関ヶ原の戦いに参戦できず「西軍最強」と呼ばれた男の悲劇
https://news.yahoo.co.jp/articles/1968e5af526519113a9e214551da06d0590e3b83?page=1
立花宗茂は、本来課せられている軍役の3倍という無茶苦茶な動員をして、ようやく3千人台かき集めて西軍に参加しているが、そこまでしても小早川秀秋の動員数の半分以下。十数万の兵士がひしめいた関ケ原では、主役に立つことはなかっただろうと。
もし関ケ原に着陣できていたとしても、立ち位置的に毛利の指揮下に入っていたはずなので、毛利もろともに吉川広家にフタをされて、動けないまま終わっていたのではないかなと。広家さえどうにかできれば戦闘に参加できただろうけれど、毛利本隊ですら広家を攻撃できなかったのに、目下扱いの宗茂がどうにかできるとは思えない。
西国無双の二つ名。秀吉は有力大名の重臣クラスを取り立てて半大名化する というのを意図的にやっていて、建前は「器量に惚れ込んで」なのだけれども、有力大名の力を削ぐことが大きな目的であったことは明白。宗茂に関しても、独立大名化させるために、かなり大げさに器量を称えていた可能性はあるだろうと。
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