店舗を新人2人で営業…、度々の飲み会や集まり…
とかあったので、仲間意識は強い。
「自分も辞めよう」と考えている者もいるだろうから一概ではないが、少なくとも今辞めようと思っていない者は慰留に近い事を言う。踏み絵みたいね。
イケダは仙台で東北のエリア長をやっていたが特に「辞めるな」「やめちゃ駄目だ」という言葉をくれた。
まあ、もう決めた事なんですけれども。
長野での最後の日々は夏。
そして8月も終わり。
退職の日が終わった。
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