激動の時代生きた三笠宮伝記刊行へ 未公開資料も展示
11/19(土) 10:00 産経新聞 配信より
https://news.yahoo.co.jp/articles/8c1f7b01a7c3fd2c519fc077671776e304de753e
産経新聞
学習院大史料館で展示されている「御側日誌」=3日午後、東京都豊島区(橋本昌宗撮影)
大正天皇の第4皇男子として生まれ、平成28年に100歳で薨去(こうきょ)した三笠宮の生涯をたどる伝記「三笠宮崇仁親王」が12月中旬、刊行される。刊行委員長は孫に当たる三笠宮家の彬子さまが務められ、伝記には宮家で所蔵する「御側(おそば)日誌」など未公開資料も多数活用された。刊行に合わせ、学習院大史料館(東京都豊島区)では12月3日まで、編纂(へんさん)に使われた資料や写真、ゆかりの品を公開。100年の歩みをたどることができる。
【写真】学習院大史料館で展示されている、幼少期の歌の短冊
■幼少期の実像
「ミヤチヤンハトンネルハキシヤバカリトホルノカトオモフタラ自動車モトホルト仰セラレタリ」。史料館で展示されている大正11年3月30日の御側日誌には、当時6歳の三笠宮が自身を「ミヤチャン」と呼び、トンネルや乗り物に興味を示す様子や発言が記録されている。
日誌は、三笠宮誕生の4年から、成年直後の昭和11年までの約20年間を養育掛やお付きの武官などがそれぞれ記録したもので、全162冊にも及ぶ。中身はいつ、どこで、何をしたかの動静だけでなく、ちょっとした発言も記録されており、離れて暮らす大正天皇、貞明皇后と面会した際の家族の様子や普段の生活ぶりがうかがえる貴重な資料だ。
《サトウハアマクヲイシクテギウニユウナンカニイレテノム》
史料館の展示では、幼少から歌に関心を寄せていた三笠宮が詠んだ「サトヲ(砂糖)」と題した歌も公開。この歌は就学前に詠んだとみられ、後に曲がつけられて童謡としてレコードにもなった。このほか、初めて作った折り紙、自らつづった日記など、幼少期のほほえましい姿を垣間見ることができる。
会場では成年後、陸軍参謀として中国に派遣された際や、戦後に歴史学の研究に取り組んだ際の資料、家族写真なども並んでいる。
■戦後の皇族として
この展示に合わせて10月8日、学習院大で三笠宮の生涯や伝記編纂の裏側をテーマに「特別講座」が開かれ、刊行委員の一人で日本大学非常勤講師の舟橋正真(せいしん)氏が講演した。
「戦後の皇族はどうあるべきなのか、という自身の立場への疑問に対して見いだしていったのは学問、学究への道だった」。舟橋氏は、敗戦により皇室を取り巻く環境が激変し、皇族としての在り方を模索した三笠宮について、こう説明する。
三笠宮は戦後、歴史学の研究に情熱を注ぎ、英国にも留学。東京女子大で学生を前に講義したこともあった。舟橋氏は講演で三笠宮の性格について、「まじめ、飽くなき興味・関心へのアプローチ、努力、熱心さが挙げられる」と分析。「学者肌」とも表現した。
■「種をまいてくださった」
この日は講演に続き、彬子さまもご登壇。舟橋氏ら刊行委員との鼎談(ていだん)に臨まれた。
彬子さまは祖父との思い出について、「分からないことがあってうかがうとご書斎に連れていかれて、百科事典や辞書に書いているものすべてコピーをとって持ち帰らせてくださった」とご紹介。すぐに答えを教えるのではなく、資料ごとに違う記述から考えさせようとしたとみられ、現在では日本文化の研究に取り組む彬子さま自身に「最初に種をまいてくださった」と明かされた。
三笠宮は研究のほか、国際親善にも精力的に取り組み、国内ではダンスやレクリエーションの普及に携わるなど、生涯にわたり国民、外国との親和、親善に尽力した。舟橋氏は、「大正、昭和、平成と激動の時代を生きた三笠宮が見てきたものは何だったのか。伝記を手に取っていただければその一端を知っていただくことができるのでは」と話した。(橋本昌宗)
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最終更新:11/19(土) 10:00 産経新聞
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