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2023年04月02日23:21

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「BUCK-TICK×藤岡市観光協会」コラボ企画の旅 二日目 只見線乗り鉄の旅

今朝は5時半過ぎに、東横INN高崎駅西口1の655号室で目が醒めた。
6時半から朝食なので、下に降りる。
そしてシャワーを浴びて8時前にチェック アウト。
今日の乗り鉄ルートだが、駅弁など昼食を購入出来るのか解らない。
只見線に車内販売があるとか、今は中止されてるとか、曖昧な情報ばかり溢れている。
なので高崎駅で駅弁を買って行く事にした。
高崎駅「高崎弁当」の駅弁も旨いものが揃っている。
有名なのは、だるま弁当。
昔からあるベストセラー弁当は、鶏めし。
そんなラインナップの中でも、いつも売り切れでなかなか食す機会の無かった「上州舞茸弁当」があったから、購入。
ひとつ1350円と、多少値段は張るが奮発してみた。
まず乗車する間に、上野行き特急「あかぎ」など撮り鉄をする。
「あかぎ」に最後に乗車したのは2010年12月31日。
当時はまだ、185系だった。
その後、651系に置き換えられ、651系も今年3月のダイヤ改正で引退した。
今はE257系が活躍している。
8時7分発の伊勢崎行きが発車して、折り返し8時25分発の水上行きが到着。
脚立を持った、撮り鉄みたいな連中が3〜4人乗り込む。
「SLぐんま みなかみ」狙いかと思ったが、本日は運転日では無い。
取り敢えず、ロングシートの車輛でコンビニ弁当を喰うのは止めて頂きたい。
大変に見苦しい。

8時25分、上越線水上行きが発車。
211系の6輛編成で、ロングシート車輛。
車内は、座席がほぼ埋まる感じである。
高崎の町を抜けて前橋へと入る。
新前橋で両毛線が分岐。
大同特殊鋼の工場を掠めて、渋川に到着。
待合室が戦前の三等客車の様に塗装されている。
吾妻線が別れて行き、利根川を渡る。
関東平野が尽き掛けて来たから、勾配を上がって行く。
かなり靄掛かっているから、遠くの山々が霞んでしまっている。
曲がりくねりながら流れる利根川が、渓谷を織り成す。
佐久発電所を眺めて、更に奥へ。
速度も落ちて来る。
そして沼田に到着。
「上州沼田真田の里」と書かれた赤い旗指物が幾つもはためいていた。
フォト
その、真田の沼田支配の拠点となった沼田城は、駅からそう遠くない所にある。
一度、下車してみたい駅である。
関東平野がいよいよ尽き果て、9時31分水上に到着。
9時43分発の長岡行きに乗り換える。
211系から乗り換えの集団の1/3は撮り或いは乗り鉄っぽい。
4輛編成のE129系はたちまち埋まってしまい立ち客も出る始末。
まさかとは思うが、この乗り鉄撮り鉄集団は、只見線を目指しているのではなかろうか。
この先、鉄が興味を示す様なものは、それしか思い付かない。
時間があるので駅前に出てスタンプを押す。
新潟でも駅メモのイベントをやっている模様。
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参加したい所だが、ちょっと厳しい。

水上を発車して、新清水トンネルに入り湯檜曽に停車。
話に名高いトンネル駅である。
上越線が複線化された時に新清水トンネルが掘られ、その時に下りのホームがトンネル内に設置された。
続いて、同じく新清水トンネル内に下りホームが設置された土合。
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長い国境のトンネルを抜けたら新潟県。
土樽に停車。
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まだ雪が残っている。
越後中里辺りはまだまだスキーが出来る
客車

越後湯沢で15分程停車する。
折角なのでスタンプを押しに行く。
越後湯沢のスタンプを押すのは、これが始めてだったかも知れない。
構内の土産物屋も賑わっていた。
ちょっと覗いてみようかと思ったが、止めておいた。
越後湯沢と云えば、まだ北陸新幹線が金沢まで開業していなかった時分。
熊谷に赴任していた時代に金沢へ帰るのに、越後湯沢から北越急行経由の特急「はくたか」に乗車した。
そんな事を思い出していたら、北越急行のHK100形電車が到着。
長岡行きに乗り換えて来る。
北越急行には、開業した年、1997年の冬コミ帰りに乗車した。
この時は六日町から北越急行に乗り、直江津から北陸本線で富山に出て、高山本線を経由して帰って来た。
何とも懐かしい、もう取り戻せない想い出の世界。
私がこの年になって、狂った様に乗り鉄をしているのは、失われた時を、取り戻したいだけなのかも知れない。

