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2023年12月17日16:19

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😊 Well done 1week 💖✨

この日記は   A18    により 非公開にしましたが  1時的に公開に

もどします  20231225クリスマス



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1週間 おつかれさまでした!わーい(嬉しい顔)


バイクにガソリン!

ライダーにBEER!!ビール わーい(嬉しい顔)


今日は ひさびさの ブライアンチャンネルやってたので アップしますね!わーい(嬉しい顔)






これから  料理を作りながら BEER と ブライアンの音楽で!

また あとで  なにか  書いてみたいと思いますね わーい(嬉しい顔)

でわ  ネクストタイム!




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最近のフォトに最近の写真をアップしましたにゃ
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000120882131&owner_id=5283814




ブライアンチャンネル終わったのだけれど  なんか ちょっと blueな感じだった

去年と同じ感じで ブライアンも POWERがない


自動的現象で 次の曲が流れ  クリスマスについて 考えてみました














クリスマスは イエス兄のお誕生日会だと いままで 思っていました


まだ 幼稚園の頃  淀橋の貧しいけれど あたたかい家族と共に暮らした清友荘

母が なにか いつもと違う ごはん を 作ったのが記憶にあります

しかも 靴のおもちゃに入った おかし や 小さなケーキまで


記憶にある 最初のようなクリスマスは このような思い出があります


幼い子供のわたしは なにか 夢のような 魔法の世界のような 幸せな気分になり 

母の言葉使いや しぐさまでもが  いつもと違い 何か 特別な感じがしました



幼い子供にとって  両親の 振る舞いが いつもと違い  特別な何か のように



それは

極度の貧困地域での 活動で 垣間見る  昔の思い出と 重なります


しかし  そのお母さんや 親たちには  お金があまりなく  人並み以下ではある

けれど  子供に 人並みな クリスマスを  と お米を 団子にして 砂糖で

まぶしたりなど


いつもの ご飯と違う 食べ物と  親から 感じる  特別な  感じ



幼い子供は  幸せな気分に



親たちから  感じる  いつもとちがう  やさしい  ふいんき  愛



なにももたない 母親は  泥で作った お団子を飾り  特別な夜を こどもに

あたえる

こどもは

いつもとちがう  親のふいんきを  やさしさ  愛を  かんじる  





弟である 火星の兄弟家族は  先に 分かち合いを達成させ  飢える者 は

誰1人をも 見過ごすことなく  いない


兄である 金星の家族たちも おなじであります



地球は 火星よりも 300万年前には 高度に発展しており 地球性のUFOや

高度なテクノロジーを使用していた生活様式だった

9万8千年前に 人類は 滅亡した



自己満足が最大の悪である と BCは言われている意味が つくづく 判る


火星や金星には 自己満足は 存在しない  から  高度なテクノロジーの使用が

カルマの法により 許容されている


われわれは  いつまで  このような生き方を つづけるのだろうか


もはや  時間はない



地球のネガティビティを  すべて  排除  しなければならない




われわれは 9万8千年前に  光の勢力を裏切り  悪の勢力 物質性の大主方に

加担し  光の勢力を 排除してしまった


しかし

われわれは  闇の館 物質性の勢力に 裏切られ  石器時代から 

やり直しの運命を  約10万年も


その末裔であることを 忘れてはならない


われわれは  突如にして 砂から生まれたのではなく

子孫繁栄の結果  レムリア から 1850万年も 母親の母体から 

生まれてきています


そして


1粒の 永久原子が 死後 各 メンタル界 アストラル界 などに 残され

再生誕の時に それらが 磁力的に 魂により 集められ 寸分の狂いもなく

それまでの  50数万回の 記憶を持った 1粒の 永久原子 が 銀の細い線で

魂とつなげられ 誕生してくるという事実


しかし  われわれは 大きなあやまちを 犯してしまい  大宣言までは

記憶がない状態で 転生しなければならない


それは


無意識にでも  他者  同胞  苦難にあるものすべてに対して  犠牲=愛を

もって 分かち合うことが 出来るのか否や  の  テスト  実験でもあります



