昨夜、画像をUPするのに時間が掛かり、結局、就寝したのは23時前だった。
それでも、4時過ぎに目が醒めるのは、社畜。哀しさか。
昨日買っておいた、コンビニのお握りで朝食を取り、チェックアウト。
鍵の掛かる完全個室のネカフェに10時間以上もいたから、以外と高くついた。
小倉駅へ出て4時51分発の博多行きに乗車する。
まだ朝早いと云うのに、粘りつく様な蒸し暑さだ。
車輛は、ロングシート改造された811系の4輛編成。
5時15分、折尾に到着。
少し時間があるから、新しい駅舎とやらを見に行ってみた。
昔は駅の南側に駅舎があったが、東側へ移動していた。
そこには、かつての駅舎を模した、パチものみたいな駅舎があった。
何とも哀しく、情けない限りだ。
2012年の3月、折尾駅の旧駅舎を撮影しておいたのは幸いだった。
駅前のファミマでお茶を買っておく。
飯塚発の始発列車が折尾に到着。
かなりの乗客が降りて来た。
折り返し5時43分発の筑豊本線経由博多行きに乗車。
車輛は817系の2輛編成。
こちらは空いている。
折尾を出ると折尾トンネルで鹿児島本線を抜ける。
中間を過ぎると遠賀川を渡る。
周辺は住宅地で、駅でドアが開くと、虫の音が響く。
もう、暦は秋なのだ。
鞍手まで来ると、大分と田畑も増えて来た。
筑前植木の手前で山陽新幹線の高架を潜る。
新幹線はこんな内陸部を走っているのか。
頭では理解していても、実際に見ると面喰らう。
1995年に初乗りした時も、同じ感想を抱いた。
線路が増えて車輛が留置され、セメント工場や、ビルなどが見えて来ると直方。
まだ6時4分なので乗客が増えると云う事はないが、ここから車掌が常務する。
隣のホームには田川後藤寺行きのキハ47とキハ40の2輛編成が停車している。
博多行きの後ろに4輛連絡して6輛編成となる。
朝のラッシュ運用の準備は万全、といった所だろうか。
そして、田川後藤寺行きが発車して行った。
6時14分、直方を発車する。
直方の町を出て、飯塚の町を目指す。
何となく、古くからの住宅地と新しい住宅地が混ざりあっている。
空は大分と雲って来ている。
平地に小山が連なり、家やら団地やらがしがみついている。
再び遠賀川を渡り鯰田。
浦田を過ぎて新飯塚に到着した。
飯塚は筑豊地方の中心とも言える町で、当然の事ながら炭鉱で栄えた町である。
新飯塚を発車すると、後藤寺線が左へ離れて行く。
遠賀川を渡り飯塚に到着。
かつては飯塚市の中心駅だったが、市役所が新飯塚の近くに移転してからは、その地位を新飯塚に譲っている。
現在は筑豊本線の単独駅だったが、以前は上山田線が分岐しており、日田彦山線の豊前川崎までを結んでいた。
そして上山田 - 豊前川崎こそが、未成線に終わった油須原線の先行開業区間であった。
飯塚のホームから、博多方面に忠隈のボタ山(ただくまのぼたやま)が見える。
飯塚を出ると、忠隈のボタ山の脇を掠めて走る。
6時40分、桂川に到着。
博多行きは篠栗線に入り、筑豊本線は冷水峠を越えて鹿児島本線の原田へと向かう。
しかしこの区間は福岡都市圏を迂回するため、輸送需要は少ない。
筑豊本線と篠栗線が一体化した列車運用している反面、桂川から原田は枝線の要に独立し、本数も激減する。
次の列車は7時34分と時間があるので駅前近くにある王塚古墳へと足を伸ばしてみる。
遠賀川流域では最大規模を誇る前方後円墳。
そして我が国を代表する装飾古墳として著名な古墳でもある。
石室内全面に描かれた壁画は、文化財保護の観点から非公開になっているが、隣接する王塚装飾古墳館でレプリカが展示されている。