10時30分、長岡行きが発車。
石打を過ぎて、巻機山などか遠くに見えて来る。
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上越国際スキー場前の駅前に、チノちゃんが働いてそうな建物が見える。
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今日は営業していない様だ。
段々と雪が浅くなっていく。
六日町で北越急行が分岐する。
ここから十日町を経てほぼ一直線に直江津を目指す。
特急が高速で通過する為の、高規格なバイパス線。
しかし、北陸本線が金沢まで開業した今となっては、都市間高速輸送の使命は消え失せ、ローカル輸送がメインの路線になって仕舞った。
六日町を過ぎると、雪もほぼ消え失せ、田植え前の茶色い大地が広がる。
五日町で家族連れなど大挙して降りていったから、車内はほぼ鉄になって仕舞った。
五日町に何があるのかは解らない。
11時12分、小出に到着。
次の只見線は13時12分で二時間の待ち合わせ。
会津若松行きはキハE120の2輛編成で、既に停車している。
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4〜5人、只見線の乗客がホームを彷徨いている。
とは云え今から並ぶのもなんだから、小出の町を散策してみた。
まずはスタンプを押す。
改札にうさうさがいた。
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駅前に出ると、蕎麦屋など幾つか店があった。
確かに、この辺りは布海苔を繋ぎに使った「へぎそば」が名物である。
2時間あれば充分、食べる事も出来た。
ちょっと残念ではある。
魚野川を渡る。
遠くに八海山が見える。
渡った先に商店街がある。
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お洒落な感じの洋服屋などもあったが、ほとんどの店が日曜日だからか、シャッターを下ろしていた。
人通りも少なく、ひっそりとしている。
そんな中、ショッピングセンターサカキヤ本町店と云うスーパーがあった。
地方の地場スーパー好きな私としては入ってみたくなる。
特務機関NERV指定の防災食が売っていた。
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小出、恐るべし。
防災食は買わなかったが、地場メーカーのうどんやら、へぎそばなどを買う。
スーパーの北側に、清水川邊神社が鎮座していたから、お詣り。
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御朱印も頂いた。
そろそろ12時になるので駅へ戻る。
かなり並んでいた。
取り敢えず私も並ぶ。
12時40分頃、ドアが開く。
何とか二人掛けのボックスシートを占拠出来た。
後の心配は、12時57分着の長岡行き及び13時9分着の水上行きからの乗り継ぎ客がどれだけいるのか。
聞いた話では、昨日はかなり混雑したらしく57分の電車の時点で立ち席も出たそうだ。
果たして本日は、57分の時点では大した事はなかった。
続いて9分着の列車が到着。
此方も乗り継ぎはさほども無かった。
しかし、座席に四合瓶を置いておくと誰も近寄らない。
これで安心して只見線呑み鉄の旅ぎ楽しめる。
13時12分、定刻に発車。
キハE120の窓ガラスは、熱線吸収率の高い、赤外線を100% 遮断するIRカットガラスを使用している。
なので、ガラスには青っぽい色が付いている。
なので、上半分の窓を開ける。
今日は暑いので丁度良い。
只見線に乗るのは2002年の正月以来。
実に21年振り。
当時はまだキハ40が現役だった。
会津若松から小出行きに乗り、途中で日が暮れて仕舞った。
漸く、明るいうちに只見線を走破出来る。
早速、高崎で買い求めた上州舞茸弁当で呑み鉄。
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酒は昨日の残りの聚楽第。
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只見線は、魚野川の支流、破間川(あぶるまがわ)に沿って走る。
全国でも有数の豪雪地域を走る路線だけに、段々と雪が深くなっていく。
魚沼田中辺りから、遠くに雪を抱いた守門岳などが見えて来る。
呑みながら美しい車窓を眺め、写真を取る。
駅に着いたら駅メモで駅を取る。
なかなか忙しい。
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美しい車窓が、また酒の肴になる。
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上条を過ぎた辺りで、呑み鉄は片付いた。
そして、長らく小出からの終着駅だった大白川に到着。
ここから六十里越の難所に挑む。
1942年に小出から大白川まで開業していたが、この六十里越の峠に阻まれ長らく只見まで結ばれる事が出来なかった。
1971年に六十里越トンネルが開通し、長年の悲願だった大白川から只見が結ばれ、只見線が全通したのである。
6キロ以上ある長いトンネルをゆっくりと進む。
トンネルを出ると、田子倉ダムのダム湖、田子倉湖が広がるも、すぐに田子倉トンネルに入ってしまう。
更にトンネルを抜けて、漸く只見に到着。
10分停車する。
その間にスタンプやら撮影やら、走り回る。
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只見線の歴史が写真で紹介されている。
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14時35分、発車した。