1200〜1300年 早められたことについての 分析は 過去に 非常に多くの

気づきとして 記録してあります


1945年6月 の 意味についても





もはや   時間は  ないかもしれない



この地球は  われわれ  肉体人間がメインではなく

ハイアラキーが メインであることの 認識不足を指摘しておきたいです


光の勢力は 太陽系家族と共に  人類の救済のために  最善を尽くしています


しかし

その 人類が  このような状態  状況 で  いかで  救済されるのか疑問です


時間はない  と BCも 暗号のように 書いています


人類は死滅するか  または  分かち合い 存続するか


の テスト  実験中  であることを  忘れないように






FROM:https://sharing.org/ja/latest-posts

https://sharing.org/ja/information-centre/kiji/kurisumasutosisutemutosi

https://sharing.org/ja/information-centre/kiji/jin-ri-nosi-tatinoshi-jie-niokerukurisumasunoyi-wei-nituite


クリスマスは消え去りつつある過去だけど、
イエスはあなたの他者への哀れみ深い
奉仕の行為のすべての瞬間に、
何度も誕生し続けます。

飢えから死にゆく誰かのために、あなたが
涙を流すその瞬間、キリストはあなたの
存在の君主となり、あなたのハートの父として、
彼自身をあらわにするのです。

* * *
政治家に失望し、社会の問題に苦悩し、そこには何か腐り切ったシステムがある印象を受けます。ためらうことなく、私たちはシステムを批判し責めます。しかしながら実際には、「システム」などというものは存在せず、過ぎ行く日々の中で世界情勢を変えるために何もしない偏狭で自己満足的な人生を送る、あなたと私だけが存在するのです。世界を見て「なんと腐ったシステムなのか」と言った途端、現実を見逃し、私たち自身と人類の問題との間に分裂を生じさせるのです。実際、システムが私たち全員の共同制作の結果であるにもかかわらず、自分たちとはいかにも違った存在としてシステムを名指しし、人類から自己を切り離す人間のマインドの驚異を観察するのはなんと奇妙なことでしょう。

たとえば、テレビで口論している政治家を見ていて、自分たちが選んだ政党がまたも約束を破ろうものなら、私たちは投票する政党を変える傾向にあります。おそらく私たちは、45年間労働党に投票してきたけれど、彼らが増税する恐れのある今、自分たちのより自己中心的な関心に沿った政策を策定することを約束する保守党を支持することに決めます。活動家となり、世界中に真の変革をもたらすために他と結びつく代わりに、まるで政治家が自分たちの親であるかのように彼らに頼る子供のように振る舞い、主に自身のことだけを考え、社会を改善するすべての責任を政府に丸投げしています。その間に政治家は、権力を維持し、個々の有権者の先入観につけ込むために彼ら自身が理解することのない破壊的な市場勢力を巧みに操作することにより、複雑な計画と利益をもたらす投資を魔法のように出してみせるのです。家のローンを心配し、自身の幸福のために個人的聖戦に挑む一方で、私たちは無知な政治家に、社会、環境、未来世代の展望に破壊的な影響を及ぼしてきた商業化勢力を野放しにする許可証を与えているのです。そして私たちは、この地球上の創造性、正義、自由、人間の進化の自然の流れを妨げることにおいて果たした自分たちの役割を認めることなく、結果として生じる社会的および経済的混乱のすべてをシステムのせいにするのです。

私たちが好んでシステムと呼ぶ日常生活の単調な作業と分裂を顕現させることに自らが担った役割を、なぜ私たちは内なる認識を通して理解できないのでしょうか。私たちは何度、資本主義を責めるのでしょうか。それがマインドに分裂を生み、そのこと自体が「主義」の本質そのものであるということに気づかずに。政治家に私たちの権力を放棄し、私たち自身の怠慢と無関心にもかかわらず、すべてがうまく行かなくなってシステムを責めるとき、投票という行為は主義の直接的な表現となります。あなたと私は、主義や対立するイデオロギーに基づいて、常に互いに分裂を生じさせているならば、社会がどのように統治され構造化されるべきかについて政治を論じることにより時間を無駄にしているのです。恐れ、自己本位、自己満足的な無頓着さを隠す口実として、特に自分たちが執着する政治的主義を含んだあらゆる形態の主義をつくり表現しているのは私たちです。あなたは労働党です;私は保守党です。私の政党はあなたの政党に同意しません;私たちはイデオロギーを巡って戦争をします。どちらの立場であっても、同じレベルの思考から生じ、私たち全員でつくりあげた心理的分裂に苦しむのは私たち自身です。そして、私たちは自分たちの共同の責任から逃れることはできないのです。自給自足のコミュニティへ引きこもり、自己を心理的または物理的に残りの人類から切り離しても逃れられないのです。世界が死んで行く限り、いずれ最終的に私たちも死んで行くのです。