ただ、営業開始が9時からなので今回は諦めざるを得ない。
2012年に来た際には、圧巻の壁画を貸切状態でゆっくりと鑑賞した。
日本の装飾古墳の壁画で使われている色は6色(赤・黄・緑・青・黒・白)あるが、そのうち青を除く5色が使われており、これは国内最多である。
このような装飾古墳は九州の、特に福岡県と熊本県に多く存在し、近畿地方は極めて少ない。
また、王塚古墳は発見されるまで未発掘の古墳だった。
そのため副葬品の大部分が残された状態で発見されており、全て重要文化財に指定されている。
そして、京都国立博物館に寄託されている。
運が良ければ通常展示で見る事も出来る。
桂川駅に戻り、ホームで列車を待つ。
何本か博多行きの列車が発車して行く。
7時28分、原田からの列車がキハ40の単行で到着。
これ以上乗れないと云う位の満員御礼。
博多行きの特急「かいおう」を見送り、7時34分に発車した。
桂川を出て上穂波を過ぎると冷水峠に挑む。
「九州の箱根」と呼ばれる難所で、最大25‰の急勾配が続き、半径200mから300mの急カーブが連続する。
筑前内野を過ぎると段々と峠に入る。
そして冷水トンネルへと入る。
キハ40が速度を上げて行く。
全長3286mもあるから、抜けるのに時間が掛かる。
4分程で冷水トンネルを抜けるて、窓が一気に雲って来た、
窓の外側が雲っているから拭く事も出来ない。
木々が立ち並んでいると云う事位しかわからない。
漸く峠を降り、視界が開けたが外の様子はわからない。
そして筑前山家に到着。
雰囲気から家や工場が増えて来た感じがして8時2分、原田に到着。
久大本線経由の大分行き特急「ゆふ」が通過して行く。
8時17分発の快速羽犬塚行きに乗り換える。
佐賀県に入り、けやき台を通過。
そして基山で下車。
遂に雨が降って来た。
8時31分発の甘木鉄道甘木行きに乗り換える。
車輛は甘木鉄道AR300形の単行。
甘木鉄道に乗るのも11年振り。
車内の佐賀競馬のポスターが萌える。
次の立野で半数が下車する。
大原信号場で基山行きと交換。
町が賑やかになって来たと思ったら、福岡県に入り、西鉄との乗り換え駅である小郡に到着。
西鉄を高架で越えて行く。
松崎で基山行きと交換。
そして8時54分、太刀洗に到着。
旧太刀洗駅舎は「太刀洗レトロステーション」となっているが、今日は休館日。
前に来た時も休館だった。
駅前を走る国道を渡ると、大刀洗平和記念館がある。
移設された、陸軍第5航空教育隊正門の門柱を抜けると大刀洗平和記念館。
11年振りにやって来た。
今年に入って、アイヘンさんから、新たに「震電」の実物大模型が展示されていると聞いて遠征する事にした。
昨日の平成筑豊鉄道に並び今回の目的である。
朝九時から開館するので、期せずして一番乗りとなった。
誰もいない館内を貸切状態で見て廻る。
先ずは、世界でここにしかない、陸軍の九七式戦闘機。
そして、海軍の零式艦上戦闘機三二型。
零式艦上戦闘機は世界各国何機も保存されているが、翼端を切落した三二型は、大刀洗平和記念館にしかない。
最後に今回の目的、海軍の局地戦闘機「震電」の実物大模型。
九州飛行機、海軍航空技術廠の手による戦闘機で、太刀洗にも縁が深い機である。
前翼型の独特な機体形状の戦闘機で、試作だけに終わった機体ながら極めて人気が高い。
まだ人が少ないのを良い事に、散々、色々なアングルで撮影をした。
9時半から映画「太刀洗 3・27」が上映される。
