mixiユーザー(id:5677348)

2024年06月29日22:35

46 view

京都鉄道博物館・さよなら展示 「オハ12 形」特別展示

まなにゃーデックスさんが「ゆったり楽しむ特別なSLスチーム号」のチケットを予約してくれたので12系客車に別れを告げに京都鉄道博物館へ行って来た。
9時過ぎに汁パレスを出る。
京都でJRに乗り換える。
山陰本線の嵯峨嵐山行きは外国人観光客で物凄い乗車率。
しかし、偶然にも座る事が出来た。
一駅で梅小路京都西に到着。
時間は9時半で、開館まではまだ30分時間がある。
待機列は予想より長くはなかった。
京都鉄道博物館に来るのは今年2月に「999展」以来。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1986904880&owner_id=5677348
10時に開館。
係員がから「走るな危険」を連呼している。
本館1F一番奥の車輛工場へ。
12系客車5輛のうちの3輛が展示されている。
手前にオハ12-341。
そして奥にスハフ12-155とオハ12-346が展示されている。
フォト
スハフ12-155には大阪と出雲市を結んでいた夜行急行「だいせん」のテールマークを掲示していた。
撮り鉄も多数集結して撮影している。
罵倒合戦が繰り広げられそうだったから、12系をぐるっと回って見学をする。
行き先方向幕は何故か「西鹿児島」となっていた。
フォト
更に「京都」の方向幕も。
フォト
しかし、階段を上がり上から眺めると、屋根にはかなり錆びも出ており、老朽化は否めなかった。

12系客車は、1970年の日本万国博覧会での臨時列車・団体列車等の波動輸送用車両として1969年に登場した急行形客車である。
急行形電車の設計を基本的に踏襲して車体幅を広げ分散電源方式を採用し冷暖房を完備するなど、それまでの客車とは一線を画す新しい機構を数多く取り入れた。
塗色は、青20号にクリーム10号の2本帯と言う明るい色合いとなり、後に登場する14系特急形客車、14系・24系寝台客車にも採用された。
まさに12系の設計は、その後に登場する国鉄優等客車の基本となった車輛である。
万博の終了後も暫くは団体列車や臨時列車で使用されていたが、1973年に急行「きたぐに」などの定期列車の運用に着く事となった。
大阪から北陸本線で新潟・青森を目指す伝統の急行「きたぐに」は沿線でよく目にした。
機関車の次にブルートレインと見紛う12系客車が並び、途中から薄汚れた10系軽量客車の寝台車に変わる編成は何とも言えない魅力があった。
更に老朽化した20系特急形寝台客車が急行用に格落ちして急行「ちくま」や「だいせん」などの運用に入った。
20系寝台車と12系座席車の混結も趣味的には大変に魅力的であった。
本来の団体列車としての運用もまだまだあり、特に宗教団体の貸し切り列車。
創価臨や金光臨、天理臨などが全国各地から聖地を目指して走っていた。
今は寂れた天理駅も、初めて訪れた時には広い構内に何編成もの12系客車が留置されていた。
私が初めて12系客車に乗車したのは1970年代の後半、幼稚園の遠足で上野動物園へ向かう団体の貸し切り列車。
ブルートレインと見間違える青い車体に二本の白帯。
しかし寝台車と違い低い屋根の車輛に心が踊った事を覚えている。
しかし、残念ながら牽引した機関車は覚えていない。

80年代に入ると、夜行急行列車の減少や、普通列車に使用されていた旧形客車の引退等により、12系客車も普通列車として使用される様になって来た。
格落ち改造された12系は、白帯が消され青20号の一色となり車端部の座席がロングシート化されローカル運用についていた。
かと思えば、ジョイフルトレインとして改造され、豪華欧風客車や和式(お座敷)客車に改造され、華やかな運用に着く車輛もあった。
12系の普通列車は、80年代には彼方此方で乗車した。
特に山陰本線ではDD51が牽引する普通列車が走っていたから、保津川沿いの旧線廃止の撮り鉄フィーバーもあり良く乗車した。
フォト
特に保津川に沿って走る旧線を12系客車や50系客車のボックスシートから眺めると、遠くへ乗り鉄しに行っている様な錯覚にも陥った。
フォト
また、12系客車の行き先方向幕は電動式ではあるが、手動にする事も出来、旧線が廃線になる直前の山陰本線の12系普通列車は鉄道マニアの手により悉く行き先が変えられていた。
地方に乗り鉄に行った時でも、奥羽本線などで12系客車の普通列車に乗車した。
ただ、ジョイフルトレインは余りにも高値の花故に、撮り鉄専門であったが。