資本主義が人と地球に何をしているのか、そしてこの利益志向の社会組織の様式がいかに緩く制御不能になったのかを心理的によく見て理解するなら、いくつかの基本的要素が突きつけられます:自己満足的な無頓着さ、貪欲、盲目、そして何よりも私たちの集団としての傲慢さです。ですから、もし資本主義が腐敗しているなら、私たち全員も腐敗しているのです。なぜなら、私たちは何世代にも渡ってこのよこしまなシステムを維持してきた人間の振る舞いを代表しているからです。私たちが資本主義と呼ぶ純粋な意味でのそれはもはや存在しません。今日、私たちが目にするそのすべては、分かち合いの原理の対極に立つ、連れ合いを亡くし堕落した原理の乱用です。大学で教えられたような資本主義の古い思想が長い間無視されてきた一方で、分かち合いは政治的および経済的にすっかり無意味なものにされてしまったため、既存の政府の最高レベルの間でほとんど理解されていないのです。

それでは、私たちのほとんどが、「私の人生」や「私の権利」と呼ぶ小さな箱の中の楽な存在を続けて行きたいとき、システムをどのように完全に変えることができるのでしょうか。私たちは何よりもまず自分自身のことを考え、何よりも自分たちの休暇、自分たちの年金、自分たちの娯楽、自分たちの家のリフォームを優先します - 「煩わされたくない」というのが、私たちが頭上に掲げているべき看板です。これは、綺麗なものに囲まれて謙虚に快適に暮らすことが間違っているということを言っているのではありませんが、富裕者がこの世界で真に快適に暮らすためには、他のすべての人が必要なものを持っていることが確実でなければなりません。さもなければ、彼らの快適さはボディガードと防護フェンスの費用分高くつくことになるでしょう。貧困者でさえが、分断された世界の不正を受け入れるように強く条件づけられており、したがってシステムの不平等に挑戦するために結束する代わりに、常に意気消沈し無関心なままいる傾向があります。私たちの自己満足的な無頓着さは余りに長い間恐怖と自己知識の欠如によって感情的レベルに保たれてきたため、ほとんど遺伝的になっています。最終的に私たちは、人間としてのより高尚な目的と創造的可能性に対して霊的に死んでしまい、私たちの間のあの心理的分裂そのものが人類の進化を非常に時間のかかる痛々しいものにしているのです。

この観点から私たちがシステムと呼ぶものは、異なる国の人々の間の、そして社会での私たちの間の人間関係に対する誤った態度であると簡単に定義できます。社会が私自身の延長であり、私が、国内および国際レベルの両方で顕現されたシステムであるという心理的事実を理解するなら、貧困、不正義、政治的腐敗に直面したときに「それは今まで常にこうだったから」などと公言することはもはやないでしょう。人類の問題から誰一人として免除されることがないと認識するなら、私の意識内の原動力のすべてが根本的に変わるでしょう。少なくとも、私は、すべての国で散発的に起こっている自由と正義のためのデモンストレーションに参加するでしょう。

システムを批判するだけで、世界情勢を変えるために何もしない人々の自己満足的な無頓着さは実際にはペテンの一種です。それが富裕者であろうと貧困者であろうと違いはありません;個人的な快適さと幸せだけを求めて、世界を脅かす危機に対する認識がない無関心な生活様式は、私たち自身と他者の両方にとって心理的に危険です。人生に対するこのような態度をもって、市場勢力が猛威を奮い社会的分裂と広範な破壊を引き起こしているとき、私たちはどう文句を言えるのでしょうか。商業化が私たちの動脈に入り込んだ今、私たちの集団的な無頓着さはあまりに蔓延してしまったため、きたるべき黙示録やアルマゲドンについて語る狂信者に耳を傾け始めなければならないほどです。実に、これが人類が達成することのできる文明の最高の表現であるとしたら、大衆の結束への目覚めに対する唯一の希望は、おそらく世界経済の不可逆的な崩壊でしょう。