曾祖母が、曾孫に話して聞かせる作りで、大刀洗陸軍飛行場や大刀洗陸軍飛行学校の歴史。
戦争末期の特攻隊。
そして1945年3月27日の大刀洗空襲。
語り継がれる歴史である。
映画の後、特攻隊員の遺影が展示されている追憶の部屋に入る。
多数の特攻隊員の遺影の中に、1945年8月19日、満州で避難民をソ連軍から守るために妻を一緒に乗せた上、体当たりによる攻撃を実施した谷藤徹夫陸軍少尉と朝子夫人の写真を見付けた。
人が増えて来たから、その他の展示を見る。
陸軍の、航空関係の軍衣や戦時下の暮らし。
大刀洗空襲の残骸など、見応えがある。
そして、二階では日本三大戦争漫画家にして航空漫画の第一人者、滝沢聖峰の企画展「空戦漫画の金字塔 滝沢聖峰空戦漫画展〜精緻な描写に宿る人間ドラマ〜」が開催されている。
私以外に人がいなかったから、ゆっくりと鑑賞出来た。
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000120843267&owner_id=5677348
しかし、展示されている作品がほぼ全て知っていると云うのが、何とも。
まなにゃーデックスさんと、この合わせをやりたい。
そして、2012年に訪れた時にはなかった、特攻隊の展示に特化した新展示室が出来ていた。
特攻隊の戦術や戦果などあらゆる角度から説明している。
更に、1992年に鹿児島の吹上浜と錦江湾から引き上げられた零式艦上戦闘機二一型と五二型の残骸を、海中に沈む特攻機の様に展示していた。
そして、本館に展示されている九七式戦闘機の搭乗員だった渡邊利廣少尉の説明もあった。
関西大学法学部を出て、特別操縦見習士官として陸軍に入隊。
沖縄に出撃するため、満州を発って中継地である菊地飛行場に向かう途中に博多湾に不時着。
この時の機体が、展示されている九七式戦闘機。
渡邊利廣少尉は無事であったが、すぐに別の機体に乗り換え、鹿児島の知覧基地から第一〇五振武隊の一員として出撃し、戦死された。
まさか、我が母校の前場であるとは思わなかった。
最後にミュージアムショップを見る。
大刀洗平和記念館を出て、太刀洗駅へ。
11時6分発の甘木行きに乗車する。
前に来た時には、駅前のラーメン屋で久留米ラーメンを頂いたのだが、11時開店では無理だった。
甘木には11時11分に到着。
前に来た時に、駅前にパン屋があるから、それで昼食と思っていたのだが。
何と云う事か、閉店していた。
これではまた、昨日みたいに欠食児童になってしまう。
幸い、駅前からは少し歩いた先に、ローソン甘木駅前店があった。
そこで照り焼きチキンサンドを買い、西鉄甘木駅へと向かう。
11時41分発の大牟田行きに乗車。
西鉄7000形の2輛編成で、まあまあ混んでいる。
甘木を出ると、右側に甘木鉄道が迫って来る。
しかしそのまま右へ大きく弧を描く様にカーブして離れて行った。
西鉄甘木線も、筑紫平野を淡々と走る。
車窓は、甘木鉄道とそんなに差違は無い。
似たような風景が続く。
駅毎に乗客がある。
北野で西鉄甘木行きと交換。
高架を上がり12時15分、宮の陣に到着。
Y字形のホームに、西鉄甘木線と大牟田線の下りが乗り入れている。
近江鉄道の高宮駅の様な感じだろうか。
天神方面へは地下道を潜らなければならない。
12時17分発の天神行き急行に乗車。
車輛は5000形で、座席が埋まる程度には混んでいた。
先程、甘木鉄道で通過した小郡を、今度は西鉄で通る。
車庫が見えて来て、何か南海サザンみたいな塗色した車輛も見える。
筑紫に停車する。