とは言え、80年代に入ってもまだ僅かながら12系客車が夜行急行の運用に入っていた。
ペアの寝台車が20系から24系、14系寝台車に変わったが、12系客車は現役だった。
特に「ちくま」は登山客にも人気の列車で繁盛期には10輛もの長大編成で大阪と長野を結んでいた。
フォト
フォト
90年代に入ってもまだ生き残りの夜行急行に12系客車が使用される列車もあった。
ただ、流石に従来からの急行用のボックスシートでは勝負にならないので、リクライニングシートの座席に変えられていたが。
そんな貴重な急行列車として使われる12系客車に初めて乗車したのは、1997年の秋。
北陸新幹線開業を控え、廃線になる碓氷峠横川-軽井沢へ乗り鉄と撮り鉄をしに急行「ちくま」の自由席に乗車した。
名古屋での機関車付け替えなど、楽しい話しかなかったが、12系客車の急行列車の乗車はこれが最初で最後になって仕舞った。
帰りは、既に583系電車に置き換わっていた急行「きたぐに」だったので、「ちくま」には乗れなかった。

12系客車を見学して、キハ81系特急形気動車が車内公開していると聞いて、行ってみた。
フォト
キハ81系は1960年に上野と青森を結ぶ特急「はつかり」用に開発された国鉄初の特急形気動車。
それまで蒸気機関車運転で12時間掛かっていた上野-青森を1時間35分も短縮する10時間25分で結んだ。
保存されているキハ81系は二等車(現在の普通車)で、座席は2人掛けの回転クロスシートでリクライニングはしない。
フォト
今の基準で見たらかなり低いサービスに見えるが、普通列車での長距離移動が当たり前で背もたれが板張りの車輛もあったこの時代、冷暖房完備でもあり破格の豪華列車であった。
フォト
初期故障こそ頻発したが安定稼動するようになり、また1961年に登場した二次車であるキハ82系と共に全国の非電化路線に特急網を確立した功績は特筆に値するであろう。

キハ81系の車内を楽しんだ後、「ゆったり楽しむ特別なSLスチーム号」は11時発なので、スチーム号乗り場へと移動する。
ちょうど10時45分発の「SLスチーム号」の改札を行っていた。
今日の「SLスチーム号」は全て「さよなら12系スチーム号」として運用されており、2019年まで米原-木ノ本で運転されていた「SL北びわこ号」のマークを付けていた。
フォト
ただし、此方は全席自由席だが「ゆったり楽しむ特別なSLスチーム号」は全席指定席である。
11時発の「ゆったり楽しむ特別なSLスチーム号」の列に並ぶ。
一番先頭に並ぶ事が出来た。
11時前に改札。
指定席とは言え、座席は乗車前に鬮で決まる。
まなにゃーデックスさんが引いて、座席は1号車7番に決まった。
フォト
「急行券」など久し振りに見た。
そして記念品を受け取る。
折り返して来た「さよなら12系スチーム号」が到着する。
行き先方向幕には何故か「都城」行きになっていた。
車輛は機関車がC56 160号機。
機関車の次位に1号車オハ12-345、そして2号車スハフ12-129と言う編成。
車内に入ると青いモケットのボックスシートが並んでいる。
急行用だから113系や115系の様な近郊形車輛のボックスシートよりも広くで幅がありゆったりしている。
1号車に入り7番AB席にまなにゃーデックスさんが。
フォト
7番CDに私が着席する。
フォト
フォト
12系客車に乗車するのは2015年10月30日、「パレオエクスプレス」以来になる。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1947497076&owner_id=5677348

11時、「ハイケンスのセレナーデ」が鳴りアナウンスが入る。
汽笛一声、そして客車独特のショックがあり、ゆっくりと走り出す。
いつもは線路側に座るのだが、指定席は公園側だった。
成長した公園の木々が客車に擦れる。
夏のローカル線ではよくある事。
木々を抜け公園が見えて来ると、多数の人がカメラを構えている。
梅小路公園は新緑が眩しく、所々に紫陽花が群生していた。
車内放送で、12系の案内などを流している。
そして今は臨時列車の運用もなく、専ら乗務員の訓練用に使われている事も。
折り返し地点に到着し、停車。
そして再び軽い衝撃と共に梅小路を目指す。
沿線の紫陽花を眺めながらの旅。
そして、梅小路に到着した。
僅か10分間の旅。
そして恐らく、最後の12系での旅。

「ゆったり楽しむ特別なSLスチーム号」は、梅小路に到着してから、15分ほど撮影時間が設けられている。
なので、撮り鉄が群がって撮影している。
車内の様子など、撮り鉄して行く。
行き先方向幕が「三角」行きになっていた。
時間が来てホームから離脱する。
そして11時30分発の「さよなら12系スチーム号」を撮り鉄する。
フォト
フォト
フォト
博物館の広場にあるドクターイエローを模した遊具の上で撮影している馬鹿や禁止されている三脚を持ち込んでいる馬鹿もいる。
悉く注意されているが、罵倒したり係員を睨み付けている。
復路の「さよなら12系スチーム号」は2階のテラスから撮り鉄した。