*

クリスマスのお祝いほど、システムを維持することにおける私たちの暗黙の共犯行為を示す良い例はありません。この時期、私たちは、イエスの名の下ショッピング街で消費に消費を重ね、弱った不幸な地球から略奪を行います。私たちのうち何人が、リサイクルし、環境的価値を強く主張し、そして12月25日がやってくるとき、倫理のすべてに別れを告げるのでしょうか。いくら費用がかかろうと祝わねばならないのですから。そして、そのように沢山のお金を高価なプレゼントに費やすことは政治的追従行為であり、本質的に自らの叡智と自由を否定する行為であることを私たちは認識できないのです。たとえ、お金がなくても、私たちは特定のライフスタイルのイメージを保たねばならず、友人や親戚へのプレゼントを買うために借金します。何百万人という人々とすべての国が経済的にも環境的にも持続不可能な負債を抱えているにもかかわらず。途方もないストレスと苦しみのこの時代に、心理的にお互いから切り離されて生きている悲しい真実を内部でわかっているにもかかわらず。それでもなお、私たちは、天国に座す捉えどころのない、髭を生やした父の名の下クリスマスを祝うのです;「皆で再会する」機会を楽しむ幸せな家族の名の下に;内部で孤独な、条件づけられた存在の空虚感を埋める名目で;そして、毎年クリスマス・イブにすべての子供たちがパブロフの犬の条件反射の実験の最適な候補者となるまで - 子供たちを惑わすすべての不必要なプレゼントの名の下に。そして、世界で起こっているすべてのことは、私たち自身の共同の責任であるにもかかわらず、地球が破壊されているのは政府、企業、または「資本主義」のせいだと言って私たちはお互いを騙し合うのです。

これは、クリスマスの祝祭を非難したり、他の人々のお祝いを批判するためのものではなく、偏見のない思考を通して、単に今日起こっていることの現実について追求するためのものです。裁くためでも非難するためでもありません。なぜなら、すでに明らかにしたように、私たち全員が、世界の問題について責められるべきであり、免除される人はいないからです。ですから、誠実に問いましょう:今日、私たちが知るクリスマスは、愛やイエスと何の関係があるのでしょうか。この疑問と向かい合う勇気を持って、静かに自分自身の中に入り答えを見つけましょう。「メリークリスマス」「明けましておめでとう」という同じ挨拶を年々繰り返すことで「人生は続く」のだとお互いと自分たち自身を装う価値は何でしょうか: 多くの人々が自殺に追いやられるほど毎日が恐怖、ストレス、経済的不安に満ちているときに、これらの言葉にどれだけの誠実さがあるのでしょうか。私たちのほとんどが、さまざまな度合いの落ち込み、寂しさ、そしてお互いから心理的に切り離されて生きることの人に言えない痛みを耐え忍んでいるときに。そして、飽き飽きしていることを隠しながら失礼のないように、友人や親戚全員にお祝いのカードを送ることを自己に強いているときに?

さらに掘り下げてみましょう。クリスマスの時期に、食卓を越えた世界で今起こっていることへの無関心さと笑いの中でクリスマス・ディナーを楽しむためだけに、偽りのクリスマス精神の名の下なぜ何百万という多くの動物を殺し、あれほど多くの木を切り倒すのかという理由を追究してみましょう。自分たちの不安で空虚な存在の穴を埋めるために、イエスの愛が毎年12月25日にだけ私たちの家で振動するかのように、毎年1月1日までに大変多くの地球の資源が破壊され浪費されます。結局のところ、そのすべての破壊と自己道楽は、真の道徳的目的でなく単なる信条のために引き起こされているのです - 歪められた教義の迷路の中で、何千年もの間教会が私たちを惑わせてきた信条です。

私たちは、たくさんのプレゼントを買うことは愛情の表現であると自分自身に言うかもしれませんが、なぜその愛が、年を追って特定の日に表現されなければならないのでしょうか。それは本当に愛なのか、それともそれは、私たちの叡智の否定と「信条に対する信条」に基づく追従と条件づけでしょうか。その場合、プレゼントやモミの木、そして非常に沢山の食べものと飲みものを群れをなして買い漁るのは本質的に愛と自由を欠いた社会的行為であり、精神的または霊的不快感によって特徴づけられるのは必然的です - なぜなら、追従は恐怖に根ざすことなく存在できないからです。私たちの過剰な消費は自動的であるため、この地球と自己に対する暴力についての考えがありません。それは、私たちの集団としての共犯行為、偽善、自己満足的な無頓着さから自分たちの注意を習慣的に逸らすかたわら、私たちが嫌いだと公言するシステムそのものを永続させる無意識の嘘なのです。