そして12時35分、朝倉街道に到着。
ここからJR鹿児島本線の天拝山まで歩く。
阪急で、山崎から大山崎。
或いは富田から摂津富田で乗り換える様なもの。
次の列車は12時51分の区間快速門司港行きだが、余裕で間に合った。
お陰で何本か撮り鉄出来た。
門司港行きの区間快速は811系。
博多で乗客が入れ替わる。
しかし、博多から乗車してきた支那人どものマナーが実に悪い。
箱崎を過ぎたら、また雨が降って来た。
窓に雨が叩きつけられ、風景が歪む。
13時20分、香椎に到着。
ゲリラ豪雨の如く、激しい雨が駅舎に叩きつける。
13時30分、土砂降りの中、折り返し西戸崎行きが到着。
819系「DENCHA」の4輛編成で、割りと混み合う。
13時38分に発車。
暫くは鹿児島本線に並走しているが、高架で鹿児島本線を越えて西戸崎を目指す。
和白では、西鉄貝塚線と接続している。
いつの間にか、雨が上がっていた。
西鉄が香椎線を越えて行く。
香椎線も、沿線にマンションなどが建ち並んでいる。
雁ノ巣で香椎行きと交換。
雁ノ巣を過ぎると車窓が一変する。
町が無くなり巨大な砂州の中を走る。
海ノ中道は、水族館やプールなど海浜公園になっている。
その、公園の森を抜けると、終点の西戸崎。
駅前にはマンションが建ち、博多湾を一望出来る。
西戸崎から更に先へ進むと、志賀島でバスの路線がある。
折り返し14時9分の香椎行きは殆ど人が乗っていない。
西戸崎の窓口に、香椎線のイメージキャラクターの西戸崎駅のキャラクターが紹介されていた。
しかし、左翼活動家が見たら発狂しそうな設定だ。
香椎線には各駅に、担当のイメージキャラクターがいるそうだ。
海ノ中道まで、博多湾に沿って走る。
もし晴れていたら、素晴らしい眺望だっただろう。
海ノ中道でそれなりに乗車して来る。
雁ノ巣で西戸崎行きと交換。
そして14時29分、香椎着。
次は14時50分発の香椎線宇美行き。
ホームが変わるので階段を上がるが、混雑してる階段で馬鹿なカップルが、階段の降り口辺りで止まる。
混雑してるから当然、前に進めないし、何より危ない。
なので怒鳴りつけてしまった。
此方もこの天気模様で機嫌は良く無いし、こう云うマナー知らずには腹も立つ。
14時50分発の宇美行きも入線しているから、早く乗りたいのもある。
宇美行きも819系「DENCHA」の2輛編成。
西戸崎行きとはうってかわって少ない乗客で、発車する。
沿線は、まさに郊外路線と云う感じで、住宅やマンションが建ち並ぶ。
土井で香椎行きと交換。
土井を過ぎると工場や物流倉庫が目立つ様になる。
伊賀で多少の乗降客がある。
そして長者原で、篠栗線と十字に交差する。
信号待ち合わせで5分程停車。
香椎線のホームは単線だから、交換は出来ない。
その間に、篠栗線の列車が交換する。
乗り換えの乗客で、車内が混み合って来た。
篠栗線の列車が全て発車して、15時7分に宇美行きも発車した。
酒殿を過ぎると、段々とのどかな風景になりつつある。
車窓がのどかになって来たら、眠くなって来た。
須惠を過ぎると田畑も目立って来る。
しかし、ふいに町が拓けたと思ったら15時22分、宇美に到着した。
折り返し15時35分発の香椎行きで、これに乗車するつもりでいたが、直前になって止めた。
折角なので、宇美八幡宮へ参詣する事にした。
宇美八幡宮までは徒歩7分程の距離にある。
雨は上がってはいるが、山には雲が掛かり遠くで雷鳴も聞こえる。
宇美の町を抜けて、宇美八幡宮に着いた。
境内には巨木が立ち並んでいる。
