■磯村尚徳さん死去=元NHKキャスター、94歳
(時事通信社 - 12月13日 23:30)
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NHKのニュースキャスターとして名声を博した磯村尚徳が亡くなった、ですか。昨晩飛び込んで来たニュースですが、キャスターが「モノを言う」という新しい形を確立させ、NHK、民放問わず多大な影響を与えた人物として、テレビ史に名を残す人であることは間違いないと思います。
学習院大学政経学部卒業後にNHKに入局。外信部に長く、ハノイ、カイロ特派員を経てヨーロッパ総局パリ支局特派員、東京報道局政治部を経てワシントン支局長、外信部長を歴任し、昭和49年に「報道局副主幹」として「ニュースセンター9時」というニュース番組の「初代編集長兼キャスター」として番組の立ち上げに参加したというのがその“前歴”でした。
昭和49年に開始した「ニュースセンター9時」(NC9)は、そのスタイルに加え、「平日の午後9時(からの40分番組)」という、民放各局がドラマやバラエティなどを放送し「ゴールデンタイム」と言われる時間帯たる21時台に「その日一日を振り返る番組」としてニュース番組を開始、ライフスタイルの多様化にも対応、後のテレ朝の「ニュースステーション」(平日22時台)に影響を及ぼしたことでも知られる存在でした。
ニュース番組空白の時間帯のニュース番組のキャスターとして、磯村尚徳は、「体を少し斜めにしてカメラに向かい、笑みを浮かべながら自分の言葉を交えつつ視聴者に語りかける」という、これまでの常識を打ち破る前例の無いスタイルで鮮烈な印象を与え、謂わば、視聴者とニュース番組との距離を大いに近付けたことも大きく、その第一回目のオンエアでは、「気のせいでしょうか。いつもの年より長くかつ寒い冬がようやく遠のきまして、やっと4月になりました…」と言う挨拶から始まったのだとか。フランス語に堪能で海外支局や外信部に長く、キャスターになるに当たり、編集長として記者がスタジオで話し、アナウンサーも現場で取材するというスタイルを提案したそうで、初期には視聴者から「無礼だ」、「何だあの態度と服装は」といった批判の声もあったのだとか。
その著書のタイトルにもなった「ちょっとキザですが」としても語られるスタイルについて、後年「アメリカのキャスターは斜めに構えて話していた。モスクワ放送なんて共産党の総本山なのに、そこですら日本よりは余裕を持ってしゃべっていたんですよ」と述懐したそうですが、昭和51年、NHKの小野吉郎会長がロッキード事件で逮捕されて保釈された後の田中角栄元首相を出勤前に見舞ったことが発覚して引責辞任した当夜、局の“不祥事”を番組の中で「視聴者から数多くのおしかりをもらい、責任の大きさを痛感しています」と陳謝し、「これは上司にも相談していないことですが」とも付け加えながら報じたことが“語り種”になったようで、辞職も覚悟しつつ「身内の不祥事を報道しないのは、報道機関として失格だと思った」と思ったのだそうです。
磯村尚徳は「NC9」のキャスターを昭和52年まで務め、ヨーロッパ総局長、1984年に報道局長、専務理事待遇特別主幹を歴任しましたが、平成3年の東京都知事選挙に、当時80歳だった現職の鈴木俊一知事の4選出馬に対抗する自民党推薦の候補として出馬、銭湯でのパフォーマンスが話題となりながら落選、以後は英語、フランス語など語学力を生かし外交評論家として活動、長野冬季五輪開会式での総合司会を務めていましたが、都知事選がいくらかイメージダウンとなった恰好だったのか、公の場に出ることは多くはなかった感じがありました。
「NC9」は、勝部領樹、小浜維人、木村太郎とキャスターが交代して暫く続きましたが、「古くからの午後7時台のニュースが格が上」という局内の考え方が定着していたためか、21時台のニュースは枠を縮小されたこともありました。
「先を越された」とある民放の制作担当が話すように「日本のニュース番組のスタイルに“風穴を開けた”」と評される一方、後年の多くのニュース番組の報道の在り方などをめぐって、テレ朝やTBS、そして当のNHKなど各局で問題や不祥事が多発する“負の影響”も与えた側面がある「NC9」、さらに磯村尚徳ではありますが、“開拓者”としての評価は十分されて良いのではと思います。
享年94とのこと。合掌。
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