京都鉄道博物館では、駅メモとのコラボ「ルナと巡る月夜の浪漫紀行」が開催されている。
フォト
スタンプは583系特急形寝台電車と489系特急形電車の所にあったので、押した。
フォト
続いて2階の企画展示室で開催されている「関西鉄道時間旅行」を見る。
入口が日本初の鉄道トンネルである石屋川トンネルを模している。
中は関西鉄道開業150年を追える様な展示になっている。
明治・大正期の貴重なポスターや写真があり、なかなか面白い。
顔出しパネルも明治時代風。
フォト
昭和時代のヘッドマークなども展示されていた。
特に大阪-金沢を米原経由で結んだ急行「ゆのくに」のヘッドマークには感動した。
フォト
こう言う展示だと、大抵は北陸急行の代表学力で大阪-富山・糸魚川・宇奈月温泉を湖西線経由で結んだ「立山」なのが定石だから。

12時半頃、まなにゃーデックスさんが「お腹減った」と言うから駅弁を買いに行く。
「炙り牛焼肉重」しか残っていなかったが、まなにゃーデックスさん好みな弁当。
折角なのでナシ20形食堂車で頂く。
フォト
「昔懐かしいお茶」何て物があったから、注文してみた。
フォト
ペットボトルのお茶も、缶入りのお茶もなかった頃には駅弁と共にこう言うお茶を売っていた。
昔、金沢へ帰るのに急行「ゆのくに」や「くずりゅう」に乗車した際に米原駅や敦賀駅で駅弁と共に頂いた思い出が甦る。

昼食後、再び館内を散策。
食堂車や駅弁のコーナーで戦前の食堂車が出て来る「青春急行列車」の一部分を上映していた。
急行列車の食堂車に富士山。
そして静岡駅に停車と僅かながら貴重な映像だったが。
静岡駅停車中にスタンプを押しに行くと言って間に合わなかった兄はどうなったのか、続きが気になって仕方がない。
映画は、東海道本線の急行列車に乗車した兄妹を主人公に、車内でのさまざまな出来事を通じて、列車内でのマナーや道徳の重要性をドラマ仕立てで紹介していく短編映画。
戦前の汽車旅の様子が丁寧に描かれている名作である。
更にタブレット交換式の通票の取り扱いを紹介している映画もあった。
蒸気機関車が駅を通過時にタブレットキャリアーを通票受器に投げ入れ、新しいタブレットを受け取る動作が映し出されていた。
通過する列車がタブレットを受け取るシーンは、1989年に天北線で見たのが最初で最後である。
フォト
更に、今まで余り行かなかった信号機のコーナーにも行ってみた。
腕木式信号機の操作が出来たが、まなにゃーデックスさんがツボに入ったのかお気に入りになっていた。
腕木式信号機は、日本に鉄道が伝わったころにはほぼ完成していた古いタイプの信号機。
フォト
手動で信号機本体の腕木の位置を変える事で信号を表示している。
今はもう殆ど使われてはいないが、私が高校生の時分にはまだローカル線等で使われていた。
今から思うと、こう言う施設の写真も撮影しておけば良かったと後悔している。
1995年の8月に、北海道は深川と名寄を結ぶ深名線の幌加内駅で撮影した写真に、現役の腕木式信号機が写っていた。
フォト
更に貨物列車のコーナーや、鉄道のあゆみをじっくりと見て行く。
そして大阪環状線103系通勤電車のドア開閉。
これもまなにゃーデックスさんが大好きな奴。
また、合間に「さよなら12系スチーム号」を撮り鉄したりする。
そして0系を見学したりして、3階で休憩。

16時に最終の「さよなら12系スチーム号」が到着。
16時10分から機関車を切り離しターンテーブルで回転させるから、見に行く。
以外な事にまなにゃーデックスさんは初めてだと言う。
機関車がターンテーブルに入り回転。
そして石炭ガラの排出と石炭、水の補充に入る。
目の前で石炭の補充を見る。
普段ならこれで終わりなので、50系一般形客車を利用した休憩スペースに入る。
何気に眺めていたら、機関車が機関庫に入るとの事で再びターンテーブルへ。
そして、C56形蒸気機関車は機関庫へと帰って行った。
フォト
これで全て用事も終わったので、ミュージアムショップを覗いて帰ろうかと思ったのだが、余りにも凄まじい人で諦めた。
16時53分の市バスで四条烏丸に帰る。
烏丸には17時半頃に到着。
サイゼリヤでアフター。
フォト
「ゆったり楽しむ特別なSLスチーム号」の記念品。
フォト
これは何よりのものだ。
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2024年06月>
日 月 火 水 木 金 土
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30