湯蓋の森や衣掛の森の楠は、天然記念物に指定されている。
宇美八幡宮も11年振りの参拝。
お参りを済ませ御朱印を頂く。
宇美八幡宮は、社伝「伝子孫書」によると、神功皇后が三韓征伐からの帰途に応神天皇を産んだ地に、敏達天皇3年に応神天皇を祀ったのに始まると云う。
「宇美」の地名も「産み」に由来するそうである。
境内の茶屋に「子安餅」なるものがあり、お土産に買おうと思ったが、日持ちがしない。
仕方がないので、お土産は諦め、一つ頂いてみた。
ほたほたに柔らかい焼き餅に、極めてこし餡に近いつぶ餡の入った、上品な餅で、やはり土産にしたかった。
駅へ戻る途中、宇美本町郵便局で軍資金を少し下ろす。
郵便局内で。ウーパールーパーや亀が飼われていた。
にしてつマーケットに寄り、宇美駅へと戻って来た。
ちょうど列車が来た所である。
折り返し16時40分発の香椎行きとなる。
学校帰りの高校生が多数降りて来て、発車が近付いて来ると、別の高校生が乗車する。
16時55分、長者原で下車。
接続する事なく走り去って行く直方行きが見えた。
次の直方行きは17時11分の快速。
15分も待たねばならない。
長者原で列車を待ってる間に、また雨が降って来た。
大粒の雨がホームの屋根を打つ。
しかし、博多行き及び直方行きが来る頃には上がった。
車輛は817系の4輛編成。
帰宅ラッシュに掛かるから、学生っぽい乗客で満員。
新しく作られたアパートやマンション、住宅が続く。
篠栗を過ぎて、段々と山が迫って来る。
勾配を駆け上がりトンネルを抜ける。
篠栗四国第一番札所南蔵院の最寄りである城戸南蔵院前を過ぎ、三郡山地を篠栗トンネルで越える。
桂川から筑豊本線に入る。
今朝走った飯塚を経て17時44分、新飯塚に到着。
17時50分発の後藤寺線田川後藤寺行きはキハ40の単行。
飯塚の町を抜けて行く。
下鴨生で交換する列車が遅れている。
4分遅れの18時5分に発車。
沿線の木々が列車を叩く。
筑前庄内を過ぎると、入水峠越えに入る。
鬱蒼とした木々の中を走る。
入水トンネルを抜け、麻生セメント田川工場の、巨大な建物が山の中に現れると、船尾。
田川の町を抜けて終着の田川後藤寺。
18時14分着の予定が18時18分。
折り返し新飯塚行きは18時16分が18時20分の発車。
今来たばかりの路線を走る。
下鴨生で田川後藤寺行きが停車していた。
夕焼けが駅と車輛を照らす。
新飯塚には18時37分の予定が4分遅れ18時41分着
18時39分発の博多行き快速は、18時42分に発車した。
817系の4輛編成。
飯塚を過ぎると日が落ちて辺りが見辛くなる。
桂川から篠栗線に入る。
筑前大分で交換。
駅前にスーパーの灯りが見えるのが、何とも違和感がある。
篠栗トンネルを抜け、城戸南蔵院前で直方行きと交換。
直方行きが多少、遅れていた様だった。
長者原を過ぎ、19時23分博多着。
何処か晩飯でもと思っていたが、ホームには立ち食いなど見当たらないし、地下街にも良さげな店はなかった。
寿司屋は、入ろうかとも思ったのだが。
まなにゃーデックスさんの怒りを買いそうだったから、止めておいた。
結局、19時50分発快速門司港行きに乗車。
小倉には20時59分の到着。
小倉駅名物の「かしわうどん」でも食すかと思ったのだが。
目の前デックスシャッター閉められた。
なので、「小倉やきとり鳥松駅前店」にて一盞。
肴は、砂ずり、ぼんじり、ハツ、特製つくね、かしわねぎま。
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