私たち全員がこの現実の一部であり、現代社会に参加していることで私たち全員がある程度ペテン師であることを憶えておいてください。そして、クリスマスを祝うことは犯罪ではないので、責めることなく謙虚に自己を見てみましょう。私たちは、自分たちが何をしているのかを認識し、そしてこの極めて有害な社会秩序を作りだすことにおいて自らが演じる役割を見たくないとしても、私たちが酷く嫌悪するこのシステムそのものを自分たち自身が構成していることを理解するよう試みてみましょう。共に、世界で起こっていることすべての相互依存関係を観察し、真に愛情のこもった別の方法で、クリスマスを祝うことができるかどうかを考えてみましょう。

なぜなら、私たちのお祝いを導いているのはキリストの愛ではなく、むしろ私たちの条件づけと追従というご馳走を大いに楽しんでいる商業化勢力だからです。クリスマスセールで必死の買いもの客の行列を観察した誰もが証言できるように、これが実際に起こっていることの真実です。私たちを常に深い負債へと押しやる、私たちの社会的追従というご馳走を銀行が楽しむかたわら、多国籍企業は私たちの条件づけされた衝動買いというご馳走を楽しんでいるのです。そして、持続不可能な貸し借りのシステム全体が崩壊するとき、溶けゆく経済を生還させようと、無謀な銀行を救済するのは政府です。しかし、通常とされる生き方の続行を求め、以前と同じ利己的な振る舞いに素早く戻るのは私たちです。そしてそれによって不正なシステムを進んで維持するのも私たちなのです。世界情勢は余りに不安定で、もうすぐ富裕者にも貧困者にも救済措置ができなくなるかもしれないのに。それでもなお、12月25日がやってくるとき私たちは祝うのです。そしてそれは、キリストや彼が言ったこととはまったくの何の関係もないのです。

私たちは皆、十字架の上のイエスの言葉をよく知っています:「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」 (ēlîēlîlamâazavtanî)。しかし今日、それはまるで人類が黙って無意識にこう言っているかのようです:「わが神よ、なぜ私たちは商業化に自分たちの生活を支配させ、あなたの聖なる王国を冒涜し、正しい人間関係についてのあなたの教えを放棄し、あなたを見捨てたのでしょうか」

現実には、12月25日は悲しむべき悲惨な日です。なぜなら、私たちがキリストの誕生を祝っているこの時期、何百万人もの男女子供がクリスマスのご馳走の贅沢どころか、生活必需品さえも剥奪されているからです。1月1日に新年を迎えると同時に、遠方の国々で何万人もの私たちの兄弟姉妹が死にかけているちょうどその瞬間、私たちは良い年が来るようお互いに願うのです。まるで、飢餓、栄養失調、病気による不必要な死を祝っているかのように。それでも、これまで常にそうであったと私たちは異議を唱えるかもしれませんが、もし自分たちの家族の誰かが亡くなったとしたら(起こらないことを願いますが)、クリスマスと大晦日を愉快に祝っているでしょうか。ではなぜ私たちは、回避可能な貧困関連の原因で毎日何万人もの人々が死んでいるのに何もせず、それが当たり前だと思うのでしょうか。このようなときに私たちが実際祝っているのは、「人生は短いのよ」「どうせ人生は一度きりなんだから」あるいは「皆で一緒に楽しまなきゃ」といった使い古された決まり文句の裏に隠された、自己満足的で鈍感、そして無責任で居続けるために自らが名づけた自由なのです。

試しに一度、大晦日の夜、何もせず家に一人で居てみてください。テレビもつけず、誰とも連絡を取らず。そして、外では皆が大いに楽しく愉快にやっていることを知りながら、大晦日にあなたがどれだけ寂しい思いをするか試してみてください。その瞬間、あなたが激しい飢えに苦しみ、食べものを手に入れる見通しが皆無であるのに、世界は無邪気に新年を祝い続けていることを想像してみてください:どのように感じられるでしょうか?
 ・・・・続きは  https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1986561788&owner_id=5283814





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