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2023年12月24日10:37

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京都所司代 の雑感

身内に甘い家康が「実力で重宝した」ある男の凄さ 京都所司代を19年にもわたって務めた実力者
https://news.yahoo.co.jp/articles/9b0a0db973da7e946a45df5923811964ffe01915

奥平信昌の初代所司代就任を、単に娘婿のキャリアの箔付けみたいに説明しているのだけれども、

・豊臣政権での京都所司代は、いわゆる五奉行が共同で担っていたが、関ヶ原での西軍敗北で崩壊。
・関ヶ原直後、畿内には西軍の落ち武者がウロウロしている状況。早急に京都の治安を回復し、西軍の落ち武者の身柄を確保する必要があった。
・しかしながら、豊臣にしがらみのある外様大名に所司代を任せるわけにもいかないし、譜代親藩の主力は秀忠とともに遥か遠くにいる。
・家康の部隊にも親藩譜代はいるが、京都を任せる以上は経験や「格」というものがあるし、西軍大名の降伏交渉に当たっているものも少なからずいる。落ち武者狩りもしなければいけない以上は、ある程度の軍事経験も必要となる。

で、諸々の条件を考えた結果、その場で最も適当だったのが奥平信昌だったのではないだろうかと。奥平は関ヶ原本戦にいた説と秀忠部隊だった説があるのだけれども、嫡男・家昌が主力を連れて秀忠の部隊で、信昌が手勢を連れて家康の部隊だったと考えれば辻褄は合うのではないか。

まぁ関ヶ原当時の板倉勝重は一千石の江戸奉行で、対して奥平は上野三万石の大名。よしんば関ヶ原の際に家康の部隊に板倉勝重がいたとしても、京都所司代に任命されたのは奥平だったと思うよ。
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