大学が休みなら
朝になれば彼女が来る。
外階段を登る足音が枕を揺らして、鍵を開ける音が響いて。
線路に向いた玄関の扉が開いた瞬間だけ光が差し込む。
寝たふりをした俺の上に彼女が重なる。
彼女が現れて2人の休日が始まる。
今日はどこへ行こうか…
いや…
今日は違う。
今日はまだ来ない。
約束は夜にしてある。
別れ話だったら…朝イチからは重いから丁度いいのか。
あまり眠れなかった。仕事している時は必死なのかそこまで深刻に考えてなかったんだな…。
意識は飛んでいるから眠ってはいるんだろうけど、浅い眠りだったのだろう、何回も目を覚ましては時計を見た。スーパー雷電という目覚まし時計、黒いやつだ。目覚まし機能はオフにしてある。
7時ぐらいで洗濯機が回りだす。うるさい。
8時を過ぎたあたりで布団を出る。
何か飲もうと台所へ行って
冷蔵庫を開けるとビールに手が行きそうになって…違う違うまだ朝だ。
ってなる。
朝飯がない…。
ベーカリーエンドーに行ってみよう。
線路沿いにあるパン屋さんで価格は安くて味も良い。
高校時代に流れ寿司『さんみ』でアルバイトをしていて、その裏の公園で野球をやったりも…した。
せいぜい5、6人でなんとなくやる、素人丸出しの野球風の遊びだ。俺なんか外野フライも捕れないしね。
腹が減った俺はサトシやタケヲとそのパン屋に行ったものだ。
大池通りあたりから線路沿いまで自転車で2分足らず。
そこの店主は実直な印象を受けるおじさんで、忙しそうにしながらもパンをトレーに乗せた俺等がレジに近付くと急いで来てくれる
「そうしますとー!」
そうしますとー?
「カレーパンが!百円!」
みたいに熱く語る。
タケヲはおじさんが急に
「そうしますとー!」
と言い出すのがツボだったらしく、いつも笑いを押し殺していた。
…。
まあいい…。朝飯だ朝飯。
寝る時はTシャツにトランクスなので、ジーパン穿けば外に出られる。
サンダル履いて外に。
階段を下って、歩き出す
アパートの階段の下には俺のマウンテンバイクが1台だけ。
以前は彼女も通学に駅まで行くのに駐めてたりしたが…今日は駅近の無料駐輪場にでも駐めてるのだろうか。
線路沿いを歩いて。
ベーカリーエンドーに入る。
線路沿いに佇む白い普通の家みたいな建物だ。一階が店舗になっている。
俺はコーンパンとか…好きだな。フカフカのパンの中央が窪んで、マヨネーズとコーンが乗っている…コーンパンだな。間違いないだろ。決めた。
カレーパンとヤキソバパンをトレーに乗せて、レジへ。
店奥のパン工房から出てきた店主がレジカウンターの向こうへ入る。
「そうしますとー!」
そうしますとー?
「カレーパンが、百円!焼きそばパンが、百円!」
…高校時代から数えたら5.6年ぐらいか?
お元気そうで何よりです。
「あ、あとこれください」
冷蔵ケースからパックのコーヒーを取り出してカウンターに置く、
「そうしますとー!3点で!280円!」
安っ
コーヒーとパンで朝食を済ませて。
洗濯物干して。
…何をしようか。
正直、やる事・やりたい事…なんだろうな。
この1年…何をしてたか…またいずれ描いてみよう。
タイトルは…眼鏡屋日記…とかな。
まあ書かないだろ、どうせ…。
この1年…須坂と春日部を行き来して、
須坂では仕事と仕事関係の飲み会やら…ばかりして。
春日部では彼女と過ごして地元の友達と遊んで…。
後は移動と寝る時間。ぐらいだったか。山田うどんと牛丼ばっかり食ってた気がする…。
あとエロビデオ鑑賞と、エロDVD見る為に購入したプレステ2に抱合せされていた幻想水滸伝IIIぐらいか。
主体性ないからな俺…。
やる事誰か決めてくれ。
…。
父親と喧嘩して始めた一人暮らし…。程なく地方に飛ばされて、会社の人間以外に知り合いのいない街で仕事して。
毎日のように彼女に連絡して。
「シノブがいなくなったら俺には何も残らないんだろうな」
って、ある晩なんとなくプロポーズみたいなメールをした事を思い出す。
いい返事頂けたんだけどな…。
彼女を失くしたら、食って飲んで糞して寝るだけ。
そんな未来が待っているようで…なんだか…。
なんだかな…。
だらだらして、夜。
飯食って糞して…夜。
大学を終えた彼女から駅に着く前にメールがきて、俺は部屋に居るからと伝えて。
少しして、アパートのドアが開く。
「おかえり」
「おかえり」
2人しておかえりを。
微かに笑顔を浮かべる彼女の表情は、それでいて何処か憂いがあるような。
心配な事がある時、こんな表情をするよね。
俺の機嫌が悪い時とか…別れようなんて思っていないのに、勝手に泣きそうになってたり。
ん…?