只見から先は只見川に沿って会津若松を目指す。
只見から先は、段々と雪が薄くなって行く。
会津塩沢の案内に、河井継之助記念館が紹介されていた。
河井継之助は越後長岡藩牧野家の家臣で家老職にあった。
戊辰戦争の北越戦争で長岡藩側を主導し一時、新政府軍を圧倒せしめる活躍をするも物量には勝てずに撤退。
会津へ向けて落ちのびる途中、只見の地で没した。
只見川を何度も渡る。
本名の集落は、同じ様な造りの家々が建ち並んでいる。
本名ダムから、上田ダムのダム湖に沿って走り、会津川口に到着。
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ここでも10分停車。
既に小出行きが停車している。
スタンプを押して、地場の銘菓「金山どら焼き」を購入。
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15時35分に発車。
会津中川を出ると上田ダムが見えた。
次の会津水沼は、沼沢湖と沼御前神社の最寄り駅になる。
妖精美術館なる物もあり、天野喜孝の手になるステンドグラスやブロンズ像もあると云う。
ちょっと行ってみたい。

再び只見川の水量が増し、ダム湖が現れる。
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宮下ダムのダム湖で、次から次へとダムが築かれている。
まるで只見川の水は一滴足らず無駄には流させないと云わんばかりにダムが続く。
第二只見川橋梁を渡り会津西方を過ぎると、最も有名な第一只見川橋梁を渡る。
只見線の撮影スポットの第一で、只見線を扱ったものにはほぼ必ず登場する。
ただ、車内からだと普通の橋梁。
景色は素晴らしい。
しかし、外から撮り鉄したくなる。
ここから只見川は、会津若松に向かって左側に流れる。
段々と土地も拓けて来ているから、只見川にへばりついて走る必要も無い。
会津柳津では、法被を羽織った観光協会かホテルのおばちゃんが改札に待機していた。
どうやら温泉があるらしく、その迎えなんだろう。
会津坂本で長く並走して来た只見川と別れ、会津盆地を淡々と走る。
今まで北を向いて走っていたのが、南へと向きを変える。
会津高田で東に向き阿賀川を渡る。
会津鉄道が迫って来て、西若松に到着。
会津柳津行きの列車が待機していた。
そうして17時24分、会津若松に到着。
隣に東北色になったキハ110が停車していた。
勿論、撮り鉄をする。
フォト

17時30分発の快速「あいづ」郡山行きに乗車。
E721系4輛編成
半室ながら指定席があり、リクライニングシートの座席はなかなか豪華である。
会津若松は1月以来だが、感慨に更ける間もなく乗り変えた。
磐梯町を過ぎると辺りは暗くなって仕舞った。
猪苗代で結構な乗客があった。
18時36分、郡山着。
次の新白河行きは列車があるのだが、新白河から接続する列車がない。
新白河から接続するのは、20時42分まで待たねばならない。
勿論、新白河まで行って、黒磯行きを待っても良いのだが、この時間だと恐らく何も無いだろう。
なので郡山で時間を潰す事にした。

土産物屋を周り、晩飯を取る。
幸いにも店は色々ある。
しかし、郡山まで来てサイゼリヤと云うのも寂しい。
なので食と地酒「もりっしゅ」なる居酒屋へ入ってみた。
福島の郷土料理が色々とある。
その中で、やはり只見線に乗って来たのだから、只見ジンギスカンを注文した。
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只見町の目黒食肉店の味付けラムを使用しているそうで、まさに本物。
もともと只見でジンギスカンを食べる様になったのは、田子倉ダムの建設が関わっている。
全国から集まった大量の建設作業員が、当時安価だったマトン肉を食べる様になったのが広まったと云う。
北海道のジンギスカンよりもあっさりしていて旨い。
この為に、再び只見を訪れたくなる。
追加で、他にも食べたいメニューもあったのだが、昼呑みしているしジンギスカンだけにしておいた。
ホームに向かうと、20時25分頃に新白河行きが入線。
701系のロングシート。
福島からの接続を待ち、20時42分定刻に発車。
時間も遅いから、空いている。
駅毎に下車して行く。
新白河には21時20分到着。
21時23分の黒磯行きに乗り換える。
E531系のクロスシートに座る。
この車輛も空いており、スマホを眺める。
この車内で衝撃的なニュースが飛び込んで来た。

坂本龍一さん死去、71歳 「YMO」「世界のサカモト」がん闘病力尽く ラストエンペラーで日本人初快挙
https://twitter.com/sylvian3/status/1642508385466843139?t=vZrI-fKe0u9IHbPlNrsgbw&s=19

晩年は、反原発など色々とあったが。
偉大なるミュージシャンである事には変わり無い。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

黒磯には21時46分の到着。
21時51分発最終の宇都宮行きに乗車。
車輛はE131系のロングシート。
半分うとうとしながら22時41分、宇都宮に到着。
今日の宿は、東横INN宇都宮駅前1。
1019号室にチェックイン。

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