とりあえず座ってもらう
洋室のテーブルはコタツだ。夏は近いがそのまま寝れる様に布団はついたまま。敷布団が隣にあって、寒ければ掛け布団とコタツを繋げる事も出来るんだよこれが。
いつもなら敷布団側に座る彼女が、今日はTV側に座る…。
あれ…?
彼女は俯いている。さっきの「おかえり」から何も喋ってない、かもしれない。
暫くの沈黙。
「何かあった?」
「…」
首がさらに少し沈む…。俯くだけの彼女。
「何かあったなら、教えて欲しいけど」
無駄な問いだとは何となく解るけれど、沈黙に答えるように問いかける。
さらに暫くの沈黙。
「気になる人が、いる」
…。
ホントかよ…。
ほぼ毎週会ってて、女子大行ってて、そんな事あるのか…?
須坂と春日部を行き来したこの1年。帰らなかったのは、2・3回だ。
会社の同期と伊豆旅行行った時と、会社の研修()で公休が潰れた時と…そのぐらい。
毎週だから、遠距離恋愛とも言わせないぐらいの頻度で会っていたのだよ?何処に隙があるというのか…
彼女の働くパン屋のお仲間も
「長野から毎週帰ってきてくれるなんて、いい彼氏さんですね」
と言ってたって言ってたじゃないのよ?
「マジで…ていうか…なんで?」
少し沈黙の後に
「トネちゃんのいない日が寂しかったから」
と、彼女は言う。
だけど、
俺は週に2日、春日部にいて、1日は会っていたわけで。
転勤する前と変わらない頻度で会っていたわけで。
でも
俺のいない、週5日が寂しかったと、彼女は言う。
強いて言えば
会っているとき、退屈だったという。
確かに、帰ってきた俺は疲れていて、デートらしいデートとして遠くに出かける事は少なかったかもしれない。
でも、ねえ。
200キロ以上夜中運転して帰ってきて、休みの終わりにはまた戻るのに…毎週何処かに連れて行くのも、しんどいはしんどいだろ。
「トネちゃん仕事辞めたいって言ってても、辞めて帰ってきてくれないじゃん」
いつでも会えるように、会社を辞めて来ない…。
会社への不満は言っても辞めてまで春日部に帰って来ない俺にも不満があるようだ。
えぇ…。
そりゃ確かに…。
そりゃそうかもしれないけれども、軽く言ってくれる…
長野から毎週帰って来る事も、当初は大した事ではないと思ってたみたいだったけど。。。
道もよくわからずに迷って朝方に帰ってきたので部屋で寝てしまった俺にブチ切れていた事もあった。けれども。そこも分かってくれた筈なんだけれども。
会社を辞めない事も不満の一つです…と?
就職氷河期に就活してた俺を見ていた筈なんだけどな…貴女は。
地方…と言ってもいいだろう。お世辞にも頭が良いとは言われない群馬の私立大学からの就職活動がどれほど絶望的だったかを、貴女は見ていた筈なんだけど。
いい加減な学生だった俺。
当初は危機感もなく何となくやっていたが、書類選考で落とされる事も多く面接まで行けても一次で落ちる。
某農業系組織の一次などは10人程度の採用枠にざっと500〜600人が集まっていた…。
受かるわけねえ…。
午前に学科試験をやり午後に面接と聞いていたが、昼休みに辞退して退出する人間が散見される程の絶望感。
面接は面接官2人に学生5人程の集団面接、最後に質問がないか尋ねられるので何か質問をすれば
「なんでそんな質問が出てくるんでしょ?」
と、事務員のおばちゃんみたいな人に阿呆を見るように見下される。
何か聞かなければやる気がないとみなされるので俺も質問を。
異動の頻度や募集と違う部署への配属の有無など聞いたら
「はあ〜…」とババアは大きな溜息をして「あなたはこのJAにどれだけの部署があるか分かってるんですか?なんでそんな質問が出てくるのか分かりません」
と、ゴミでも見るように見下した態度を取られる。
…回答はない。
他の大手小売も一次か、せいぜい2次で落とされる。
応募者が多いからだろう、そもそも書類で足切りも多い。
あまり頑張ってはいなかったけれど、それでも面接に行っては落とされる俺を横で励ましてくれて、唯一出たメガネ屋の内定に
「おめでとう」
「すごいよ、おめでとう!」
って。自分の事みたいに喜んでくれた日の事が頭を過る(よぎる)
会社辞めて帰って来ないのが不満って…
「本気で言ってんの?」
「…。」
何か言えよ…
沈黙が重い…
…。
耐えきれずに
「別れたいの…?」
俺が喋る。
「…。」
だから、
何
か
言
え
っ
て
の
︙
俯く彼女を見れば、肩が小さく震えている…
彼女は泣いていた…。
泣きたいのは俺の方なんですけれども。
ログインしてコメントを確認・投稿する